秘境七滝(2011.5.8)

ゴールデンウィーク最終日。
熊本日日新聞「あれんじ」のお出かけ情報を見ると、「七滝ふるさと祭り」の案内があった。
これは、年に1回しか見られないという「秘境七滝」ではないか・・・
絶対に、見に行かねば!!

役場に尋ねてみると、七滝郵便局に駐車場があり、シャトルバスが出ているとのこと。
朝10時30分から放水とのことなので、朝早くから気合入れて出かけることにした。

この七滝には、歴代の細川藩主が必ず見物に訪れていたとのこと。
今は、上流で取水されており、水が流れていないそうだ。

確かに、水が流れていない。

秘境七滝には、大学時代に行ったことがあると思っていたが・・・
しかし、どうも様子が違う。

後日、インターネットで調べてみると、黒川温泉周辺にある秘境七滝だったようだ。
ここにもいつか行ってみなければ・・・

滝壺を覗いてみた。

足を滑らせたら嫌なので、これ以上は覗かないでおいた。
道を歩くと、いつも水たまりに落ちてしまうほど、バランス感がないので、これ以上は危険だ。
自分のことは、自分がよく分かる。

七滝神社。

阿蘇家を祀っており、肥後藩主細川綱利が修築した。

神社の近くには、古い石碑が並んでいる。

郷土史家の先生が説明をしていたようだが、聞きそびれてしまった。
とにかく古くて、貴重な石碑なのだろう。

そろそろ放水の時間が近づいたので、滝壺に下りる。

急な階段を下りると、滝壺が見えてきた。
緑の水の色が、何となく神秘的に見える。

ベストショットを狙って、すでに多くの人がスタンバイしている。

水が流れる前の七滝。

待つ時間は、すごく長く感じるものだ。
みんな、まだかまだかと騒いでいる。

放水のサイレンは鳴ったが、距離があるので、なかなか水が辿り着かない。

流れる水が増えてきた・・・

どんどん増えてくる。

お〜、という声が上がるが、水が流れる轟音でかき消されていく。

すごい。
半端ない迫力に圧倒される。
水害の土石流のような勢いだ。

堰き止めていたせいか、水の色が茶色に濁っている。

鯉のぼりがあるところは、さっき写真を撮ったところ。
いま行けば、すごいことになってるだろう。

これが1年に1回というのは、もったいない。
常に、この姿が見られれば、すごい観光地になるのではないか。

滝壺の水かさもどんどん増してきた。
さっきまで人がいた場所も水没してしまった。

十分満喫したので、これで七滝とはお別れ。
毎年見に行く価値がある滝だと思う。
早朝から来た甲斐があった。

上流に戻ると、水がすごい勢いで流れている。
もちろん、こんな危ないところには近づかない。

お祭りでは、物産展が開催されていた。
けっこう賑わっている。

放水が始まってからも、どんどん人が来ていた。
この地域の一大イベントなのだろう。

七滝に行くときから気になっていた「下鶴眼鏡橋」。

通潤橋を作った名石工橋本勘五郎が掛けた石橋とのこと。
1886年に完成した。

地元のおじさん風の人から、「地元の方ですか?」と尋ねられた。

最近、こんなことが多い。
話しかけやすい感じになったのかな・・・
昔なら、話しかけにくいオーラを出していたのに・・・
面倒くさいが、良いことかな・・・

しかし、何を尋ねたかったのだろう・・・??

橋の近くにあるチッソの七滝第二発電所の入口。

チッソと言えば、水俣病の原因企業。
自前の発電所があるのだから、いまだに大企業なのだろう。
旭化成や積水化学の母体だった会社だから、当然と言えば当然か・・・

せっかくなので、御船町を散策することに。
農道を通って、八勢眼鏡橋へ。

1855年、御船の豪商林田能寛が資材を投じて設けたとのこと。
石工は、橋本甚平、卯助。

趣がある大きな橋だ。

長さは、62メートル。

下を流れる八勢川。

熊本と延岡を結ぶ日向街道。
矢部へ通じているそうだ。

すぐ近くに車道があるので、かなり雰囲気を害している。

時代劇のロケなどに最高なのだが・・・
もったいない。

宮部鼎蔵の生家跡。
簡易郵便局の敷地内に、石碑が立っている。
裏手には、産湯を使った井戸が残っている。

鼎春園。

宮部鼎蔵の一文字を使って名づけられた公園。

宮部鼎蔵。

尊王攘夷の志士。
林桜園に国学を学び、吉田松陰とも親交を深めた。
肥後勤王党に参加し京都で活動するも、池田屋にて新選組に襲われ自刃した。

東禅寺。
曹洞宗のお寺である。

甲斐宗運の菩提寺として知られている。
また、森鴎外の小説「阿部一族」で知られる阿部家の墓がある。

遠くで犬の鳴き声が聞こえていたので、ちょっと怖かった・・・

なかなか大きな寺だ。
寺の関係者が、中を案内してくれた。

西南の役熊本隊士の墓。

洞春禅師の墓。
1569年、85歳で亡くなったそうだ。

阿部一族の墓。
そういえば、北岡自然公園にも阿部一族の墓があった。

甲斐宗運夫妻の墓が大楠の下にあると言われたが、虫が多そうだったので行かなかった。

御船町を後にして、甲佐町へ。

ここは、甲佐神社。
阿蘇神社の二の宮とも呼ばれる。
阿蘇神社、健軍神社、郡浦神社とともに、阿蘇四社とされている。
由緒ある神社だ。

阿蘇の健磐龍命が朝鮮半島にわたり、帰ってくるときに対馬の女性を連れ帰った。
この二人の間に生まれた子が7歳になったとき、「甲佐明神」と名付けられ、甲佐地方を治めた。

長崎と関係のある神社だと知ると、親近感が湧いてきた。

元寇で有名な竹崎季長。
戦功が認められて、甲佐神社の社領だった海東郡の地頭職を獲得した。

「蒙古襲来絵詞」は、最初、甲佐神社に奉納されたそうだ。
明治時代に皇室に献上されるまで甲佐神社に所蔵されていたとのこと。
知らなかった・・・

願成桜。
いろいろと由来があるようだ。

なかなか興味深い神社だった。

灯篭の細工もすごい。

竹崎季長は、元寇での活躍も虚しく恩賞を得られなかった。
しかし、甲佐明神のお告げにより、鎌倉まで行き直訴したとのこと。

こういう雑学は、面白い。

家に帰る途中、地図に「そうめん滝」とあったので、探してみた。
滝なので、落差がある場所だろうと思っていたが、どうしても見つからない。

綺麗なため池があったので、とりあえず撮影しておいた。
奥では、たくましい高校生が泳いでいた。

後日、ネットで調べてみると、ここが「そうめん滝」だった。

「滝」ではなく、天然の水が湧きだす貯水池であるとのこと。
深さ2mのところから湧き出しており、農業用水として使用されているそうだ。

益城町、御船町、甲佐町は、住みやすい場所だと思う。
老後は、熊本県に引っ越して、この辺りに住もうかなぁ・・・
なんてことを思うドライブであった。

御船町を運転していたら、「山口繁少尉」の碑を見つけた。
一瞬だったので、名前は正確ではないかもしれない。
ネットで調べても出てこない・・・
ものすごく気になるので、次に機会があれば、ぜひ写真を撮りに行こう。
七滝地区には、日露戦争の凱旋門もあるという。
なかなかディープな場所のようだ。

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