プロローグ
今を溯ること二百年前のことである。
かつて人間は地球と呼ばれる惑星に生活していた。
ヒトの歴史はその惑星自身の歴史に比べればほんの瞬き程度に過ぎないが、ヒトは文明を築き上げ、ヒトが初めて文明を手に入れてから四千年を数える頃には、ヒトは栄耀栄華を極めていた。
そしてもう少しすれば、宇宙への進出も可能であったと言われている。
それを確かめる術は今では残されていない。
何故なら、地球暦一九九九年七月のある日、六十億人以上存在した人類は一億人に激減した。
第三次世界大戦も、核爆発も、何も起こらずにである。
それはまさに一瞬のことであった。
一瞬世界は闇に包まれた。
太陽は音を立てることもなく爆発し、消滅した。だが次の瞬間には再び太陽は光り輝き始めた。それは今までの太陽ではなく、新しい太陽であった。
……一億の人々がそれを確認できた。
闇に包まれ、そして再び光が戻ったとき、隣についさっきまでいた母や、父や、友人たちがいなくなったと考えてみるといい。
なかにはそれすらもできない人達がいたということを。
そう、ヒトだけだった。
小鳥たちは何事もなかったかのように囀り、木々はその風を一身に受け、さやさやと心地よい葉音を立てている。サバンナではライオンたちが狩りに勤しんでいた。
ただヒトだけが、恐怖に、絶望に、悲しみに、絶叫を上げた。
人々は事態を正確に把握するために、国籍を問わずスイスという国に集った。国家間のコンピューターネットワークのホームページが誰かにより開設され、そのネットワークを利用した一人が提案したのである。
発起人は日本の女性であったという説が有力ではあるが、正確には記録に残っていない。伝わっているのはその会議の内容である。
まず全世界の状況を把握すること。
利害関係など無視して、『人類』という一種族としてこの事態を乗り切ること。
地球すべてを一つの国として、共有すること。それはヒトだけのものでなく、すべての生命持つものの地球であることを再認識すること。
生き残った人々を統率する機関を設立すること。
「本来なら……もっと早くにこういう会議をを持つべきだった。ひょっとしたらこれは神よりの警告と、裁きであったのでは?かの予言者、ノストラダムスの予言のように、我々は滅びかけた。いや、滅んでしまったのかもしれない。我々は奢り、高ぶりすぎたのだから」
発起人とされるこの女性の言葉は、この時の会議で決議された議定書に、前文のような形で残された。
それから、数日で統一機関は機能し始めた。
不思議なことにこの混乱に乗じて暴動を起こそうとする輩は一人たりとも存在しなかった。
生き残った人々は誰もが自然を愛し、滅びていく自然を憂いていた、心優しい者たちであったという。
女性が残した手記にはこう記されている。
「まるで『最後の審判』のようだ。本当に敬虔なる神の子らだけを救うという神の裁き。だがそうならば、『最後の審判』を信じ、救われることを願い、日々信仰をしていた人々がすべて生き残らなかったのは……やはり信仰心の違いだろうか。生き残った人々は皆が同じ神を信仰している訳でもないようだし。皆優しく、聡明だ。心が澄んでいるようにも思える。誰かが本当に心を基準にして選んで生き残らせたかのように。選んだのが神だろうと何だろうと、その判断に私は大いに敬服する。だが根本的におかしいのは……この私が生き残っていることだ」
女性がどんな人であったのかは全くわからない。
だが先見の明があり、人々を指導する力を十分に有していたと思われる。
また少々皮肉好きであったようだ。その女性が会議の発起人だという証拠される手記の端々にそんな印象を受ける言葉がある。
その皮肉の中には、真実があった。
誰よりも、真実を見極めていた。
だからこそ、この異常事態に対し早急に策を練れたのだと。
一年後、人々は宇宙へ旅立つことを決意。
地球を原始のままにしようと、その女性が提案したらしい。
幸い数学者や物理学者、科学者などは生き残っていた。彼らは今まで軍や国によって極秘とされてきた知識や技術をすべてをつぎ込んだ。結果、あの日から三年経つころには、亜地球型のスペースシップは完成に辿り着いていた。
女性は完成した五台のスペースシップを『方舟』と名付け、人々を分乗させ、かの神話のように、つがいの動物達を乗せて地球を立った。
地球を、放置することが最良の治療法と、女性は残している。
それからゆるやかに人々は生活していた。いつか第二の地球となる惑星にたどり着くことを夢見ながら、人々は『方舟』で過ごしていた。
奇跡は、それだけではなかった。
「……最近奇妙な力を身につけてしまった。私が子供のころによくテレビでやってたやつみたいなのを。あれは幽霊やUFOの類いだったけれど、これは少し違う。笑うかもしれないけど、自然そのものを見てしまったような気がする。擬人化した自然を。私にショックを与えないよう、私がすぐに納得できるように彼らが取り計らったかのようなやつを。それから超能力かな。ものが動くって訳ではない。ものを壊せる力だ。念を込めると粉々にコーヒーカップが砕けた。あれには驚いたな。
それと、この力を認めた途端、私は理科系に目覚めてしまった。
難しい公式や物理などを、感覚で理解できたのだ。学者の皆……特にアルの……驚いた顔には笑わされた。私は文系だと最初に豪語していたし、大学の学部だって人文学を専攻していることだって最初に教えた。この前わが家にご招待したときだって、昔の通知表を見て『貴女は文系だね』って、彼ら自身も認めたのだが。
この力が一体何なのか、私にも分からない。だがこの力を地球のために生かしたい。その気持ちだけは変わらない。
にしても……おもしろい力だな」
彼女はその力をもってスペースシップの完成に貢献したという。
また、彼女は日本人という民族だが、議定書に署名している名前は、無国籍の響きのする名前である。
「国という集合体が滅した今、私の名前をこの名前にすることでそれを確立する」
という一文が添えられている。
《シオン=フォレスト》
彼女が愛した自然を形成する要素の一つ、《森》を英語という言語で訳した時の言葉であるとのことだ。
またその言語自体が今では既に現存しておらず、ましてその文法などは古い文献を調査しないと分からないほど、時は経過した。
《シオン》の名が彼女の本名であったのか、それとも作ったものなのかは不明である。
今では、シオン=フォレストの名が人々の口に上るのは、彼女が始めてその力を身につけた者であると言うときだけである。
《方舟》の船団はそれぞれが違う航路を取った。
その中の一つが、地球を立ってからわずか二年あまりで新しい大地を発見し定住した。
二年間の間に《ワープ》という技術が確立されたからであるが、それもまた力に目覚め始めた人々の手によるものであった。
皆が皆、身につける訳ではないこの力を、いつしかひとは《魔導》と呼ぶようになった。
二百年という時の中で……かつて『方舟』で新天地を目指した人々の中に再び母なる地球へと帰還するものもまた現れた。彼らは無秩序状態の地球で独自の秩序を作り上げ生活していた。犯罪者が溢れ、武器商人が横行し、麻薬が溢れ……混沌とした二〇世紀末の混乱が地球を支配していた。
中には《魔導》を乱用し、人々を傷つけるものもいた。彼らは魔導の力に目覚めていないものを見つけては、魔導エネルギーによる衝撃波で引き裂き、力あるものを見つけては、その腕を比べ、罪もない人々を巻き込んだりしていた。
あらゆる悪行を積み重ねるが、それを取り締まる秩序はない。自衛手段しか存在しないのだ。しかし魔導に目覚めていないのでは、無力である。そしてこの力はだれでも目覚めるという訳ではない。
人々は求める。正義の力を。
自分たちの故郷、地球の目に余る惨状に『方舟』の指導者たちは、頭痛の止まない日々を送っていた。
戻って、強力な組織をおくべきだという者。
このまま地球を見捨て、自滅を待つという者。
しかし彼らは自分の船の住民たちの安全と幸福を優先させねばならなかった。
『……簡単なことだ。彼らに正義の心を植え付ければいい。自衛の奨励をすればいい』
会議の場に突然現れたシオン=フォレストはそう告げた。
人々は突然現れた二百年前の人物に驚く事なく、彼女の存在を受け入れた。それがごく当たり前のことであるからだ。
会議の重苦しい雰囲気を払うかのように優雅に微笑んだシオン=フォレストは続けた。
『我々が赴き、秩序を整えるのはごく簡単なこと。しかし二百年前、我々は母を捨てたのだ。彼女が今一度微笑む日が来るまで、彼女を放置することを決めたのは私とお前たちの先祖だ。……確かに予測範囲にあった。人々が地球に戻るだろうということは。そして……無秩序の中を好む輩が生まれるということも……』
さらりと青色の髪が流れる。
『……私は甘やかすのが嫌いだ。滅びを選ぶか、存続を選ぶかは母なる地に立つ者に任せる。だが……母なる地を汚す者は許さない』
かつて再び核を地球で使おうとした者がいた。しかし今にも……という時にシオン=フォレスト直属の《騎士団》によって抹殺されたというのは有名な話である。
『ああ、そういえば肝心な策について言うのを忘れていたな。何、賞金をつけてやればいい。こちらが定めるのは賞金首とその額だ。その程度の秩序は、もたらしてやってもいいだろう?』
こうして現在の地球に《賞金稼ぎ》という新たな職業が生まれた。
賞金稼ぎたちは犯罪者を見つけ、《パンドラの箱》と呼ばれる片手ですっぽりと覆えるほどの小型機械に、その指紋を登録する。その時点で逮捕ということになり、賞金を貰える。
指紋をパンドラの箱に登録された犯罪者は、指紋を登録された瞬間から特殊な魔導の力場が発生するため、そのパンドラの箱を持つ者から離れることができない。そのまま管理センターへの連行を余儀なくされるである。
『自らの手で、秩序を勝ち取るがよい』
管理センター・賞金管理課設立式に送られたシオン=フォレストからのメッセージは、賞金稼ぎたちの心の支えとなった。
二〇世紀末の鬱々とした世界情勢を彷彿とさせる西暦二二三一年の地球。
それでも人々はゆっくりとした、時の流れの中にいた。
時折起こる大小さまざまな犯罪に対し、怯え暮らしていた日々は、少しずつではあるが遠いものとなっていった。
それでも存在し続ける犯罪。
世界でトップを争うほどの反映を誇示していた国があった。
今ではかつての整然とした町並みと、魔導に目覚めた者達による近代的建築物、そしてスラム街が混在する街へと化していた。
日本国、と呼ばれていた時代があった。現在の正式名称は『日本地方』である。
東乃竜司を祖父とする従兄弟たちはその国で生まれ、育った。