ゴールデンウィーク最終日。 熊本日日新聞「あれんじ」のお出かけ情報を見ると、「七滝ふるさと祭り」の案内があった。 これは、年に1回しか見られないという「秘境七滝」ではないか・・・ 絶対に、見に行かねば!! 役場に尋ねてみると、七滝郵便局に駐車場があり、シャトルバスが出ているとのこと。 朝10時30分から放水とのことなので、朝早くから気合入れて出かけることにした。 |
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この七滝には、歴代の細川藩主が必ず見物に訪れていたとのこと。 今は、上流で取水されており、水が流れていないそうだ。 |
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確かに、水が流れていない。 |
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秘境七滝には、大学時代に行ったことがあると思っていたが・・・ しかし、どうも様子が違う。 後日、インターネットで調べてみると、黒川温泉周辺にある秘境七滝だったようだ。 ここにもいつか行ってみなければ・・・ |
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滝壺を覗いてみた。 |
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足を滑らせたら嫌なので、これ以上は覗かないでおいた。 道を歩くと、いつも水たまりに落ちてしまうほど、バランス感がないので、これ以上は危険だ。 自分のことは、自分がよく分かる。 |
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七滝神社。 |
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阿蘇家を祀っており、肥後藩主細川綱利が修築した。 |
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神社の近くには、古い石碑が並んでいる。 |
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郷土史家の先生が説明をしていたようだが、聞きそびれてしまった。 とにかく古くて、貴重な石碑なのだろう。 |
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そろそろ放水の時間が近づいたので、滝壺に下りる。 |
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急な階段を下りると、滝壺が見えてきた。 緑の水の色が、何となく神秘的に見える。 |
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ベストショットを狙って、すでに多くの人がスタンバイしている。 |
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水が流れる前の七滝。 |
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待つ時間は、すごく長く感じるものだ。 みんな、まだかまだかと騒いでいる。 放水のサイレンは鳴ったが、距離があるので、なかなか水が辿り着かない。 |
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流れる水が増えてきた・・・ |
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どんどん増えてくる。 |
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お〜、という声が上がるが、水が流れる轟音でかき消されていく。 |
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すごい。 半端ない迫力に圧倒される。 水害の土石流のような勢いだ。 |
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堰き止めていたせいか、水の色が茶色に濁っている。 |
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鯉のぼりがあるところは、さっき写真を撮ったところ。 いま行けば、すごいことになってるだろう。 |
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これが1年に1回というのは、もったいない。 常に、この姿が見られれば、すごい観光地になるのではないか。 |
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滝壺の水かさもどんどん増してきた。 さっきまで人がいた場所も水没してしまった。 |
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十分満喫したので、これで七滝とはお別れ。 毎年見に行く価値がある滝だと思う。 早朝から来た甲斐があった。 |
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上流に戻ると、水がすごい勢いで流れている。 もちろん、こんな危ないところには近づかない。 |
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お祭りでは、物産展が開催されていた。 けっこう賑わっている。 放水が始まってからも、どんどん人が来ていた。 この地域の一大イベントなのだろう。 |
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七滝に行くときから気になっていた「下鶴眼鏡橋」。 |
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通潤橋を作った名石工橋本勘五郎が掛けた石橋とのこと。 1886年に完成した。 |
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地元のおじさん風の人から、「地元の方ですか?」と尋ねられた。 最近、こんなことが多い。 話しかけやすい感じになったのかな・・・ 昔なら、話しかけにくいオーラを出していたのに・・・ 面倒くさいが、良いことかな・・・ しかし、何を尋ねたかったのだろう・・・?? |
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橋の近くにあるチッソの七滝第二発電所の入口。 チッソと言えば、水俣病の原因企業。 自前の発電所があるのだから、いまだに大企業なのだろう。 旭化成や積水化学の母体だった会社だから、当然と言えば当然か・・・ |
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せっかくなので、御船町を散策することに。 農道を通って、八勢眼鏡橋へ。 |
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1855年、御船の豪商林田能寛が資材を投じて設けたとのこと。 石工は、橋本甚平、卯助。 |
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趣がある大きな橋だ。 |
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長さは、62メートル。 |
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下を流れる八勢川。 |
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熊本と延岡を結ぶ日向街道。 矢部へ通じているそうだ。 |
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すぐ近くに車道があるので、かなり雰囲気を害している。 |
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時代劇のロケなどに最高なのだが・・・ もったいない。 |
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宮部鼎蔵の生家跡。 簡易郵便局の敷地内に、石碑が立っている。 裏手には、産湯を使った井戸が残っている。 |
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鼎春園。 宮部鼎蔵の一文字を使って名づけられた公園。 |
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宮部鼎蔵。 尊王攘夷の志士。 林桜園に国学を学び、吉田松陰とも親交を深めた。 肥後勤王党に参加し京都で活動するも、池田屋にて新選組に襲われ自刃した。 |
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東禅寺。 曹洞宗のお寺である。 甲斐宗運の菩提寺として知られている。 また、森鴎外の小説「阿部一族」で知られる阿部家の墓がある。 遠くで犬の鳴き声が聞こえていたので、ちょっと怖かった・・・ |
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なかなか大きな寺だ。 寺の関係者が、中を案内してくれた。 |
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西南の役熊本隊士の墓。 |
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洞春禅師の墓。 1569年、85歳で亡くなったそうだ。 |
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阿部一族の墓。 そういえば、北岡自然公園にも阿部一族の墓があった。 甲斐宗運夫妻の墓が大楠の下にあると言われたが、虫が多そうだったので行かなかった。 |
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御船町を後にして、甲佐町へ。 ここは、甲佐神社。 阿蘇神社の二の宮とも呼ばれる。 阿蘇神社、健軍神社、郡浦神社とともに、阿蘇四社とされている。 由緒ある神社だ。 |
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阿蘇の健磐龍命が朝鮮半島にわたり、帰ってくるときに対馬の女性を連れ帰った。 この二人の間に生まれた子が7歳になったとき、「甲佐明神」と名付けられ、甲佐地方を治めた。 長崎と関係のある神社だと知ると、親近感が湧いてきた。 |
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元寇で有名な竹崎季長。 |
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願成桜。 いろいろと由来があるようだ。 |
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なかなか興味深い神社だった。 |
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灯篭の細工もすごい。 |
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竹崎季長は、元寇での活躍も虚しく恩賞を得られなかった。 しかし、甲佐明神のお告げにより、鎌倉まで行き直訴したとのこと。 こういう雑学は、面白い。 |
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家に帰る途中、地図に「そうめん滝」とあったので、探してみた。 滝なので、落差がある場所だろうと思っていたが、どうしても見つからない。 |
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綺麗なため池があったので、とりあえず撮影しておいた。 奥では、たくましい高校生が泳いでいた。 |
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後日、ネットで調べてみると、ここが「そうめん滝」だった。 「滝」ではなく、天然の水が湧きだす貯水池であるとのこと。 深さ2mのところから湧き出しており、農業用水として使用されているそうだ。 益城町、御船町、甲佐町は、住みやすい場所だと思う。 老後は、熊本県に引っ越して、この辺りに住もうかなぁ・・・ なんてことを思うドライブであった。 御船町を運転していたら、「山口繁少尉」の碑を見つけた。 一瞬だったので、名前は正確ではないかもしれない。 ネットで調べても出てこない・・・ ものすごく気になるので、次に機会があれば、ぜひ写真を撮りに行こう。 七滝地区には、日露戦争の凱旋門もあるという。 なかなかディープな場所のようだ。 |