言葉の後に、潮騒のように沸き起こり、霆のように響き渡る歓声。
全ては一人の男に向けられた賞賛で、誰一人俺のことなど見ていない。
誰一人。
「ストレイボウ」
少しだけ疲れたような笑顔で、ただ一人俺を見つけたのは他でもなく、その賞賛を浴びていた男。
差し伸べてくる手を俺は無意識に掴もうとしていた。
「オルステッドよ」
突然の主君の声に打たれたように振り返り、そのまま互いの手は虚空を掴む。
それはまるで、後の俺たち運命のような、虚無の栄光。
Your Smile,Your second fiddle.
「難しそうな本を読んでいるな」
それは遠い昔。俺たちがまだヒヨッコの訓練兵だった頃だ。
粗末な兵士の鎧にたくさんの傷をつけて、友人はにこやかに声をかけてきた。
「基礎中の基礎の本だぞ。お前だって読むように言われたはずだ」
「苦手だから」
事もなげに言ってのける根性に俺は肩を落とした。
「だからって読まないのはマズイだろ。全兵士に剣術も魔術も基本だけはどちらもってのは昔からルクレチアの……」
「試験の時には何とかするさ。今はこいつの方が楽しい」
かちゃりと腰にある長剣の止め具を鳴らす。
魔術のほうはまさに「基本だけ知ってる」と言って憚らない男だが、剣術のほうはおそらく近い将来、国一番の腕前となるだろう。
天賦の才能と言う奴が、溢れているのを感じる。
「お前だって剣術の型ぐらいはマスターしてるんだろうな」
「苦手だから」
ぱたんと本を閉じる音と、俺の言葉のどちらに驚いたのか……友人は腹を抱えて笑い出した。
屈託のない笑顔は、不思議と心が和むものがある。
その日は朝からなんだか虫の居所が悪かった俺でさえ、つられて笑い出すには十分な威力を持つ。
「とはいえこいつばかりは才能だからな」
つんつんと俺の手にある本を突く。
「お前のように、こう、なんていうかな、うまく……魔力というやつか? 手繰れないんだ」
「才能なんて俺にはないよ」
あるとすればそれは……今目の前で難しそうな顔をしている男の腕にこそ宿っている。
「よく言うよ。昨日図書館から上級魔道書を持って出てきてた。あんな分厚くて重いもの、私には武器にしかできない」
見ていたのか。それにしても……。
「世の賢者たちが聞いたら嘆きそうだ。だが思わぬ役に立ったと悦ぶかもな」
「あんな重いもの持てるぐらいなんだから、こいつも軽いだろ」
無造作に投げて寄越したのは、友人が腰に下げているものよりは一段と軽いショートソードだ。
突然のことだったが辛うじて受け取る。魔道書とは違う異質な、冷たい重さに戸惑う。
「いきなりだな」
「剣術の試験のほうが魔術の試験より先にあるんだ。まずは私が型を教えてやるよ。だから」
ばしっと手を合わせる。
「魔術のほう、なんとかしてもらえないか?」
まっすぐな姿勢と声と、視線。
変わらない。ガキの頃からずっと、変わらないんだな。
魔術の威力は魔力に比例する。
それは当然のことなのだが、魔力の絶対量については個人差があるともないとも言われていて定かではない。質に関しても同じことだ。
世界に溢れる自然の力を自分の魔力を媒体として具現化するものや、自然そのものを司る精霊たちに魔力を通じて干渉するものなど多種多様にわたる。
単純に言えば、己の魔力を形にすることさえできれば過程を細かく考える必要はない。魔力の多寡が問題になるのは力を具現化できるようになってからの問題であって……。
「って、お前、本当に簡単に言ってくれるな」
教え方の巧い友人のお陰で剣術の試験はとりあえず合格したものの、方々が痛む。その恨みを込めているわけではないのだが、これ以上噛み砕きようがない。俺より圧倒的に難しい課題を与えられながらも難なく突破した友人は、今度は剣で一刀両断できないものを相手に苦戦しているというわけだ。
「お前なぁ……これ以上どう易しく説明しろって言うんだ?!」
友人はあれだけハードな動きをしておきながら、どこも痛がっている節がない。怒鳴ると同時に腕に軋むような痛さを走った。
こういうものには得意・不得意があるものなのだと分かっていても釈然としない。
「魔力を形にする過程……かな」
「基本……」
呆れて声が出なくなった。流石にコレばかりは感覚の問題だ。だからこそ先達の本を読んで感覚を養うしかない。
基本書さえも読み流していたというのだから、救いがない。
「本を読むのは嫌いじゃなかったはずだろ」
割と、剣術の訓練がない日には図書室にいることが多いことぐらい知っている。読んでいる本までは分からないが、見当はつく。さらにお気に入りの席もあるらしい。何せ……。
「さすが図書館の主には隠せないな」
「勝手に役職につけるな」
魔術をより精度の高いものにしようと目指せば、魔道士が図書館に籠るのは当たり前の話。そうなればイヤでも目にする機会は多い。
「兵法書や戦記、歴史書は面白くて読み進めるのは楽なんだが……」
こうも予想通りの行動だと呆れて苦笑するしかない。
「仕方ない奴だな……俺が師匠にガキの頃言われたのでよければ教えてやるよ」
ガキの頃、のあたりを強調して言ってやると、さすがにむっとしたらしい。にやにやしている俺を不機嫌そうに睨んだ後、憮然と頷く。
「ドラゴンとかグリフォンとかでいい。自分がかっこいいと思うものを考えるんだ。そいつが自分の中で「外で暴れたい」って思っていると考える。あとはそいつの手助けをしてやるだけだ。氷を吐きたいのか、霆を呼びたいのか……一番自分が強いと思う自然現象を考えてそいつに使わせてやればいい」
「使わせる?」
「そうさ。自分にできないのなら、そいつにやらせる。それだけさ」
どこか、余計に不機嫌になったように眉を顰める。
「どうした」
「……いや、分かり易いんだが……なんとなく、な」
友人の視線は遠い空へと向かう。
自分にできないことがあることへの、不満、不服、苛立ち、焦燥。
……違うな。
「言い方が悪かったな。「使わせる」んじゃない。「手を貸す」んだ」
正義感。
生真面目な友人には我慢できないことだったんだろう。
俺の言葉に、ほっとしたように笑顔を見せる。
「すまない」
過去に何度も、似たようなことで困らせてくれた、融通の利かない友人だが、それでも俺は、まだ一緒にいたいと思う。
たぶん、この笑顔に騙されているんだと、自分でも可笑しくなる。
断末魔の叫びを上げて、魔物がまた一匹絶命する。
武術大会の後、魔王に攫われたアリシア姫を救うためと、単身飛び出そうとした友人の背中に俺は声をかけた。
それから勇者ハッシュ、賢者ウラヌスらとともにこうして魔王山を進んでいる。
友人はあまり話をしなくなった。
姫を目の前で攫われたふがいなさを後悔し、責めているのかと思ったが、どこか上の空で悩んでいる風でもある。
何を思い悩む必要があるのだろう。
今までのようにまっすぐ、進めばいい。そして……また手にすればいい。
「ストレイボウ!」
低い警告に顔を上げる。
目の前に迫る魔物に、俺は声を失った。魔術を使おうにも、集中する時間がない……!
「ストレイボウ!」
今度は、聞きなれた声。次の瞬間、炎のドラゴンが魔物を飲み込んだ。
しかし、ゆらりと炎の向こうで魔物はまだ俺を捕らえ続けている。
「くっ……レッドコート!」
高密度の熱波が魔物を吹き飛ばす。二度も炎の魔術を食らい、魔物は灰燼へと帰した。
……魔術?
すっと手が差し出される。
「お前のお陰だ」
「……なんのことだ?」
「ずっと昔、教えてくれただろう? コドモでもできる魔術の使い方だ」
にっと白い歯を見せて笑う。
差し出した手をいつまでもとらない俺を不思議そうに眺めて、二、三瞬きした後、手を引く。
「子どもの頃から、ドラゴンはかっこいいって思っていたから、お前に教えられた日からずっとイメージしてたんだ。ドラゴンが火を吐くっていうのは、簡単に想像できたから」
無邪気に話を続ける友人を、遠巻きに同伴者たちが眺めている。昔の話を持ち出されて、気恥ずかしくて居心地が悪い。
そういえばこんな風に話をしたのはいつが最後だっただろう。
訓練兵から一兵卒になり、互いにそれなりの功績をあげて肩書きが重くなってからは、疎遠になっていたような気がする。
「やっとできたよ。ありがとう。お前のお陰だ」
屈託のない笑顔でもう一度手を差し出してきた。俺はその手を軽く弾き、こんと鎧の胸板を叩く。
「遅いんだよ、バーカ」
「なっ……悪かったな!」
正直で、まっすぐで、諦めることを知らない。
だからこそ俺は……。
名前を、俺以外の人間に呼ばれ、友人は俺の横を通ってそいつの元に行く。言葉をいくつか交わすと、俺の方を向いて先を急ごう、と告げた。
掌に残る、魔力の欠片。
それは俺のものではなく、友人が放った一撃の名残。
純度の高さを窺い知るには十分なそれを、俺は知らずのうちに力任せに握り締めていた。
お前の笑顔は、好きだった。
まっすぐで、ひたむきで、だからこそ力強くて、一緒に目指していけると思ったから。
共に歩み、共に進む道は、いつまでも一緒に歩いていけると信じていた。
崩落する魔王の部屋に騒然となる。
「姫は……姫はどこに……?!」
悲鳴のようなウラヌスの声とは別に、酷く冷静な友人の声がした。
「ストレイボウ、一旦退避するぞ。ここに姫がいない以上、このままここにいても危険なだけだ」
司令官のような冷然とした声に、ことんと何かが倒れたような気がした。
こんなときでも、お前は冷静でいられる。
感情を押し殺して、最善を尽くそうとする。
どうして取り乱さない?
最愛の女性がいなかったことを、何故悲しまない?
あの夜。
俺は確かに城内にいた。
そして、今度も。
俺の影に潜むもの。
ハッシュの言うとおりここに魔王はいなかった。
「決着をつけよう」
「ストレイボウ……どうして……」
ぼろぼろになりながらも、奴はここにきた。
何を求めて、何を信じてここまできたのか、どうでもいい。
俺は手に入れたものを手放したくはない。失いたくはない。
そして、失ってしまったものには、もはや興味はない。
それだけだ。
俺が本気であることを悟ると、奴は剣を構えた。
嫌になるほど見てきた、正騎士の流儀に則った構え。よくできた彫刻のように、狂いのない構えは美しくさえある。
失いたくはなかった。
友人という、ただ一つの肩書き。
お前の笑顔は好きだった。
でも、お前の背中は、好きになれなかった。
後書きという名の反省文及び嘆願書
しまてま様のストさんイラスト&モノローグに感動した結果、こんな風に暴走しました。よって文中ラストの台詞は拝借したものです。うわーい、あの世で詫びよう。
ストさんは「うっわ、裏切りやがったよコイツ」程度の感想しかもっていなかったのですが、方々のサイトさんで「可愛さ余ってナントヤラ」論 見てから、ああそうかもと。というわけで「可愛さ余って憎さ無限die」が私の中での新たなストさん像です。
ちなみに「魔王になるほど真っ直ぐすぎた騎士さん」につきましては、一度「全開魔王モード」で駄文を書いているだけに、すっげー扱いが難しかったです。
オルさんは魔王でいてください……。