更級日記原文一
あづまじのはて あづま路の道のはてよりも、なほ奥つかたに生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなるひるま、よひゐなどに、姉・継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にとく上げたまひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せたまへ」と、身を捨てて、額をつき祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふところに移る。
二
かどで 年ごろあそびなれつるところを、あらはにこほち散らして、立ち騒ぎて、日の入りぎはのいとすごくきりわたりたるに、車に乗るとて、うち見やりたれば、人まには参りつつ、額をつきし薬師仏の立ちたまへるを、見捨て奉る悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。門出したるところは、めぐりなどもなくて、かりそめの茅屋の、蔀などもなし。簾かけ、幕などひきたり。南ははるかに野のかた見やらる。東西は海近くて、いとおもしろし。夕霧たちわたりて、いみじうおかしければ、朝寝などもせず、かたがた見つつ、ここを立ちなむこともあはれに悲しきに、同じ月の十五日、雨かきくらし降るに、境を出でて、下総の国のいかたといふところに泊まりぬ。庵なども浮きぬばかりに雨降りなどすれば、おそろしくて寝もねられず。野中に丘だちたるところに、ただ木ぞ三つ立てる。その日は、雨に濡れたる物どもほし、国にたちおくれたる人々待つとて、そこに日を暮らしつ。
三
まのの長、黒戸の浜 十七日のつとめてたつ。昔下総の国に、まののちやうといふ人住みけり。ひき布を千むら万むら織らせ、晒させけるが家のあととて、深き川を舟にてわたる。昔の門の柱のまだ残りたるとて、大きなる柱、川の中に四つ立てり。人々歌読むを聞きて、心のうちに、 くちもせぬこの川柱残らずは昔のあとをいかで知らまし その夜は、くろとの浜といふところにとまる。片つかたはひろ山なるところの、砂子はるばると白きに、松原しげりて、月いみじうあかきに、風の音もいみじう心細し。人々をあしがりて、歌よみなどするに、 まどろまじこよひならではいつか見む黒戸の浜の秋の夜の月
四
まつさとのわたり そのつとめて、そこを立ちて、下総の国と武蔵の国の境にてある、ふとゐ川といふがかみの瀬、まつさとのわたりの津に泊まりて、夜ひと夜、舟にてかつがつ物など渡す。 めのとなる人は、をとこなどもなくなして、境にて子うみたりしかば、はなれて別にのぼる。いと恋しければ、いかまほしくおもふに、兄なる人いだきてゐていきたり。皆人は、かりそめの仮屋などいへど、風すくまじく、ひきわたしなどしたるに、これはをとこなども添はねば、いと手はなちに、あらあらしげにて、苫といふものをひとへうち葺きたれば、月残りなくさし入りたるに、くれなゐの衣うへに着て、うち悩みてふしたる月影、さやうの人にはこよなく過ぎて、いと白く清げにて、めづらしと思ひてかき撫でつつうち泣くを、いとあはれに見捨てがたく思へど、急ぎゐていかるるここち、いと飽かずわりなし。面影におぼえて悲しければ、月の興もおぼえず、屈じ臥しぬ。
五
竹芝寺 つとめて、舟に車かきすゑて渡して、あなたの岸に車ひきたて、送りに来つる人々、これよりみな帰りぬ。のぼるは止まりなどして、いきわかるるほど、ゆくも止まるも、みな泣きなどす。おさなごこちにもあはれに見ゆ。今は武蔵の国になりぬ。ことにをかしきところも見えず。浜も砂子白くなどもなく、こひぢのやうにて、むらさき生ふと聞く野も、蘆、荻のみ高く生ひて、馬に乗りて弓もたるすゑ見えぬまで、高く生ひ茂りて、なかをわけゆくに、たけしばといふ寺あり。はるかに、ははさうなどいふ所の廊のあとの礎などあり。「いかなるところぞ」と問へば、「これは、いにしへ、たけしばといふさかなり。国の人のありけるを、火焚屋の火たく衛士にさし奉りたりけるに、御前の庭を掃くとて、「などや苦しき目を見るらむ。わが国に七つ三つ作りすゑたる酒壷に、さし渡したる直柄の瓢の、南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見で、かくてあるよ」と、ひとりごちつぶやきけるを、そのとき、帝の御女、いみじうかしづかれ給ふ、ただ一人、御簾のきはに立ち出でたまひて、柱に寄りかかりて御覧ずるに、このをのこかくひとりごつを、いとあはれに、「いかなる瓢の、いかになびくならん」と、いみじうゆかしく思されければ、御簾をおしあげて、「あのをのここち寄れ」と召しければ、かしこまりて、勾欄のつらに参りたりければ、「いひつること、いまひとかへり申しければ、「われゐていきて見せよ。さいふやうあり」と仰せられければ、かしこくおそろしと思ひけれど、さるべきにやありけむ、おひ奉りて下るに、「論なく人追ひて来らむ」と思ひて、その夜、勢多の橋の元に、この宮をすゑ奉りて、勢多の橋をひとまばかりこほちて、それを飛び越えて、この宮をかきおひ奉りて、なぬかななよといふに、武蔵の国に行き着きにけり。 帝、后、「御子うせたまひぬ」と思しまどひ、もとめたまふに、「武蔵の国の衛士のをのこなむ、いと香ばしきものを首に引きかけて、飛ぶやうに逃げける」と申し出でて、このをのこをたずぬるに、なかりけり。「論なく、もとの国にこそゆくらめ」と、公より使くだりて追ふに、勢多の橋こぼれて、えゆきやらず。 三月といふに、武蔵の国に行き着きて、このをのこをたずぬるに、この御子、公使を召して、「われさるべきにやありけむ、このをのこの家ゆかしくて、ゐてゆけといひしかば、ゐて来たり。いみじくここありよくおぼゆ。このをのこ罪しれうぜられば、われはいかであれと。これも前の世に、この国の跡を垂るべき宿世こそありけめ。はや帰りて、公にこの由を奏せよ」と仰せられければ、いはむかたなくて、上りて、帝に、「かくなむありつる」と奏しければ、いふかひなし。そのをのこを罪しても、今はこの宮を取り返し、都に返し奉るべきにもあらず。たけしばのをのこに、生けらむ世の限り、武蔵の国を預け取らせて、公事もなさせじ。ただ宮にその国をあづけ奉らせたまふ由の宣旨下りにければ、この家を内裏のごとくつくりて、住ませ奉りける家を、宮などうせたまひければ、寺になしたるを、たけしば寺と言ふなり。その宮のうみたまへる子供は、やがて武蔵といふ姓をえてなむありける。それよりのち、火焚屋に女は居るなり。」と語る。
六
武蔵より相模へ 野山蘆荻のなかをわくるよりほかのことなくて、武蔵と相模とのなかにゐてあすだ川といふ。在五中将の「いざ言問はむ」とよみけるわたりなり。中将の集にはすみだ川とあり。舟にて渡りぬれば、相模の国になりぬ。にしとみといふところの山、絵よくかきたらむ屏風を立て並べたらむやうなり。片つかたは海、浜のさまも、よせかへる波の景色も、いみじうおもしろし。もろこしが原といふところも、砂子のいみじう白きを二日三日ゆく。「夏は大和撫子の、濃く薄く錦をひけるやうになむ咲きたる。これは秋の末なれば見えぬ。」といふに、なほところどころはうちこぼれつつ、あはれげに咲きわたれり。「もろこしが原に、大和撫子しも咲きけむこそ」など人々をかしがる。
七
足柄山 足柄山といふは、四五日かねておそろしげにくらがりわたれり。やうやう入りたつ麓のほどだに、空のけしき、はかばかしくも見えず。えもいはず茂りわたりて、いとおそろしげなり。麓にやどりたるに、月もなく暗き夜の、闇にまどふやうなるに、遊女三人、いずくよりともなくいで来たり。五十ばかりなる一人、二十ばかりなる、十四五なるとあり。庵の前に、傘をささせてすゑたり。をのこども、火をともして見れば、「昔こはたといひけむが孫」といふ。髪いと長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、「さてもありぬべき下仕などにてもありぬべし」など、人々あはれがるに、声すべて似るものなく、空にすみのぼりて、めでたく歌をうたふ。人々いみじうあはれがりて、けぢかくて、人々もて興ずるに、「西国の遊女は、えかからじ」などいふを聞きて、「難波わたりにくらぶれば」と、めでたくうたひたり。見る目のいときたなげなきに、声さへにるものなくうたひて、さばかりおそろしげなる山中に立ちてゆくを、人々あかず思ひてみな泣くを、幼きここちには、ましてこの宿りを立たむことさへ、あかずおぼゆ。まだ暁より足柄を越ゆ。まいて山の中のおそろしげなること、いはむかたなし。雲は足の下にふまる。山のなからばかりの、木の下のわずかなるに、葵のただ三筋ばかりあるを、「世離れて、かかる山中にしも生ひけむよ」と、人々あはれがる。水はその山に三所ぞ流れたる。
十四
「物語もとめて見せよ」 ひろびろと荒れたるところの、過ぎつる山々にも劣らず、大きに、おそろしげなる深山どものやうにて、都のうちとも見えぬところのさまなり。ありもつかず、いみじう物さわがしけれども、いつしかと思ひしことなれば、「物語もとめて見せよ、見せよ」と母をせむれば、三条の宮に、親族なる人の、衛門の命婦とてさぶらひけるたずねて、文やりたれば、めづらしがりて、喜びて、「御前のをおろしたる」とて、わざとめでたき草子ども、硯の箱の蓋にいれておこせたり。うれしくいみじくて、夜昼、これを見るよりうちはじめ、またまたも見まほしきに、ありもつかぬ都のほとりに、誰かは物語もとめ見する人のあらむ。
十五
「継母なりし人」 継母なりし人は、宮づかへせしがくだりしなれば、思ひしにあらぬことどもなどありて、世の中うらめしげにて、ほのかにわたるとて、五つばかりなる乳児どもなどして、「あはれなりつる心のほどなむ、忘れむ世あるまじき」などいひて、梅の木の、つま近くて、いと大きなるを、「これが花の咲かむをりは、来むよ」といひおきわたりぬるを、心のうちに、「恋しくあはれなり」と思ひつつ、しのびねをのみ泣きて、その年もかへりぬ。「いつしか梅咲かなむ。来むとありしを、さやある」と目をかけて待ちわたるに、花もみな咲きぬれど、音もせず。思ひわびて、花を折りてやる。 たのめしをなほや待つべき霜がれし梅をも春はわすれざりけりといひやりたれば、あはれなることども書きて、なほたのめ梅のたちえは契りおかぬ思ひのほかの人もとふなり
十六
「乳児の死」 その春、世の中いみじうさわがしうて、まつさとの渡りの月影あはれに見し乳母も、三月一日になくなりぬ。せむ方なく思ひなげくに、物語のゆかしさもおぼえずなりぬ。いみじく泣きくらして、見いだしたれば、夕日のいとはなやかにさしたるに、桜の花ののこりなく散りみだる。 ちる花もまた来む春は見もやせむやがてわかれし人ぞこひしき
十七 「侍従の大納言の御女」 また聞けば、侍従の大納言の御女なくなり給ひぬなり。殿の中将のおぼしなげくなるさま、わが物の悲しきをりなれば、「いみじくあはれなり」と聞く。上りつきたりしとき、「これ手本にせよ」とて、この姫君の御手を、とらせたりしを、「さよふけてねざめざりせば」など書きて、 とりべ山谷に煙のもえたたばはかなく見えしわれと知らなむと、いひ知らずをかしげに、めでたく書き給へるを見て、いとど涙をそへまさる。
十八
「源氏の五十余巻」 かくのみ思ひくんじたるを、「心もなぐさめむ」と心苦しがりて、母、物語などもとめて見せ給ふに、げにおのづからなぐさみゆく。紫のゆかりを見て、つづきの見まほしくおぼゆれど、人かたらひなどもえせず。誰もいまだ都なれぬほどにて、え見つけず。いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるままに、「この源氏の物語、一の巻よりして、みな見せ給へ」と、心のうちに祈る。親の太秦にこもり給へるにも、こと事なく、このことを申して、「いでむままにこの物語見はてむ」と思へど、見得ず。いとくちおしく思ひなげかるるに、をばなる人の、田舎よりのぼりたるところに渡いたれば、「いとうつくしう生いなりにけり」など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、「何をか奉らむ。まめまめしき物は、まさなかりなむ。ゆかしくし給ふなる物を奉らむ」とて、源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将、とほぎみ、せりかは、しらら、あさうづなどいふ物語ども、一袋とり入れて、得て帰るここちのうれしさぞいみじきや。はしるはしるわづかに見つつ、心も得ず、心もとなく思ふ源氏を、一の巻きよりして、人もまじらず、几帳のうちにうち臥して、引きいでつつ見るここち、后の位も何にかはせむ。昼は日ぐらし、夜は目のさめたるかぎり;、火を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは空におぼえ浮ぶを、いみじきことに思ふに、夢にいと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五の巻をとく習へ」といふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず、物語のことをのみ心にしめて、「われはこのごろわろきぞかし。さかりにならば、かたちもかぎりなくよく、髪もいみじう長くなりなむ。光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ」と思ひける心、まづいとはかなくあさまし。
十九
「花たちばな」 五月ついたちごろ、つま近き花橘の、いと白く散りたるをながめて、 時ならずふる雪かとぞながめまし花橘のかをらざりせば
二十
「宿の紅葉」 足柄といひし山の麓に、暗がりわたりたりし木のやうに茂れるところなれば、十月ばかりの紅葉、四方の山辺よりもけにいみじくおもしろく、錦をひけるやうなるに、ほかより来たる人の、「今、まゐりつる道に、紅葉のいとおもしろきところのありつる」といふに、ふと、 いづこにも劣らじものをわが宿の世をあきはつるけしきばかりは
二十一
「皇太后宮の一品の宮」 物語の事を、昼は日ぐらし思ひつづけ、夜も目のさめたるかぎりは、これをのみ心にかけたるに、夢に見ゆるやう、「このごろ、皇太后宮の一品の宮の御料に、六角堂に遣水をなむつくる」といふ人あるを、「そはいかに」と問へば、「天照御神を念じませ」といふと見て、人にも語らず、何とも思はでやみぬる、いといふかひなし。春ごとに、この一品の宮を眺めやりつつ、 さくと待ち散りぬとなげく春はただわが宿がほに花を見るかな
二十二
「つちいみ」 三月つごもりがた、土忌に、人のもとに渡りたるに、桜さかりにおもしろく、今まで散らぬもあり。帰りてまたの日、 あかざりし宿の桜を春くれてちりがたにしも一目見しかな
二十三 「あやしの猫」 花の咲き散るをりごとに、「乳母なくなりしをりぞかし」とのみあはれなるに、同じをりなくなり給ひし侍従の大納言の御女の手を見つつ、すずろにあはれなるに、五月ばかり、夜ふくるまで、物語を読みておきゐたれば、来つらむかたも見えぬに、猫のいとなごう鳴いたるを、おどろきて見れば、いみじうをかしげなる猫あり。「いづくより来つる猫ぞ」と見るに、姉なる人、「あなかま、人に聞かすな。いとをかしげなる猫なり。飼はむ」とあるに、いみじう人なれつつ、かたはらにうち臥したり。「たづぬる人やある」とこれを隠して飼ふに、すべて下衆のあたりにもよらず、つと前にのみありて、物もきたなげなるは、ほかざまに顔をむけて食はず。姉おととの中につとまとはれて、をかしがりらうたがるほどに、姉のなやむことあるに、物さわがしくて、この猫を、北面にのみあらせて呼ばねば、かしがましく、鳴きののしれども、なほ、さるにてこそはと思ひてあるに、わづらふ姉おどろきて、「いづら、猫は。こちゐて来」とあるを、「など」と問へば、「夢に、この猫の、かたはらに来て、『おのれは侍従の大納言殿の御女の、かくなりたるなり。さるべき縁のいささかありて、この中の君の、すずろにあはれと思ひいで給へば、ただしばしここにあるを、このごろ、下衆のなかにありて、いみじうわびしきこと』といひて、いみじう鳴くさまは、あてにをかしげなる人と見えて、うちおどろきたれば、この猫の声にてありつるが、いみじくあはれなるなり」と語り給ふを聞くに、いみじくあはれなり。その後は、この猫を北面にもいださず、思ひかしづく。ただ一人ゐたるところに、この猫がむかひゐたれば、かいなでつつ、「侍従の大納言の姫君のおはするな。大納言殿に知らせ奉らばや」といひかくれば、顔をうちまつりつつ、なごう鳴くも、心のなし、目のうちつけに、例の猫にはあらず、聞きしり顔にあはれなり。
二十四 「長恨歌の物語」 世の中に、長恨歌といふ文を物語に書きてあるところあんなりと聞くに、いみじくゆかしけれど、えいひよらぬに、さるべきたよりをたづねて、七月七日いひやる。 ちぎりけむ昔のけふのゆかしさに天の川波うちいでつるかな
返し、 たちいづる天の川辺のゆかしさにつねはゆゆしきことも忘れぬ
二十五 「荻の葉」 その十三日の夜、月いみじくくまなくあかきに、みな人もねたる夜中ばかりに、縁にいでゐて、姉なる人、空をつくづくとながめて、「ただ今、ゆくへなく飛びうせなば、いかが思ふべき」と問ふに、なまおそろしと思へるけしきを見て、こと事にいひなして、笑ひなどして聞けば、かたはらなるところに、さきおふ車とまりて、「荻の葉、荻の葉」と呼ばすれど、答ざなり。呼びわづらひて、笛をいとをかしく吹きすましてすぎぬなり。 笛のねのただ秋風と聞こゆるになど荻の葉のそよとこたえぬといひたれば、「げに」とて、 荻の葉のこたふるまでも吹きよらでただに過ぎぬる笛のねぞうきかやうに、明くるまでながめあかいて、夜あけてぞみな人ねぬる。
二十六 「火の事」 そのかへる年、四月の夜中ばかりに、火の事ありて、大納言殿の姫君と思ひかしづきし猫も焼けぬ。「大納言殿の姫君」と呼びしかば、聞きしり顔に鳴きて、歩みきなどせしかば、父なりし人も、「めづらかに、あはれなることなり。大納言に申さむ」などありしほどに、いみじう、あはれに、口惜しくおぼゆ。
二十七「軒端の梅」 ひろびろと、物深き深山のやうにはありながら、花・紅葉のをりは、四方の山辺も何ならぬを見ならひたるに、たとしへなくせばきところの、庭のほどもなく、木などもなきに、いと心うきに、向ひなるところに、梅、紅梅など咲きみだれて、風につけて、かかへくるにつけても、住みなれしふるさと、かぎりなく思ひいでらる。 にほひくる隣の風を身にしめてありし軒端の梅ぞこひしき
二十八 「姉の死」 その五月のついたちに、姉なる人、子うみてなくなりぬ。よそのことだに、をさなくよりいみじくあはれと思ひわたるに、ましていはむかたなく、「あはれ悲し」と思ひなげかる。母などはみな、なくなりたるかたにあるに、形見にとまりたるをさなき人々を左右にふせたるに、荒れたる板屋のひまより、月の洩りきて、ちごの顔にあたりたるが、いとゆゆしくおぼゆれば、袖をうちおほひて、いま一人をもかきよせて、思ふぞいみじきや。そのほど過ぎて、親族なる人のもとより、「昔の人の、『必ずもとめておこせよ』とありしかば、もとめしに、そのをりはえ見出でずなりにしを、今しも人のおこせたるが、あはれに悲しきこと」とて、かばねたづぬる宮といふ物語をおこせたり。まことにぞあはれなるや。返り事に、 うづもれぬかばねを何にたづねけむ苔のしたには身こそなりけれ乳母なりし人、「今は何につけてか」など、泣く泣くもとありけるところに帰りわたるに、 「故里にかくこそ人は帰りけれあはれいかなる別れなりけむ昔のかたみには、いかでとなむ思ふ」など書きて、「硯の水の凍れば、みなとぢられてとどめつ」といひたるに、 かき流すあとは氷柱にとぢてけりなにを忘れぬかたみとか見むといひやりたるかへりごとに、 なぐさむるかたもなぎさの浜千鳥なにかうき世にあともとどめむこの乳母、墓所見て、泣く泣く帰りたりし、 のぼりけむ野辺は煙もなかりけむいづこをはかとたづねてか見しこれを聞きて、継母なりし人、 そこはかとしりてゆかねど先に立つ涙ぞ道のしるべなりけるかばねたづぬる宮おこせたりし人、 住みなれぬ野辺の笹原あとはかもなくなくいかにたづねわびけむこれを見て兄は、その夜、送りにいきたりしかば、 見しままに燃えし煙はつきにしをいかがたづねし野辺の笹原
二十九「吉野の尼」 雪の、日をへて降るころ、吉野山に住む尼君を思ひやる。 雪降りてまれの人目も絶えぬらむ吉野の山のみねのかけみち
三十「止召のつとめて」 かへる年、正月の司召に、親のよろこびすべきことありしに、かひなきつとめて、おなじ心に思ふべき人のもとより、「さりともと思ひつつ、明くるを待ちつる心もとなさ」といひて、 あくる待つ鐘のこゑにも夢さめて秋の百夜のここちせしかなといひたる返り事に、 あかつきをなにに待ちけむ思ふことなるとも聞かぬ鐘のおとゆゑ
三十一「東山に移る」 四月つごもりがた、さるべきゆゑありて、東山なるところへうつろふ。道のほど、田の、苗代水まかせたるも、植ゑたるも、何となく青み、をかしう見えわたりたる。山の、かげ暗く、前近く見えて、心ぼそくあはれなる夕暮、水鶏いみじう鳴く。 たたくとも誰かくひなのくれぬるに山路を深くたづねてはこむ 霊山近きところなれば、詣でてをがみ奉るに、いとくるしければ、山寺なる石井によりて、手にむすびつつ飲みて、「この水のあかずおぼゆるかな」といふ人のあるに、 奥山の石間の水をむすびあげてあかぬものとは今のみや知るといひたれば、水飲む人、 山の井のしづくににごる水よりもこはなほあかぬここちこそすれ 帰りて、夕日けざやかにさしたるに、都のかたも残りなく見やらるるに、このしづくに濁る人は、京に帰るとて、心苦しげに思ひて、まだつとめて、 山の端の入り日の影は入りはてて心ぼそくぞながめやられし
三十二「東山の風情」 念仏する僧の、暁にぬかづく音の尊くきこゆれば、戸をおしあけたれば、ほのぼのと明けゆく山ぎは、木ぐらき梢ども霧りわたりて、花・紅葉のさかりよりも、何となく茂りわたれる空のけしき、曇らはしくをかしきに、ほととぎすさへ、いと近き梢にあまたたび鳴きたり。 誰に見せ誰にきかせむ山里のこのあかつきもをちかへる音も このつごもりの日、谷のかたなる木の上に、ほととぎすかしがましく鳴きたり。 都には待つらむものをほととぎすけふひねもすに鳴きくらすかななどのみ眺めつつ、もろともにある人、「ただ今京にも聞きたらむ人やあらむ。かくてながむらむと思ひおこする人あらむや」などいひて、 山深く誰か思ひはおこすべき月見る人は多からめども
といへば 深き夜に月見るをりは知らねどもまづ山里ぞ思ひやらるるあかつきになりやしぬらむと思ふほどに、山のかたより人あまた来る音す。おどろきて見やりたれば、鹿の、縁のもとまで来て、うち鳴きたる、近くてはなつかしからぬものの声なり。 秋の夜の妻恋ひかぬる鹿のねは遠山にこそ聞くべかりけれ知りたる人の、近きほどに来て帰りぬと聞くに、 まだ人目知らぬ山辺の松風も音して帰るものとこそ聞け 八月になりて、二十余日のあかつきがたの月、いみじくあはれに、山の方は木ぐらく、滝の音もにるものなくながめられて、 思ひしる人に見せばや山里の秋の夜ふかき有り明けの月
三十三「帰京」 京に帰り出づるに、わたりしときは、水ばかり見えし田どもも、皆刈りはててけり。 苗代の水かげばかり見えし田の刈りはつるまで長居しにけり三十四「旅なる宿」
三十五「上総大輔」
三十六「あらましごと」 かやうに、そこはかとなきことを思ひつづくるを役にて、物詣をわづかにしても、はかばかしく、人のやうならむとも念ぜられず。このごろの世の人は、十七、八よりこそ経読み、行ひもすれ、さること思ひかけられず。からうじて思ひよることは、「いみじくやむごとなく、かたち有様、物語にある光源氏などのやうにおはせむ人を、年に一たびにても通はし奉りて、浮舟の女君のやうに、山里に隠しすゑられて、花・紅葉・月・雪を眺めて、いと心細げにて、めでたからむ御文などを、時々まち見などこそせめ」とばかり思ひつづけ、あらましごとにもおぼえけり。三十七「父の任官」 親、となりなば、「いみじうやむごとなくわが身もなりなむ」など、ただゆくへなきことをうち思ひすぐすに、親、からうじて、はるかに遠き東になりて、「年ごろは、いつしか思ふやうに近きところになりたらば、まづ胸あくばかりかしづきたてて、ゐて下りて、海山の景色も見せ、それをばさるものにて、わが身よりも高うもてなしかしづきて見むとこそ思ひつれ、われも人も宿世のつたなかりければ、ありありて、かくはるかなる国になりにたり。幼かりし時、東の国にゐてくだりしだに、ここちもいささかあしかりければ、これをやこの国に見捨ててまどはんとすらむと思ふ。人の国のおそろしきにつけても、わが身一つならば、安らかならましを、所せうひきぐして、いはまほしきこともえいはず、せまほしきこともえせずなどあるが、わびしうもあるかなと心をくだきしに、今はまいて大人になりたるを、ゐてくだりて、わが命も知らず、京のうちにてさすらへむは例のこと、東の国、田舎人になりてまどはむ、いみじかるべし。京とても、頼もしう迎へとりてむと思ふ類・親族もなし。さりとて、わずかになりたる国を辞し申すべきにもあらねば、京にとどめて、永き別れにてやみぬべきなり。京にも、さるべきさまにもてなして、とどめむとは思ひよることにもあらず」と、夜昼なげかるるを聞くここち、花・紅葉の思ひもみな忘れて悲しく、いみじく思ひなげかるれど、いかがせむ。
三十八「別れ」 七月十三日に下る。五日かねては、見むもなかなかなべければ内にもいらず。まいてその日は、たちさわぎて、時なりぬれば、今はとて、簾を引き上げて、うち見あはせて、涙をほろほろと落して、やがて出でぬるを見送るここち、目もくれまどひて、やがて臥されぬるに、とまるをのこの送りして帰るに、懐紙に、 思ふこと心にかなふ身なりせば秋の別れを深く知らましとばかり書かれたるをも、え見やられず。事よろしきときこそ、腰折れかかりたることも思ひつづけけれ、とかくもいふべきかたもおぼえぬままに、 かけてこそ思はざりしかこの世にてしばしも君に別るべしとはとや書かれにけむ。 いとど人目も見えず、淋しく心ぼそくうちながめつつ、「いづこばかり」とあけくれ思ひやる。道のほども知りにしかば、はるかに恋しく、心ぼそきことかぎりなし。明くるより暮るるまで、東の山際をながめてすぐす。
三十九 「太秦にこもる」 八月ばかりに、太秦にこもるに、一条より詣づる道に、男車二つばかりひきたてて、物へゆくに、もろともに来べき人待つなるべし、すぎてゆくに、随身だつ者ををこせて、 花見にゆくと君を見るかな
といはせたれば、「かかるほどのことはいらへぬも便なし」 などあれば、 千ぐさなる心ならひに秋の野の
とばかりいはせて、いきすぎぬ。 七日さぶらふほども、ただ東路のみ思ひやられてよしなし。「こと、からうじて離れて、平らかに相見せたまへ」と申すは、仏もあはれと聞き入れさせたまへむかし。
四十 「荻の枯葉」 冬になりて、日ぐらし雨降りくらいたる夜、雲かへる風はげしううち吹きて、空晴れて、月いみじうあかうなりて、軒近き荻のいみじく風に吹かれてくだけまどふが、いとあはれにて、 秋をいかに思ひいづらむ冬深み嵐にまどふ荻の枯葉は
四二 清水ごもりかうて、つれづれと眺むるに、などか物詣もせざりけむ。母いみじかりし古代の人にて、「初瀬には、あなおそろし。奈良坂にて人にとられなばいかがせむ。石山、関山越えていとおそろし。鞍馬はさる山、ゐていでむ、いとおそろしや。親のぼりて、ともかくも」と、さし放ちたる人のやうに、わづらはしがりて、わづかに清水にゐてこもりたり。それにも、例のくせは、まことしかぺいことも思ひ申されず。彼岸のほどにて、いみしうさわがしう、おそろしきまでおぼえて、うちまどろみいりたるに、御帳のかたの犬ふせぎのうちに、青き織物の衣を着て、錦を頭にもかづき、足にもはいたる僧の、別当とおぽしきがより来て、「ゆくさきのあはれならむも知らず、さもよしなしごとをのみ」とうちむづかりて、御帳のうちにいりぬと見ても、うちおどろきても、「かくなむ見えつる」とも語らず、心にも思ひとどめで、まかでぬ。
四三 初瀬の夢母、一尺の鏡を鋳させて、えゐてまゐらぬ代りにとて、僧をいだしたてて、初瀬に詣でさすめり。「三日さぷらひて、この人のあぺからむさま、夢に見せ給へ」などいひて、詣でさするなめり。そのほどは精進せさす。この僧帰りて、『夢をだに見でまかでなむが本意なきこと、いかが帰りても申すぺき』といみじうぬかづき行ひて寝たりしかば、御帳の方より、いみじうけだかう清げにおはする女の、うるはしくさうぞき給へるが奉りし鏡をひきさげて、『この鏡には、文やそひたりし』と問ひ給へば、かしこまりて、『文もさぷらはざりき。この鏡をなむ奉れと侍りし』と答へ奉れば、『あやしかりけることかな。文そふぺきものを』とて、『この鏡を、こなたにうつれる影を見よ。これ見れば、あはれに悲しきぞ』とて、さめざめと泣き給ふを見れぱ、ふしまろび泣きなげきたる影うつれり。『この影を見れば、いみじう悲しな。これ見よ』とて、いま片つ方にうつれる影を見せ給へば、御簾ども青やかに、几帳おしいでたるしたより、いろいろの衣こぽれいで、梅桜さきたるに、鴬木づたひ鳴きたるを見せて、『これを見るは嬉しな』と、宣ふとなむ見えし」と語るなり。「いかに見えけるぞ」とだに、耳もとどめず。
四十六 父の帰京あづまに下りし親、からうじてのぽりて、西山なるところにおちつきたれば、そこにみな渡りて見るに、いみじううれしきに、月のあかき夜一夜物語などして、かかるよもありけるものをかぎりとて君に別れし秋ばいかにぞといひたれぱ、いみじく泣きて、思ふことかなはずなぞといとひこし命のほども今ぞうれしき「これぞ別れの門出」といひ知らせしほどの悲しさよりは、平かに待ちつけたるうれしさもかざりなけれど、「人の上にても見しに、老いおとろへて、世にいで交らひしは、をこがましく見えしかば、われはかくてとぢこもりぬぺきぞ」とのみ、残りなげに世を思びいふめるに、心ぼそさたへず。
四十七 西山なる所東は野のはるばるとあるに、東の山ぎはは、比叡の山よりして、稲荷などいふ山まで、あらはに見えわたり、南はらび双の岡の松風、いと耳近う心ぼそく聞こえて、うちには頂のもとまで、田といふものの、引板びき昨らす音など、田舎のここちして、いとをかしきに、月の明かき夜などは、いとおもしろきをながめあかしくらすに、知りたりし人、里遠くなりて音もせず。たよりにつけて、「何事かあらむ」とつたふる人におどろきて、思ひいでて人こそとはね山里のまがきの荻にあき風は吹く
といひにやる。
四八 宮仕へ十月になりて京にうつろふ。母尼になりて、おなし家のうちなれど、かたことに住みはなれてあり。てては、ただわれを大人にしすゑて、われは世にもいでましらはず、蔭にかくれたらむやうにてゐたるを見るも、たのもしげなく心ばそくおばゆるに、きこしめすゆかりあるところに「何となくつれづれに、心ぱそくてあらむよりは」と召すを、古代の親は、「宮仕人はいとうきことなり」と思ひて、すぐさするを、「今の世の人は、さのみこそはいでたて」「さてもおのづからよき例もあり」「さても試みよ」といふ人々ありて、しぷしぷにいだしたてらる。
四十九 慣れぬ宮仕へまづ一夜まゐる。菊の濃くうすき八づばかりに、濃きかいねりを上に着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに、行き通ふ類、親旅などだにことになく、古代の親どもの蔭ぱかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひに、たちいづるほどのここち、あれかにもあらず、現ともおぼえで、あかつきにはまかでぬ。里びたるここちには、「なかなか定まりたらむ里住よりは、をかしきことをも見聞きて、心もなぐさみやせむ」と思ふをりをりありしを、「いとはしたなく悲しかるぺきことにこそあぺかめれ」と思へど、いかがせむ。師走になりて、またまゐる。局して、このたびは日ごろさぷらふ。上には時々夜々ものぽりて、知らぬ人のなかにうちふして、つゆまどろまれず。恥かしう物のつつましきままに、忍びてうち泣かれつつ、あかつきには夜深くおりて、日ぐらし、父の老いおとろへて、われを事しも、頼もしからむ蔭のやうに思ひ頼み、むかひゐたるに、恋しくおぱつかなくのみおぼゆ。母亡くなりにし姪どもも、生れしよりひとつにて、夜は左右に臥し起きするも、あはれに思ひいでられなどして、心もそらにながめくらさる。たち聞き、かいまむ人のけはひして、いといみじく物つつまし。
五十十日ばかりありて、まかでたれば、父母、炭櫃に火などおこして、侍ちゐたりけり。車よりおりたるをうち見て「おはするときこそ人目も見え、さぶらひなどもありけれ、この日ごろは人声もせず、前に人影も見えず、いと心ぽそくわびしかりつる。かうてのみも、まろが身をば、いかがせむとかする」と、うち泣くを見るも、いと悲し。つとめても、「今日はかくておはすれば、内外人多く、こよなくにぎははしくもなりたるかな」とうちいひて、むかひゐたるも、いとあはれに、「何のにほひのあるにか」と、涙ぐましう聞ゆ。
五十一前の生ひしりなどすら、前の世のこと夢に見るは、いとかたかなるを、いとかうあとはかないやうに、はかばがしからぬここちに、夢に見るやう、清水の礼堂にゐたれば、別当とおぼしき人いできて、「そこは前の生に、この御寺の僧にてなむありし。仏前にて、仏をいと多く造り奉りし功徳によりて、ありし素姓まさりて、人と生れたるなり。この御堂の東におはする丈六の仏は、そこの造りたりしなり。箔をおしさして、亡くなりにしぞ」「あないみじ、さは、あれに箔おし奉らむ」といへば、力「亡くなりにしかば、ことひと箔おし奉りて、ことひと供養もしてし」と見てのち、清水にねむごろにまゐりつかうまつらましかば、前の世に、その御寺に仏念じ申しけむ力に、おのづからようもやあらまし。いといふかひなく、まうでつかうまつることもなくて、やみにき。
五二 宮の御仏名十二月二十五日、宮の御仏名に召しあれば、その夜ばかりと思ひてまゐりぬ。白き衣どもに、濃きかいねりをみな着て、四十余人ばかりいでゐたり。しるべしいでし人のかげにかくれて、あるが中にうちほのめいて、あかつきにはまかづ。雪うち散りつつ、いみしくばげしくさえこほるあかつきがたの月の、ほのかに濃きかいねりの袖にうつれるも、げにぬるる顔なり。道すがら、年はくれ夜はあけがたの月影の袖にうつれるほどぞはかなき。
五十三 水の田芹かうたちいてぬとならば、さても宮仕のかたにもたちなれ、世にまぎれたるも、ねぢけがましきおぽえもなきほどは、おのづから、人のやうにもおぽしもてなさせ給ふやうもあらまし。親たちもいと心えず、ほどもなくこめすゑつ。さりとて、その有様の、たちまちにきらきらしき勢などあんぺいやうもなく、いとよしなかりけるすずろ心にても、ことのほかにたがひぬる有様なりかし。いくちたび水の田芹をつみしかは思ひしことのつゆもかなはぬとばかりひとりごたれてやみぬ。
五十四 物まめやかなるその後は、何となくまぎらしきに、物語のことも、うち絶えわすられて、物まめやかなるさまに、心もなりはててぞ、「などで、多くの年月を、いたづらにてふしおきしに、行ひをも物詣をもせざりけむ。このあらましごととても、思ひしことどもは、この世にあんぺかりけることどもなりや。光源氏ばかりの人は、この世におはしけりやは。薫大将の宇治に隠しすゑ給ふぺきもなき世なり。あな物ぐるほし。いかによしなかりける心なり」と思ひしみはてて、まめまめしくすぐすとならば、さてもありはてず。
五十五 博士の命婦まゐりそめしところにも、かくかきこもりぬるを、まことともおぽしめしたらぬさまに、人々も告げ、たえず召しなどするなかにも、わざと召して、「若い人まゐらせよ」と仰せらるれば、えさらずいだしたつるにひかされて、また時々いでたてど、過ぎにしかたのやうなる、あいな頼みの心おごりをだにすぺきやうもなくて、さすがに若い人にひかれて、をりをりざしいづるにも、なれたる人は、こよなく、何事につけても、ありつき顔に、われはいと若人にあるぺきにもあらず、また大人にせらるぺぎおぽえもなく、時々の客人にさし放たれて、すずろなるやうなれど、ひとへにそなた一つを頼むぺきならねぱ、われよりまさる人あるも、うらやましくもあらず。なかなか心安くおぽえて、さんぺきをりふしまゐりて、つれづれなるさんぺき人と物語などして、めでたきことも、をかしくおもしろきをりをりも、わが身はかやうにたちまじり、いたく人にも見知られむにも、はばかりあんぺければ、ただ大方のことにのみ聞きつつ過ぐすに、内の御供にまゐりたるをり、有明の月いと明きに、「わが念じ申す天照御神は、内にぞおはしますなるかし。かかるをりにまゐりて、拝み奉らむ」と思ひて、四月ばかりの月の明きに、いと忍びてまゐりたれば、博士の命婦は知るたよりあれば、燈篭の火のいとほのかなるに、あさましく老い神さびて、さすがにいとよう物などいひたるが、