今年の春は、熊本の桜を見て回っている。 昨夜の雨で、もう散ってしまったかもと思いつつ、気になっていた桜の名所に行ってみた。 大津町の瀬田神社。 県道207号を阿蘇方面に進むと、左手にある。 知る人ぞ知る桜の名所。 |
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散ってはいるものの、まだまだ美しい。 |
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阿蘇方面を臨む。 |
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熊本市方面を臨む。 道は広くなったり、狭くなったりするが、神社の前には車を停められるスペースがある。 |
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瀬田神社の由来は、よく分からないそうだ。 |
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良い感じの本殿。 |
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切り立った崖も山岳信仰ぽくて良い。 |
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地元の人たちが神社を大事に守っている。 |
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桜が満開の時は、さぞかし美しかったろう。 |
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瀬田神社の下には、「割子の水」という湧水が出ている。 |
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雰囲気の良い神社だった。 |
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菊陽町のJR原水駅の裏手を通る県道311号線に来た。 ここは、「鉄砲小路」と呼ばれている。 |
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江戸時代、ここには、普段は農耕に従事し、命令があれば鉄砲隊として戦った集団が住んでいた。 島原の乱、ペリー来航時の浦賀詰め、五稜郭の戦い、西南戦争などに参加した。 しかし、西南戦争では、ほとんどが薩軍に参加したとのこと。 |
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鉄砲小路にある蘇古鶴神社。 |
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細川忠利が熊本の鬼門となる東北を守るために、勧請したとのこと。 |
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ここも桜が、かろうじて残っていた。 |
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静かで広い境内。 |
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地元の人が清掃をしているのだろう。 とても綺麗な神社であった。 |
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青い狛犬。 |
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口をあけた緑の狛犬。 眉毛が濃い。 |
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なぜか、すごく怒っている。 |
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現在、鉄砲小路は4kmにわたり、生け垣が植えられている。 |
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まちづくりの意識が高い人たちが住んでいるのだろう。 素晴らしいことだ。 |
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浄念寺。 蘇古鶴神社の前にある。 |
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町並みが清潔で美しい。 こういうところが県内に増えれば、熊本の品格と言うものも高まるに違いない。 もっと、この取り組みが有名になればいいのに、と強く思う。 |
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菊陽町から移動して、熊本県北部の黒髪へ。 ここは、拝聖院。 |
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西南戦争の際に、旧細川藩医であった鳩野宗巴たちが、赤十字的な活動を実施した場所。 日本赤十字社の前身となる博愛社の活動よりも早かった。 |
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鳩野宗巴は代々、その名を継いで、熊本藩医となった。 医者として10代目まで続いたとのこと。 |
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裏山に、なぜか由比正雪の腰掛石があるそうだ。 慶安事件の前に、ここを訪れたとのこと。 本当だろうか・・・ |
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大学時代、この近くに住んでいたのだが、全然知らなかった。 |
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場所は、朝日野病院の近く。 かなり分かりづらいと思う。 |
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熊本の名門と言われる濟々黌高校。 ここの桜は、比較的散らずに残っていた。 大学生の時、この道を通学していた。 懐かしい場所だ。 |
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国道3号へ出る途中、大楠がある神社に寄った。 |
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この辺に、何かの碑があったような気がしたが、勘違いか・・・ |
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国道3号を超えて、必由館高校へ。 熊本電鉄の線路があった。 この辺は、住宅地の中を線路が通っている。 |
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必由館高校。 私立大学のような校舎だ。 かつての熊本私立高校である。 |
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ここに、採釣園がある。 |
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国道3号に案内標識が出ていたので、気にはなっていた。 高校の敷地内にあると聞いていたので、なかなか行けなかった。 |
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細川家三家老の一人、米田家の別邸の庭園として、1670年に造られた。 |
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泉水と築山に松や紅葉を配した回遊式庭園とのこと。 |
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漢詩から「採釣園」と名付けられたそうだ。 |
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高校の敷地内にあるので、なかなか観光地にはなりにくいのかもしれない。 しかし、来訪者が多いのか、ここの高校生は来た人に、きちんと挨拶をしていた。 挨拶をされると、気持ちが良いものだ。 |
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井上毅の誕生地碑。 大日本帝国憲法、教育勅語、軍人勅諭の起草に関わった。 |
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井上毅が産まれた際に、産湯に使った井戸。 |
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米田家子弟教育のための私塾跡。 |
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必由館高校の前を通る熊本電鉄の軌道。 奥に寺院が見えて、狭い道路と軌道がある景色が下町の感じをよく表している。 |
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今日は時間があるので、頑張って、市内に残る庭園を巡ることに。 ここは、熊本市島崎にある「叢桂園」の駐車場。 駐車場の裏手には、竹林が広がっている。 ここを登ると、何があるのだろうか・・・ |
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「叢桂園」の入口。 無料で、園内を散策することが出来る。 |
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村井家の別荘。 村井家は、代々学者の家として知られているとのこと。 |
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何かの礎石のようだが、説明がないので、よく分からなかった。 |
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清水が流れている。 紙尾川の流れを引き込んでいるとのこと。 |
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村井見朴、椿寿は、藩の医学校である再春館の創立に尽力した。 |
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1818年には、頼山陽が村井蕉雪を尋ねてきた。 その際、一日中、庭作りを手伝わせられたという。 |
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ベンチがあるが、なかなか座って眺める気持ちにはなれなかった。 もっと整備すべきではなかろうか・・・ |
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無料とはいえ、市の観光地であるのであれば、もっと綺麗にしておくべきだろう。 説明も少ないし、これでは、せっかくの庭園がもったいない。 |
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「来者不拒 去者不逐」の句碑があったそうだが、分からなかった。 入口は、趣があって良いのだが・・・ 暑くなったら、蛇や蜂などが出てきて危ないかも。 |
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叢桂園の先にある「釣耕園」。 |
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細川藩のお茶屋の一つで、三代綱利の代に「続家」に与えられた。 現在もそのままの姿で残っているそうだ。 |
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この道をまっすぐ行ったところに、叢桂園がある。 |
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こちらが、「釣耕園」の入口。 |
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入口までの道は綺麗に掃除がされており、塀も趣があって良い。 |
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建物には入ることは出来ないが、椅子が置かれており、ゆっくりと庭を眺めることが出来る。 |
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古そうな石仏があった。 |
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こちらは、現当主が特別に観光客に開放しているとのこと。 |
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そのため、静かに観光しないといけない。 もちろん、ごみも捨てないように。 マナーを守ること。 |
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大きな池がある。 先ほどの叢桂園と違い、見応えがある庭だ。 |
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綺麗な庭を散策したかったが、犬の気配を感じたので、ここで断念。 |
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釣耕園から岳林寺方向へ上ると、金峰山湧水群の一つがあった。 |
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昔から地域の人の水汲み場として使われていたのだろう。 しかし、今は、湧水量が極めて少なくなっているようだ。 |
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熊本市内にも湧水が出ている場所が、いくつかある。 70万人都市の水道水が、地下水で賄われていることは、熊本の自慢。 蛇口をひねると、ミネラルウォーターが出てくる。 もっと、観光客が地下水と接することが出来る場所があれば良いのだが・・・ |
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少年の家跡湧水池。 かつては、実業家古荘家の別邸があった場所。 古荘健次郎氏は、大阿蘇観光、千丁、千徳百貨店のほか、熊本日産自動車などの経営に参画し、九州産業交通の創立にも関わった。 貴族院委員も務めたとのこと。 |
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今日は、広い範囲で、いろいろと回った。 鉄砲小路と蘇古鶴神社では、まちづくりに熱心で、意識が高い住民により守られてきた景観に感動した。 一方、叢桂園や釣耕園は由緒ある庭園でありながら、あまり観光地として知られておらず、もったいないと感じた。 しかも、叢桂園は整備もされておらず、放置に近い状態。 ここを整備すれば、岳林寺、三賢堂、そして、本妙寺といった上熊本周辺の観光コースが出来上がると思うのだが・・・ 城彩苑など、新しいものを作るのも良いが、古いものの整備も大事だと思う。 加藤・細川の文化を大事にすることが、熊本の価値を上げる。 こういう庭園資源がない長崎から見ると、とても羨ましく思えるのだが・・・ もっと活用すべき! |