はじまり
2001年12月2日,日曜日。それは,いつものように始まった。
土曜日の夜,いつものように会があり深夜に帰宅。翌日は,これもいつものようにバスケットの指導に。
二日酔いの重たい頭を持ち上げ,気分だけは昨日を引きずりながら体育館へ。
ひととおり指導し,心地よい汗をかく。これで半分抜けたな。ゆっくり昼寝をしようと,我が家へ戻る。
いつもと違い,妻が具合悪そうにしている。時々戻しており,顔色も至って悪い。二日酔いの私にも一目で分かるくらいだ。
「病院に連れてって。」
「うん。何処が空いてるか調べてみるね。」
「できれば総合病院がいい。」
「総合病院?うっ,うん。分かった。」
早速新聞を見て,病院へ連絡を取る。ここから,百合野病院とのつきあいが始まった。
診察を受け,レントゲンを取りに行く,出てきたときは車椅子だ。「どうしたんだろう?」妻の顔は意外とにこにこしていた。診察室に入れられて 「腸閉塞ですね。しばらく病院で様子を見ましょう。点滴が必要なので・・・。」
「えっ,緊急入院。」あいたー!こりゃ困ったぞ。
妻は,何となく予想していたようで,少しばかりの準備物を持ってきていた。「これと,これと,これを持ってきて。」これまた,手際の良さには 脱帽です。早速自宅に戻り,指定されたところにある物をメモを見ながらそろえて病院へ。
もう点滴が始まっており,鼻にはチューブがつっこまれていた。自由がきかず,さすがに嫌そうだった。「もうー!管だらけでいっちょんすかん。 」そうだろうなぁーと思いながら,いつ治るのかを考えていた。「2・3日すると腸の調子は戻りますよ。そのあと,重湯から始めて,調子を診る ので1週間くらいかな。」医者からいわれ,「やっぱりそれくらいかかるかぁ。」「評価の時期に,大変なことになったぞ。」このときは,まだ,自分 のことを考えていた。それから,子供達をつれて外食を終え,とりあえずしなければいけない仕事を一気にしてしまう。
すべては,そんな心持ちで始まった。
異変
3日もすると,ものすごく元気になる。
「早くいろんな物を食べたいなぁ。」これは,早く治りそうだ。そう思いながら病院食が始まる。
ところが,食事後2・3時間すると,お腹に張りを感じると言うのだ。先生が回診にきたときは張りがなく,様子を見ようということですんでいた。ところが,張ったときに診てもらったところ,ちょっとレントゲンで診てみようということになり,検査へ。
その日の夕方,2人で主治医のところへ。「腸のところのここが,くびれていますね。体の筋が巻き付いて狭めているのかなぁと思われます。とりあえず,腹空鏡で中を診て,必要だったらその筋を切りましょう。そしたら大丈夫と思います。」
「他に心配なことはありませんか?」率直に尋ねてみた。
「まれに,悪い病気のこともありますが,奥さんの場合,2回の血液検査でも心配な数値は出ていませんし,CTでも異常は発見されていません。」ほっとすると同時に,いかにも簡単な手術のようで安心もする。「不正出血があっているので,念のため婦人科の専門病院で検査を受けておきましょう。」軽い気持ちで受けとめ,12月8日の土曜日に検査に行く。検査はかなり痛そうだった。後に手記を見ると「メチャ痛かった。吐く。」と書かれていた。そういえば,腹部を押さえて初めてとぼとぼ歩いた時だった。
「まあ,この際お腹の中を診てもらって,ちゃんと治してもらった方がいいよ。」気楽な言葉だった。
手術は12月13日の木曜日,午後1時からに決まった。「給食を早めに食べれば間に合うな。」午後の自習だけ考えればいいや。まだ,そんな気持ちでいた。
衝撃
手術の日,代教の先生にクラスを任せ,年休を取り自分だけ早めに退庁。病院へ急ぐ。
「頑張れよ。」形式どおりの言葉をかけて送り出す。「うん」
予定どおり手術ははじまり,待合室で一人待つことに。この時間を利用して,仕事でもと思い看護婦さんに,この部屋でパソコン使ってもいい か尋ねる。残念ながらダメということ。仕方なく,児童名簿を使って,所見の下書きをする。こういうときは,意外とはかどるものである。1時間半 ほどすると眠気がおそってくる。仕事・家事,ちょっと疲れてるかな。しばらくウトウトと・・・。3時半には出てくるはずだけどなぁ。もう時計の針は 3時45分をさしている。どうしたんだろう,簡単な手術のはずなのに・・・。
3時52分。先生が待合室に来る。「ご主人,ちょっといいですか。」主治医の顔は,いたって平静のように見えた。その様子から,悪い予感は しなかった。手術室横の部屋に通される。「どうでしたか?」席に座りながらもう尋ねていた。
「厄介なものが出てきました。」レントゲン写真を指さしながら,「ちょうど狭くなっていた部分のところです。腸自体がこんなになっていました。」
「わたしたち外科医は,こういう硬いものが出てくると・・・・。」「きわめて,体に悪い物質と思われます。この堅さは・・・。経験上,悪性腫瘍と思います。」「ただ,腸に腫瘍ができることはほとんどないんですよね,99%以上。」
何を言っているのかよく分からなかった。「そうですか。」心の中では,まだ良性腫瘍であることに期待を持っていた。今までも,胸の筋腫や首筋のしこりを取ったが,いずれも良性のものだった。しかし・・・,
「できるところまで腸を引き出して診てみたんですよ。もう一箇所そういうところがあって,取れるところは取りました。」「それから,腹膜のところにも点在していました。」
「えっ。なに?点在!」
「癌はステージってのがあって,今はWのbという診断になります。」
「よんのビー?」手を握りしめていた。背筋はピンと張っていたとおもう。小刻みにうなずきながら聞いていた。かなり悪いのだということは,表面上分かった。あまり突然のことでピンとこない。ひととおりの説明を聞いているうちに,とにかく顔が見たくなった。「もうさめましたか?」
「ええっ。」「ただ,もう少ししてから病室の方に移動します。しばらく待っておいてください。」「この病変を検査にかけますので,10日位で結果が出ると思います。詳しいことは,それまで待ってください。」希望と,諦めとが入り交じった状態で,病室の前に行く。
30分ほどしてICUに戻ってきた。ひどくきつそうである。はきけがひどく,痛みもすごいよう。このまま大変なことになるんじゃないかなと思うくらい。とりあえず,子供たちに晩御飯を買って帰り「お母さんが大変さね。今日は戻ってきーきれんかもしれん。兄ちゃん,あとは頼むよ。」そう いい残すと急いで病院へ。病院へ戻ってみると,さっきとはウソのよう。そんなにきつそうにしていない。
「どうだ?」
「うん。大丈夫。これこれ。」
見るとメスシリンダーのようなものが管で背中につながっていた。痛み止めらしい。
「あーっ,よかった。一時はどうなることかと思ったよ。」(まあ,腸を引っ張り出しているのだから,どうでもない方が不思議だな。)
医者からの話を聞いたあとだったためか,いつもよりたくさんのことを話していた。結婚後,こんなに多くのことを話したのはなかったほどだった。次から次ぎに言葉が出てきた。いや,話す端から言葉を見つけていたのかもしれない。とにかくつながりが持ちたかったのだろう。3時間ほど話をして,大丈夫なことを確認して帰宅することにした。
喜び
術後は,日に日に元気になった。
2日後,白山家の法要があり,親戚が集まる。これにはゆかりも参加をしたかっただろうが術後のためさすがに病院で静養していた。法要後,親戚一同が見
舞いにいこうかということになり,私もいつもは遠慮するところ,「ぜひ,行ってください。みんなで行きましょうか。」と誘っていた。元気な姿をみんなに見てほしかった。いや,見せたかった。「あと何回会えるか分からない・・・。」心の中で,一人,しかもそっと考えていた。
病院に着くと,元気に相手をしていた。もう良くなる一方だ。なんの疑いもなく,今までのことを細かに説明しながら,もうこれで大丈夫と言わんばかりだった。「そろそろ,いろいろせんといけんかなぁと思っとるとさね。自分だけずーっと寝とったけん。」私の方をみて笑いながら話す。確かに,2週間も家を空けてたのは初めてのこと。そろそろ戻らないといけないなという正直な気持ちが言葉になっていた。「そうさねぇ。」親戚のみんなに同意を求めるように言葉を返した。
「みんながどっと来たけんびっくりしたろ?」「いっぱいで来たけん,癌かなんかじゃないかと思ったんじゃなかと?」
「わっはっは。」みんな笑っていた。ゆかりも,そして私も・・・。そうだ,検査の結果はまだ出ていない。こんなに元気になっている。たとえ癌だとしても,しっかり切除したんだから,心配ない。自分に言い聞かせながら・・・・,
「小林さんは,あの時もう知っとったんよね。だからあんなに言ってみんなを病院に行かせたんやろうね。」と後に親戚のみんなから言われる事も心のどこかで予感していた。
とにかく,これで回復する一方だと誰もが信じ,談笑したひとときだった。
検査
腸内の閉塞部分は切除されたため,体調はどんどん良くなり,本人としては退院を待つばかりになった。
しかし,私と主治医は別のことを考えていた。何処から飛んできたものだろう?小腸が出発点ということはほとんどあり得ないという話だったから。CT・MRI血液検査,この病院でできうる限りの検査を続けていた。本人には,腸の快復具合を見ているといいながら。しかし,写ってこない。姿を現さないのだ。主治医もかなり細かく見ていってるのだが,原発を特定できず多少あせっていた。
そうしている内に,腸から切除したものの検査の結果が出た。本人には内緒で,主治医から結果を聴く。検査結果は,転移性悪性腫瘍。「子宮もしくは膵臓からの転移の可能性が高い。」という検査結果だった。重い結果ではあった。しかし,不思議なことに,まだ道は閉ざされたとは感じなかった。主治医は,「なかなか見つけきらないんですよね。」正直に現状を話した。「今度,全身に造影剤を流してとにかくみてみようと思うんですよ。」「原発がはっきりしないと・・・」治療法が決定できないのだろうと思った。私も,とにかく何処を治したらいいのかそれが知りたかった。造影剤を流すことで発見できると感じながら,頭を切り換えて病室へ行く。
「なんの話だった?」
「うん。腸の回復状態のMRIとかの写真を見せてもらったっさ。」
「なーんだ。退院の相談かと思った。」
「うん・・・・・。」話を変えて病室をあとにした。
告知
主治医から話があるとの連絡が入り,病室に行く前に主治医のもとへ。造影剤を流しても,発見することができなかった。これだけ調べても分からないのだから婦人科系の疑いが濃い,とのことだった。「今日の検査で,本人もなぜこんな事をしなければいけないのかと疑いをもってきている。この年齢ならば,やはり病気と闘ってほしいので本人にも知らせたいのだが。」と告げられる。「分かりました。」自分自身にも言い聞かせるように,小刻みにうなずきながら答えた。「今からいいですか。」余りの突然さにどうしていいか分からなくなりながらも,とにかく一緒に頑張ろうと自分に言い聞かせながら,ゆかりを病室に呼びに行く。「一緒に話があるって。」それだけしか言えず,二人で主治医のもとへ。ゆかりは,きっといろんな事を予想しながら廊下を歩いていたんだろうが,私はゆかりの顔を見ることもできず少し前を歩いていた。主治医から説明を受けた。「若いし,子供さんのことを考えると,ぜひ病気と闘ってほしい。民間療法を含めてとにかく頑張ってください。」これからの方法についても話があった。ゆかりの頬に一筋,涙がこぼれた。何とか支えていかなければ,ただそれだけを考えていた。できるだけ冷静に。現状を科学的にとらえることで感情に流されまいとしていた。病気を治すんだ。クールになることがそのための道と考えていた。
再検査
12月25日,学期末の校務整理の日だったが,年休を取り,紹介を受けた大学病院での検査に連れて行く。産婦人科の待合室に二人並んで座っているのはイヤではなかったが,気持ちはやはり重かった。問診があったが,担当者からは今までの様子を聞かれるのみ。すぐに検査をしてもらうが,異常は見あたらないとのこと。しかし,実際にゆかりの体からは悪性腫瘍が見つかっており,原発をたたかないとますます広がってしまうじゃないか。不安でいっぱいだった。「2度調べて,白なのに,これ以上こちらの方でどうすることもできないですね・・・・。」「こういうことは,時々あるんですよ。癌という病気はまだまだわからない部分があって・・・・。」担当者の言葉はわかるが,これではわたしたちの不安はいっこうに解消されなかった。この後どうすればよいのかと途方に暮れながら病院を後にした。
しかし,昼は一緒に西洋館へ。豆腐料理だったら大丈夫だろうと思い外食することにした。病院での重い気持ちを振り払うように,食事中は子どもの話や若いころの話に興じた。2人だけでの外食なんて何年ぶりだろう。こんな事がなかったら,この先しなかったかも。恋愛時代に戻った感じがした。「とにかく,異常がなかったんだ。腸が原発で全部取れたのかもしれない。」心の中でそう言い聞かせていた。このまま全てが解決してくれれば・・・・・。
知らせ
12月27日,主治医より,「以前検査をした病院から,疑わしい細胞を発見したとの連絡がありました。明日また,大学病院に行って詳しく調べてもらってください。」とのこと。やっぱりか。翌日,大学病院で子宮体部の組織を採って検査する。結果が出るのは,年明けの2週目くらいとのこと。年の暮れに重い知らせだった。
団欒
年末の30日,四日市から妹一家が来る。いきなりの訪問だった。姉の様子を心配して急遽里帰りをしてくれた。実は,事前に連絡があったが,ゆかりに知らせるといろんな準備をして体を動かすので,内緒にしておいてくれとのことだった。妹の心遣いが嬉しかった。妹は料理が得意で,普段食べられないものを手早くつくってくれる。あら煮や炒め物など,左利きにはたまらない。ついつい酒もすすむ。こんな調子で,年末年始は,家の中でゆっくりと過ごすことができた。何処にも行かなかったけれど,楽しい正月だった。(この年は初めて野球チームの年始回りにも不参加となる。我が家に最後に寄ってもらうのが恒例だったのだが。来年こそは,また賑やかにやろうと思いつつ・・・。)
結果
1月11日,9:00に大学に行く。担当者から子宮癌であることを告げられる。どういう治療が適しているかは今から考えていくとのこと。とりあえずベットが空き次第入院して治療に入りたいとのこと。そのために,今から出来るだけの検査をしてくれといわれる。その日のうちに,レントゲン・心電図・血液検査等を済ませる。翌週には,血管造影,MRI等ほとんどの検査を終える。いよいよ始まるなぁという感じである。
入院したら,ゆっくり家族で過ごすことは出来ないだろうと思い,あわてて温泉旅行を計画する。1月26日(金)に雲仙の旅館がとれ,それ以前に入院とならないように祈るような気持ちでいた。1月25日,大学より連絡があり,1月29日(火)に入院が決まる。何とか間に合った。この旅行は家族にとって大切な旅行になりそうだ・・・・。つくづく感じた。
新たな年
いよいよ,新たな年になりました。大晦日はテレビを見ながら過ごしました。諒太朗はとうとう起きたまま新しい年を迎えました。
紅白を見ながら,ガクトのところと,さだまさしのところで心が重くなりました。ゆかりがいたらきっとガクトは楽しみにしていただろうなぁと思ったり
精霊流しはやはり思いを込めて聞いていました。しかし,ふたりの息子達は,相変わらずじゃれ合って夜遅くまではしゃいで1年を終えました。親の
心子知らずとはこのことか・・・。でも,それでいつも助けられています。
そろそろ,リスタート切らなければと思っています。でも,今までのように一直線というようにはならないようです。自分というもの,家族というもの,
真理というものをじっくり考えながら進んでいければと考えているところです。ひょっとしたら,進まないことが多いかも知れません。屁理屈を言うお
やじにはならないつもりですが,物分かりのいい大人ではなくなるかも知れません。とにかく,親子3人でいろんなことを見つめながら生活していくつ
もりです。これからも,みなさんと一緒に過ごしていきたいと切に望みながら・・・。