最近は、県内の観光をしていない・・・ 公私ともに調子が出ないのは、そのせいかも・・・ ということで、久しぶりに気合を入れて、県内を観光することに。 今回は、八代市坂本にある「百済来地蔵堂」を中心に、八代市の寺院を巡る。 百済来という地名のとおり、ここは「百済」と関わりがあるところ。 韓国好きの歴史好きとしては、避けて通れない場所である。 |
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道の駅「坂本」で休憩。 ここは、比較的地味な道の駅。 お腹が減ったので、まずは、ここで昼食。 この辺には、あまり食べるところがないので、貴重な存在だ。 |
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国道219号を南下し、県道60号線に入る。 さかもと温泉センタークレオンの看板を過ぎ、しばらく進むと「百済来」という地名が出てくる。 「百済来スポーツセンター」という施設名が地図に載っていた。 どんな施設だろうと思っていたら、単なるグランドだった・・・ 古い建物があったので、撮影。 坂本村役場百済来出張所とのこと。 今も使われているのだろうか・・・ |
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県道60号線は離合は出来るが、狭い。 運転は、ちょっと気を付けないといけない。 久多良木神社と思われる神社を過ぎた辺りで、百済来地蔵堂を発見。 道が広くなったところに駐車して、見学することに。 |
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百済来地蔵堂の参道入り口。 犬が飛び出してこないか心配なので、護身用の傘を準備。 |
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意外と、広い境内。 |
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ここが、百済来地蔵堂。 誰もいない・・・ |
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日羅の墓。 日羅は、芦北の国造阿利斯登の子。 朝廷より百済へ使わされた後、百済で官達率という高位につき、百済の国政に関与した。 敏達天皇の時代に召喚され、任那の日本府の復興について尋ねられ、方策を奏上した。 しかし、同行した百済の恩卒参官徳爾等が、百済に不利なことを奏上したと疑念を抱き、日羅は暗殺された。 その後、恩卒は討たれ、日羅は大阪に埋葬された後、芦北の地に移葬された。 そこが、この地であるとのこと。 敏達天皇といえば、蘇我馬子や物部守屋が、それぞれ崇仏派と廃仏派に分かれて争っていた頃。 この時代の日本人で、名前が記録されている人物が何人いるだろうか。 かなり貴重な存在であることが分かる。 |
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地蔵堂の天井。 天井絵が施されている。 |
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金色に輝く百済来地蔵。 日羅が芦北の父へ送ったとのこと。 身の丈五尺三寸の木彫り坐像である。 |
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日羅が進言したことが、大化の改新や近江令、大宝律令の制定となった。 さらに、五箇条の御誓文や明治憲法の基本となった。 と説明板にあったが、それは本当だろうか・・・ 怪しいもんだ・・・ |
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韓国と日本の歴史には、とても関心がある。 そのため、日羅のことは、熊本に来て、かなり早い時期に知った。 日羅とは運命的なものを感じている。 何か嘘っぽいが、これは本当。 熊本県人で、日羅のことを知っている人は、かなり少ない。 先日、佐賀県加唐島であった百済の武寧王生誕祭に参加したが、ここも韓国との交流はあるのだろうか。 こういう人物がいたことを広めて、韓国との交流にも活用すべきだと思う。 地元で、これだけ大事に守られてきただけに、非常にもったいない・・・ |
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百済来地蔵堂を後にして、次の目的地である八代市の水島へ向かう。 県道60号線を少し戻って、県道253号線へ入る。 ここも離合は出来るが、道が狭い。 やがて、国道3号に出る。 ちょうど日奈久の南、二見という場所。 眼鏡橋がたくさん残っている場所のようだが、そちらへは行かず北上する。 まだまだ、見るべきところがたくさんあるようだ。 今度、行ってみよう・・・ 国道3号から県道42号線に入ると、「万葉の里」の看板が見えてくる。 それに従い、球磨川沿いを進むと、すぐに不知火海と水島に着く。 |
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国指定名勝「不知火及び水島」。 ここは、景行天皇が食事をされたときに飲み水がなかったので、小左という者が神に祈ったところ、清水が湧き出した。 そのため、「水島」というようになったとのこと。 |
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ここが、その清水が湧き出した場所とのこと。 |
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水島の全景。 海抜11m、東西93m、南北37m。 |
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結晶質石灰岩と一部、千枚岩からなる小島であるとのこと。 |
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お社の後ろにも岩がある。 |
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石碑が立っている。 後ろの海は、不知火で有名な不知火海。 |
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大雨と台風や波浪浸食により、崩落が進んでいる。 そのため、平成18年度に崩落防止保存処理工事が施されたとのこと。 |
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お社を後ろから見る。 |
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崩落する危険性があるので、大部分が立ち入り禁止となっている。 |
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1843年、水島新地築造の際、干拓地に取り込まれる予定だった。 しかし、国学者の和田厳足(わだいずたり)の建議により、堤防を湾曲して保存された。 |
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このことは、現代の文化財保護の先駆的事例だと言われている。 |
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保存されたのは良いことだが、景観としては良いのだろうか・・・ このお社も必要だったのかどうか・・・ |
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万葉集でも歌われたという由緒ある水島。 存在を知ったのは、熊本に来てからだったが、行ってみたかったので、良かった。 ここも橋が架かっているので、厳密に言えば、離島ではない。 しかし、「島」リストに入れておこう。 |
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次に向かった場所は、妙見宮。 明治4年の神仏分離令により、八代神社となった。 |
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北極星と北斗七星の神である妙見神が祀られている。 |
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680年に、妙見神は中国大陸から亀蛇(きだ)に乗ってやってきたとのこと。 |
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妙見神の由来は、百済という伝承もあるとのこと。 いずれにしても海外からやってきた神様であり、古くから八代が海外に開けた土地だったことが分かる。 八代には、河童伝説もある。 仁徳天皇の時代に、9千匹の河童が揚子江を下り、黄海を経て八代に上陸したとのこと。 亀蛇は、おそらく玄武とも関係があるのだろう。 玄武は、高松塚古墳の壁画などで、北方を守る守護神として描かれている。 この辺りは、とても興味深い。 |
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境内では、妙見祭の出し物が展示されている。 |
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亀蛇のアップ。 ガラスで反射しており、ちょっと怖い。 しかし、長崎の龍踊りに匹敵するくらい、インパクトがある。 全国的なキャラクターになることも可能なのではなかろうか。 |
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かりんの樹。 韓国普州城で見た以来だ。 小さいが、実がなっていた。 |
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妙見祭は、国指定重要無形重要文化財に指定された。 亀蛇だけではなく、傘鉾や獅子舞など、出し物がたくさんある見どころが多いお祭りだ。 11月にあるのだが、まだ行ったことがない。 ぜひ、今年は行ってみよう。 宇城市小川町の阿蘇神社でも、亀蛇が奉納されるお祭りがある。 こちらは、毎年10月15日に開催される。 ちょっと小さ目の亀蛇だが、こちらはお客さんも少なく、ゆっくりと見られると聞いた。 |
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次に、悟真寺へ向かう。 ところが、道を誤ってしまった・・・ |
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階下釈迦堂の木造阿弥陀如来坐像という案内を見つけたので、そちらへ行くことにした。 八代神社に祀られていたが、神仏分離令により当地に移されたとのこと。 |
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地元の人たちにより、大事に守られている。 亀の台座に座っており、妙見神と関連があるとされている。 江戸時代の作。 |
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地図を確認して、悟真寺へ向かう。 |
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懐良親王の墓。 後醍醐天皇の皇子で、征西大将軍。 菊池氏と結び、九州における南朝方の全盛期を築いた。 |
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荘厳な雰囲気が漂っている。 |
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懐良親王墓。 陵墓で、名前を知っている人の墓を見るのは、初めてかも。 こちらも行ってみたいと思っていた場所。 山の中だと思っていたが、住宅地に近い場所にあって意外だった。 |
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「日本国王良懐」として明と冊封関係を結び、明の権威を背景に、南朝の勢力を伸ばした。 懐良親王と菊池氏を中心とした南朝方や九州探題今川了俊の歴史は、なかなか面白い。 菊池一族については漫画が出ているが、これは非常に分かりやすく勉強になる。 |
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墓を横から見ると、鳥居がよく見える。 もっと近づいて見たかったが、虫や蛇がいそうだったので、やめた。 |
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懐良親王の菩提寺である悟真寺の入口。 |
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菊池武朝が良成親王の命を受けて、建立したとのこと。 1390年に落成した。 |
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趣のある階段。 |
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蛇がいないか注意しながら、階段を上っていく。 暑いので、疲れるのが早い・・・ |
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木々に囲まれ、中がよく分からない。 |
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けっこうな高台にある。 八代の街が遠くに見える。 |
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樹木が鬱蒼としていて、中に入るのに気が進まない。 蜘蛛の巣もあるし、人を刺す虫もいるにちがいない。 |
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勇気を出して進んだものの、寝ている犬を発見。 恐らく、鎖がつながっていると思うが、もしも放し飼いだったら・・・ 傘で戦うには、ちょっと手強そうだったので、ここで断念。 犬が目覚める前に、帰ることにした。 ここには、懐良親王御自筆の御両親御霊牌や懐良親王の御画像が奉安されているとのこと。 申し出れば、見せてもらえるのだろうか・・・ |
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次に、春光寺へ向かった。 |
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蘇峰居士とあるので、徳富蘇峰の揮毫か。 |
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歴史がありそうな石橋を渡る。 |
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境内には、西山宗因の句碑などが雑多に配置されていた。 |
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春光寺は、細川家の家臣である松井家の菩提寺として1677年に創建された。 |
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ちょっと枯れていたが、たくさんの紫陽花が植えられている。 |
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ここは、西南戦争の戦場となったため、多くの弾痕が残っているそうだ。 予習してなかったので、確認しなかった・・・ |
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広い境内には、たくさんの句碑が並んでいる。 |
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秋の紅葉の時期は、さぞかし美しいだろう。 初夏は、虫やら蛇やら気にすることが多く、この庭を散策する気になれない。 |
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松井家の墓がある古廟は、裏山にあるとのこと。 このような季節に行けるものではない。 案内板も出てなかったし。 ここは、観光地ではないようだ。 本堂内部を見ることもできなかった。 |
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せっかく趣のある寺なのに、もったいない。 悟真寺といい、春光寺といい、消化不良だった。 |
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八代市は、観光産業に力を入れていない様子。 案内標識は字が小さく、分かりづらい。 観光地に辿り着いても、どこまで観光できるのか分からない。 文化度が高い松井家が治めた土地という恵まれた環境にあるのに、もったいない。 熊本第二の都市が、こんな状態で良いのだろうか・・・ |
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春光寺の近くには、稲荷神社がある。 近くの子供が遊んでいた。 犬が吠えたので、びっくり。 つながれていたので、ちょっと安心。 しかし、何かの拍子で鎖が切れるかもしれない。 油断は禁物。 |
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近くにあった、相良氏時代の城下町跡の標柱。 |
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南北朝時代から戦国時代末まで八代の中心であった古麓地区を後にして、有佐方面へ。 |
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ここは、印鑰神社。 毎年4月7日の鮒取り神事で有名な神社である。 祭りは、見たことがない。 |
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武内宿祢の第三子である石川宿祢が祀られている。 筑紫の凶徒を鎮めるために下向し、ここで亡くなったとのこと。 |
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かつて、八代には郡司が置かれ、八代地方の米は郡倉に収められた。 その郡倉があったのが、この地である。 |
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役所には、朝廷から渡された印と鑰(かぎ)が祀られた。 それがそのまま、この神社の名前となった。 石川宿祢が内蔵、大蔵の管理者であったことにも由来するとのこと。 |
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近くに、鏡ヶ池がある。 海が荒れて魚が獲れなかったときに、地元の若者が石川宿祢に鏡ヶ池の鮒を献上した。 その故事に倣い、今も鮒取り神事が行われている。 |
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鏡ヶ池公園の案内表示もあったが、残念ながら行けなかった。 鮒取り神事は、一度見てみたいものだ。 |
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場所は、有佐駅の裏手。 県道156号線沿いにあるが、分かりづらい。 「アーバン」というスーパーを目印にすると良い。 |
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時間が余ったので、もう1カ所「島」へ行くことにした。 ここは、紫陽花で有名な宇土市の住吉自然公園。 国道57号を三角方面に向かう途中にある。 |
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住吉自然公園の地先に見えるのが、「風流島」。 「たはれ島」や「たばこ島」とも呼ばれる。 |
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カメラの性能上、ここまでしかズームが出来ない。 島の上には、鳥居が立っている。 |
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防波堤に描かれた絵図。 雲仙島原と金峰山、御輿来海岸などが描かれている。 |
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宇土半島の付け根方面を臨む。 |
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宇土半島の三角方面を臨む。 潮の干満が激しい。 干潮の海の上を多くの人が歩いている。 |
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ちょっと違う場所から、風流島を臨む。 |
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ズームで、もう一枚。 |
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ここは、半島のように少し突き出している場所。 その高台の部分に、住吉神社がある。 虫や蛇がいそうなので、上へは行かなかった。 |
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地図によると、住吉神社のほか、ドリュー女史記念碑や住吉灯台があるようだ。 ドリュー女史とは、海苔の人工採苗法の研究をしたイギリスの博士とのこと。 |
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防波堤から上を見ると、住吉灯台が見えた。 これを以て、行ったことにしよう。 |
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風流島は、熊本市から一番近い離島。 島は、波による浸食をほとんど受けていないらしい。 直径10数メートル、外周50メートルの岩礁とのこと。 |
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風流島は、古くから伊勢物語や枕草子といった文献に登場する。 かつて、都から来た人は、熊本に船で上陸した際に、この島を目にしたのだろう。 清少納言の父、清原元輔も肥後国司として、中央から派遣されている。 八代の水島もだが、由緒ある島なのである。 こちらも、もっと活用して良い観光素材ではなかろうか。 もったいない。 ま、ただの岩礁といえば、それまでだが・・・ |
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せっかくなので、帰りに粟島神社に寄ってみた。 粟島神社といえば、小さな参道をくぐることで有名。 漢字は違うが、長崎県国見町にも淡島神社がある。 |
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茅の輪くぐり。 最初に左回り、次に右回り、最後に左回り。 これで、健康になるという。 |
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参拝すると、神主がお祓いをしてくれた。 少しのお金しか入れていないのに、ちょっと申し訳なかった・・・ |
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このミニ鳥居をチャレンジするよう言われたが、うちの嫁さんには無理・・・ 鳥居が壊れてしまうかも・・・ 神主は、大丈夫ですよ、と言うが、嫁に恥をかかせるわけにもいかない。 丁重にお断りした。 神社にあった由来によると、農作業で足腰を痛めた人たちが、この鳥居をくぐると足腰の痛みが和らいだという。 それは、鳥居をくぐる際に腰を伸ばすため。 民間療法的役目も担っており、腰を伸ばす鳥居ということで「腰延べ鳥居」とも呼ばれる。 |
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神社にしては珍しく、いろいろと神主さんが説明をしてくれた。 3月3日に大きなお祭りがあるそうだ。 面白そうなので、行けたら良いが無理かな・・・ |
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駐車場は、とても広い。 ものすごく大きな鳥居がある。 子授けの霊験あらたかとのこと。 効果があれば、良いが・・・ |
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粟島神社でもらった。 1年経ったら、川に流すように言われた。 |
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粟島神社で購入した方位除守。 生年によると、今年は北東に引き寄せられるとのこと。 良いこと、悪いこと含めて、北東から強い力が働くそうだ。 北東に気を付けて、なるべく1年間、波立つことなく平穏に過ごせるように。 これを玄関に置いて、心掛けること。 だんだんと信心深くなっていく。 これも年をとった証拠だろうか・・・ 今日は、久しぶりに多くの観光客を巡った。 やはり、土日の過ごし方は、こうでなければ・・・ 充実した一日だった。 |