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精 神

[第5回] あてつけ について

あてつけとは、相手への不満や怒りを遠まわしに表現すること。
言いたいことを言い合う、喧嘩という形ではなく、嫌味、皮肉、意地悪・・・といったもの。

相手が、自分の行動や言動に対し、嫌悪を抱いた場合に、
「そんなつもりでやった(言った)んじゃないのに」
と、言い訳できるし、
「考えすぎだよ」
と、さも相手が悪いかのように振舞うことができるんです。

本当は、堂々と相手を攻撃したいけど、それが叶わないから、解からないように、見えないように、
ただ、相手が感じ取れるように責めるのです。

なんかこれだけ見ると、嫌な感情だなと思われそうなので、わかりやすく、内容的に説明(わかりやすいのか?)。

乱馬くんとあかねちゃんに見る、あてつけ の例。

乱馬くんとあかねちゃんにはたまに、あてつけが見られます。
ふたりの関係がまだあまりすすんでない頃のあてつけと、すすんでからのあてつけは微妙に違います。

≪例≫

6巻
乱馬くんがあかねちゃんと初めて修行にきたとき、
乱馬くんがあかねちゃんの作った料理がおいしくなくて、それでふたりは喧嘩になります。
そこに良牙くんが現れて・・・あかねちゃんが、良牙くんのとこに行っちゃう。

この、あかねちゃんの行動があてつけってことになります。

料理を食べてくれない乱馬くんに不満や苛立ちをもったあかねちゃんは、
良牙くんのところに行くことで、乱馬くんに対してあてつけてる訳です。


この場合のあてつけは、
あかねちゃんは、はっきりと料理を食べてくれないことへの不満を乱馬くんに訴えています。
だから、あてつけ だけど、乱馬くんにとって、非常にわかりやすいです。
どうして、あかねちゃんが良牙くんの元に行くのか、その原因がなんであるか、わかっています。
これはまだ、乱馬くんが自分のことどう思ってるのか探ってるとこが、あかねちゃんにあったと思われます。
だから、口に出して、乱馬くんに知らせつつ、あてつけを行っているわけです。

そもそも、あてつける というのは、相手が自分を好きであると確信がなければ成立しません。
乱馬くんが、あてつけすることによって、やきもちを妬いたり、
自分のことを大切な存在であると気づかせるのが、あてつけ本来の目的だと思われますので。
わかりにくくなればなるほど、ふたりの関係は進んでいるのではなかろうかと考えられるのです。


27巻の破恋洞の話。

あかねちゃんが良牙くんを頼った場面で、乱馬くんは自分には素直に頼まないのに、
良牙くんにはしおらしくかわいらしくお願いしてる所を目撃して、右っちゃんの腕を取るわけです。

『な・・・なんだよあかねのやろー、良牙にはやけにかわいーじゃねーか。』

この気持ちが、あかねちゃんに対する不満材料になってます。


そんでもって、その先、乱馬くんは右っちゃんが、しゃくが・・・と苦しんでるのを助けようとして、
それをあかねちゃんは自分にはそんなに優しくしてくれたことないのにと、良牙くんの腕を掴むわけです。

『あたしにはこんなにやさしくしてくれたことないくせに。乱馬なんか・・・』

この気持ちが、乱馬くんに対する不満材料になってるわけです。


この場面でのあてつけは、前と違って、この時点で相手への不満を全く表面化させていません。
お互いに、どうして相手がそんなことをするのか見えにくいわけです。
だから、ふたりとも、相手が気に入らないことをするから・・・と、あてつけをしあってしまうのです。
もしここで、乱馬くんが「なんでそんなことするんだ。」とでもいえば、「やきもち?」という話になり、
あかねちゃんが、乱馬くんに対して想ってる不満を口に出す機会が生まれます。
こうなれば、乱馬くんもあかねちゃんがやった行動の意味が理解できるわけです。

お互いの関係が深まるほど、気持ちが近づくほど、はっきりとした形での喧嘩は見られず、
じめじめっとした感情の動きが見られがちだと思われます。

少しばっかりやっかいなこんな感情を曝け出せる相手であると、ある意味、信用しているということなのかもしれません。
こんな自分を出してしまったら嫌われてしまうかもしれない・・・という想いよりも、
こんな自分をわかってくれるんじゃないだろうか・・・という想いがあるのではと、そう考えられます。

お互いに抱いている不満や怒りを表面化できず、あてつけあっていくと、
どんどん深みにはまるように、泥沼化してしまうとこなんですが、
乱馬くんとあかねちゃんは最後に言いたいこと言い合ってるんです。
(良牙くんと右っちゃんを喧嘩にまきこんだと思い込んでの言い合いなんですけど、
結果的に見て、あてつけを行った場面での気持ち・・・相手への不満を口に出しています。)
だから、あてつけてたときの不満を、ここで昇華できちゃってる訳なんです。
これが出来てるってことは、お互いにちゃんと理解しあっているということの証明といえます。

「けんかするほど仲がいい」

と、あかねちゃんが言うとおり、
けんかをするのは相手に自分のことを理解してほしいと思うところからきてるので、
結果的にどうなるかはふたり次第な訳ですが、
最終的にはっきりと意思表示したふたりは・・・仲がいいってことになります。


・・・って、本当はこんな感じで、この精神ってのやってきたかったんです。
ようやく、やりたいように出来たのですっきりよかった・・・。


[第4回] 素直じゃないのは何故?

乱馬くんとあかねちゃんって、なんで素直じゃないんだろう・・・と考えていったら出てきた答え。
が・・・やっぱり自分的な偏った思考なので、ちっとも深くはないです。

素直じゃないのは、自己防衛のため。いざというときの言い訳。
もし、好きな相手が自分のことを好きじゃない場合、自分に言い訳できるから。
本当は好きなのに、口では嫌いって言ってて、その好きな相手から自分のこと嫌いって言われたとき、
自分だって、相手のこと嫌いって言えるから。
乱馬くんもあかねちゃんも、気持ちを伝えるのも、受け止めるのも、あんまり上手じゃないから、素直じゃないように思います。
自分の気持ちを見せる前に、相手の気持ちを知りたい・・・って、思ってるから、
つい、自分の本心を隠したまま、相手のこころを覗こうってばっかりする・・・
そんな態度の人に本心なんて見せられないから、相手だって本心を隠す・・・結果、素直じゃなくなる。なくなってる。
言葉として口から出るのは、気持ちとは正反対の言葉。
本当は気持ちを知りたいし、見たい気持ちがあるけど、
だからって、叶うかわからないのに、自分の気持ちを素直に曝け出すことなんか出来ない。
こう思うのは、当たり前じゃないかと思います。
相手の気持ち、知りたいって思うから。 好きな相手に、自分が相手を思う以上に愛されていたいから。

あかねちゃんが最終話で言った、「乱馬・・・あたしのこと好きなんでしょ?」は、まさにそれだと思いました。
あかねちゃんは乱馬くんに愛されてるって実感できても、なんとなくだけど、やっぱり素直じゃないような気もしなくはないですが。
乱馬くんは押しに弱いから(笑) あかねちゃんが乱馬くんに好きって言ったら、ひょっとしたら素直になってくれるのかもしれない・・・。
と、ちと原作ちっくなまとめ。

私的だと、あかねちゃんは素直かつ従順なイメージなので、乱馬くんの愛を得るために素直にいうこと聞いてほしいです。
乱馬くんも、当然の如く素直。あかねちゃん以上に素直です・・・。

[第3回] どうして好きになるのか?

ひと言でいうと、投影のなせる技。
投影・・・自分の中にある理想の異性像を相手に投げかけるということ。
投げかけた相手を理想化してしまうから、その相手が素敵に見えて恋に落ちてしまう。
でも、このままだと、ただの幻想。恋に恋する状態。
この状態で、相手の本当の姿を見てしまうと冷めてしまう。
ここで必要になってくるのは、投影の引き戻し。
どういうことかというと、自分の足りない部分を知ること。
投影している、理想のイメージの中身を知れば、相手に何を望んでいるかがわかる。
自分の理想と相手の本当の姿とのギャップをちゃんと理解して埋めていければ、相手のことをずっとずっと好きでいられる。
自分を見極め、相手を知っていくことが、好きが愛するに変わるのではないかな・・・と。
恋愛が肉体的・心理的に足りない部分を補い合って、全体性を取り戻そうとしていると考えられているってとこからいくと、
ああ、なるほどなぁって頷けました、私は・・・っていう程に私の考えとか書いてる物、深くないんですけど(冷汗)
でも、そういう方向で目指していきたいなっと、そう思ってます。出来るかどうかは相変わらず謎(阿呆)
中世「きみをしりたい」を書き出した位に、真剣に考えてしまって、それで時間がかかってたりしてたんですが(言訳)
恋とか愛とか、難しいなぁ・・・だから、乱馬くんとあかねちゃんに嵌っているのかも・・・と思う今日この頃。

[第2回]  純精神的恋愛

一応そういう感じで作っていきたい部分なので(汗)
というか、やっぱりここって語られていくのねって・・・趣味です。
プラトニック・・・理性的。こころで理解。気持ち重視。目には見えない形での触れ合うこころ・・・みたいな感じ。
身体が触れ合わなくとも、そこにその存在があることが愛しい。
触れ合うのが恥ずかしいからって言う訳じゃなくて、純粋ってこと・・・かな。
これが愛の最終的な形なのか・・・・・それはわからないです。
ただ、こころのつながりで相手を理解し愛せるということは、表面的ではないからすごいなと思う。
ある意味、相手のこころが読めてるし、見えてるってことだし。内面的。
私的には口に出さずとも目でわかる(目は口ほどにものを言う)というのが理想。
もう、言葉もいらん。アイコンタクトオンリー。
それが私の思う、乱馬くんとあかねちゃんの至上の愛・・・かと。

私の描く乱馬くんとあかねちゃん、一応こういう感じを目指しては・・・いたり。
原作、まさにこんな感じだと思うです。好きな愛の形だから、惹かれてるんだと思うし・・・。
な割には、私の妄想偏っているというつっこみはなしで(汗)

[第1回]  愛するということ

やっぱり乱馬くん×あかねちゃんを描いているので、基本中の基本「愛」についてがはじまり。
愛・・・お互いの満足と安心が同じ重要性を持つこと。即ち価値観の一致と同化みたいなものかなっと、考えております。
私が価値観を推している理由だったりですな。 初めて書いた話「幸せの価値観」に答えがあるかなっと自分では思います。
乱馬くんはあかねちゃんが幸せであり、いつも笑顔で過ごしていくことが、自分にとっての幸せであり、喜びである。
あかねちゃんは乱馬くんが幸せであり、安らぎをもって暮らしていくことが、自分にとっての幸せであり、喜びである。
と、お互い思っているんじゃないかと。
愛するということ・・・相手を思いやるこころを持つこと。
そうしたら、相手の喜びも悲しみも理解できて、もっと相手を深く知って、魅力にふれられると思う。
だから、乱馬くんはあかねちゃんを身体を張って一生懸命守るし、
あかねちゃんも乱馬くんを命懸けで守ろうってするんじゃないかと。

乱馬くんがあかねちゃんを守るシーンで好きなのは・・・31巻の錦の蝶ですかね。
あかねちゃんを守る時の乱馬くん、かっこいいっと、あかねちゃんひいきな私が思うくらい(笑)
私はここの乱馬くんの表情といい、守り方といい・・・多分、一番好きです。
あかねちゃんは、どこでも乱馬くんのためにいじらしいほど頑張っているので選べません。ひいき目です。てへっ(>_<)

乱馬くんとあかねちゃんが理想ですね。だからこのふたりが好きなんだろうな。