少し長いEPILOGUE(務めからの解放感 byラッケス)

浮遊島崩壊とともに戦士たちは一番初めにきたテルテナ神殿にきていた。
 満身創痍だった彼らはいつの間にやら完全回復。ボロボロの武器防具とともにである。
「よくあるよね。最終ボスを倒すと回復するってパターン」
 しみじみと自分の掌を眺めながらセレイがぽつりと呟く。
 セレイがせっかく『他人事で消滅』の危機から逃れられたのに、どうして暗く沈んでいるのか、理由はあえて言いますまい。
『よくやってくれました……異世界の戦士たちよ……』
 どんよりとした暗雲を払いのけるかのような神々しい光とともに、我らが母、ラサ・リューノ様が降臨なされた。おお、何と目映い! すべての封印が解け、完全に《神》と戻られた証拠ですね。
「ラサ・リューノ……」
 ミウが『初めて』感動したようだ。
『皆には苦労をかけました……』
「ねぎらいの言葉何ぞどうでもいいから、さっさとすべて教えろ」
 あ、セレイ、不機嫌。まるで数学の問題が解けずに、そのうえ後には英語の宿題もつかえているときのようだ。
 ラサ・リューノ様、復活なされた早々にこんな奴らと付き合わなくてはならない貴女を私はふかーく同情致します。
『そうですね。では何から話しましょうか』
 セレイの不機嫌の理由を知っているからこそ、ラサ・リューノ様は少しばかり悲しげにその麗しき御顔の表情を曇らせる。
 謎解きの開始である。

「どうしてあたしたちが選ばれたの?」
 胸当ても取ってラフなスタイルに戻ったミウが明るく質問する。
『最後にとっておきましょう?』
 にこっとラサ・リューノは微笑まれる。こうなるとテコでも言おうとしないことは重々承知しているので、言及しない。

 さて、訊きたいことはいっぱいある。どれから言えばよいのやら。となると、戦士たちは口々に訊きたいことを言っているので、もはや言葉ではない。ただの喧噪。
 参加者三名、傍観者一名。
『一つ、物語を聞かせましょう』
 やっとのことで、ラサ・リューノ様はそう言われた。そうですね。それが一番早い。

 遥かな昔。俗一般に『創世紀』と呼ばれる、世界創造の時代があった。
 混沌とした世界から、神の中の神、エフェザスは世界をお造りになられた。
 世界が創造されたと同時に、動物、植物、自然、そして、魔物が生まれた。
 神の起源やら魔物の起源やらまで話していると、五百年はかかるだろうし、それだけかかっても解明できる問題かどうか謎が残る。まあ今回は省いても支障はないので、省いて話そう。
 エフェザスはこう呟いた(らしい)
『この世界を守るものを』
 エフェザスは万能の神。絶対神。一つの世界に固執することを許されざるもの。すべてを司るゆえの絶対の理由。
 神様って意外に不便、と思ったでしょう? セレイがかつて言った通りなんだよなぁ。
『完璧なものなんて存在しない。神様何ぞ世界が存在しないと存在理由がない』
 ともあれ、エフェザスは新たに造られた世界を任せるために、己の翼から対なる男神と女神を生み出した。
 左翼からは女神、右翼からは男神……が生まれるはずだった。
 ところがエフェザスは連日連夜の休みなし、ひたすら魔物と戦え、二十四時間戦えますか(ちょっと違うような気がする)状態であったため、神を生み出す力が弱かった。
 結果として左翼からは確かに女神が生まれたけれども、右翼からは神に近しい《ひと》が生まれた。
 その男の名は、セリゼ・リュード……。

『神に近い人間であったため、彼は地上に容易に降りることができ、そして魔物と戦うことができました。ですが《ひと》であるゆえ、どんなに力を振るおうとも、世界の均衡を崩してしまうほどではありませんでした……私はその彼を導き、見守ることが許されたもの……』

 やがて群雄割拠に跳梁跋扈な魑魅魍魎(何を言っているんでしょう、私は)の時代を終え、セリゼ・リュードは世界を救った騎士として崇められた。
 その後、彼は人間たちの町づくりなどを、王国の形成を手伝い……そして、伝説の騎士として消えていった。
 その実態は。

『神に近しい《ひと》である彼は、《ひと》の寿命よりはるかに長い命を持っていました。ですから、《神の使い》であり《ひと》として人間たちに受け入れられている彼が、やがて長き寿命の後に人間たちに《魔物》と恐れられるようになりました』

 それを恐れたラサ・リューノ様はセリゼ・リュードに告げた。
 平和になった世界に、戦いの英雄は不安要素である、と。
 やがて始まる愚かな人間たちの権力闘争の中で、戦いの英雄の存在は戦乱を招く格好の餌となる、と。
 セリゼ・リュードは素直にそれを聞いた。
 そして浮遊島へと隠遁した。
 《約束》が果たされるまでの時を、待つために。

「ありゃ、じゃあ、あれは当たりだったのか」
 セリゼ・リュードとの戦闘中に適当に言ったあれ。
「そういえばリトもそんなこと言ってなかった?」
 ミウがリトを覗き込むように問う。が、リト、見事なシカトをする。どうせラサ・リューノ様が話されるであろうから、言っても無駄と踏んでいるのだ。本当に自分の口を使わないやつ。
『……約束とは、セリゼ・リュードもやがては寿命が尽き、そして転生の時を迎えるのです。幾度かの転生を繰り返した後、いつかは神になれると……』
 そうすれば、《神》であるラサ・リューノとともに、世界を見守ることができるのだ。
「……で何年の寿命で、何回ぐらい転生すりゃあいいんだ?」
 テイルが大欠伸をしながら(フトドキ者!)訊く。
『千年の寿命と、その後、普通の《ひと》としての人生を千回送る、だけだったのですが……』
 ぱかっ、と戦士たちは口を開けたまま凝固した。
「そりゃあ……待つ方がヘンだぞ」
 テイルが素直に感想を述べた。ラサ・リューノ様もそう思われ……てない、てない!
 悲しげに目を伏せると、
『えぇ、確かに長すぎました。気が狂ってしまうには十分なほどに……彼は、本当に寿命が訪れることは知っていました。ですが死を待つだけに、ただ一人でいる彼は……』
 狂わない精神を私は疑いますけどね。
『やがて彼は、自分を浮遊島に《閉じ込めた》私と、エフェザスとを憎むようになり、世界崩壊を望むようになったのです』
 そう思うようになったのは、隠遁して二百年ぐらい経ったころ(らしい)
 二百年でも十分に長い。その間、セリゼ・リュードは全盛期の力を失いつつあった。
 ところで、二百年もすれば、良い噂に悪い噂と流れるものである。
「おいおい知ってるか? 浮遊島には二百年前にラサ・リューノ様に封じられた魔物がいるらしい」
「ああ、知ってるぞ。そろそろ解けるんだろ?」
 なんて無責任な会話が昼下がりに交わされるようになったころには、浮遊島には我こそは勇者というような猛者が集まり……セリゼ・リュードの格好の餌になった。
 叫んでいたでしょう? セリゼ・リュードがそんなことを。

『長き時の果て……彼は約束を忘れてしまった……』
 しんみりと悲しげに呟かれ、さすがに戦士たちは押し黙ってしまった。
『死ぬことすら忘れ、いえ、私たちに復讐するために死ねなかった彼は、ようやく安息のときを見出せた……感謝します』
「ちょっ、ちょっ、ちょっとーっ、じゃどうしてさっさと神様にしてやんなかったのよ!?」
 ミウがぱたぱたと手を振り回して、悲鳴のような質問をする。
『約束を守ってくれると、私がただ信じていただけ……私はまだ先見の浅い(若い、なんて言葉は神には存在しませんよ)神でした。……もっと早く、気づけばよかった。魔物と化してしまったときには……もう、遅かった……』
 血を吐くように、涙を落としながら……ただの一人の女性がそこにいる。
「あっそ」
 まったくそういう他人の恋事情に興味を示さない冷血女があっさり切り捨てた。慰めの一言ぐらいほしいものだ。
『ですから、私は最後の賭けをしました』
「何?」
 うどろんとしているテイルを肘でつつきながらミウ。
『……私の力を封じさせ、一つでもいい、私の力をセリゼ・リュードが内に取り入れたならば、そのとき、約束を思い出してくれることを』
 ぴたっ、と戦士たちは止まった、テイルなんかぱっちし目を覚ましたぐらいである。
「なんだってー!!」
 一斉の雄叫び。
「じゃあ何だぁ、オレたちはてめーらの色恋沙汰に巻き込まれて、てめーの命を張ってまで異世界を救いに呼び出されたってか?」
 可能ならば、襟首を掴んでやろうかというような勢いでセレイが吠える。
 まぁ、それも少しはあるけれど、実は別に理由はあるんだよね。ま、それは、『次の機会』に話してあげよう……くすっ。

 とりあえず、吠えさせるだけ吠えさせた後に、ラサ・リューノ様は今まで無言を保ってきたリトの前に立つ。
『セリュード……ありがとう』
 突然の感謝の言葉に、事情が呑めない人々は首を傾げた。リトを除く。
「………」
『貴方が、彼の『光』の部分を継いでいたのですね』
 さらに首を傾げる。自分の与り知らぬ所での話をとことん嫌うセレイが、
「証明しろ」
 ぎゅっとリトに首に腕を回して、というとなんだか艶なのだが、早い話、すりーぱーほーるどなるものをしながらリトに向かってこう言った。
 リト、条件反射で理路整然とした説明を始めた。
「セリゼ・リュードにだって光と正義の心が残っていた。待っていなくてはならない、自分は本来世界を守るべきものなんだという心が、自分の暴走を止めたがっていた。だが心の大半を占める破壊の衝動の前にはあまりにも無力だった。だから俺にその心を守らせた」
「仮定はわかったけど、結論は」
「……俺がセリゼ・リュードの初代転生者だ」
 ぐきっ、といい音が神殿に響いた。
「いでぇーーーー!!」
 テイルが首をさすりながら悲鳴を上げている。
『……単細胞』
「確かに」
 フランス語を知らないセレイでも、『単細胞』という単語は覚えてしまった。ミウが痛いと飛び回るテイルに魔法を施す。
 ん? セリゼ・リュードは生きていたのに、転生者がいる理由? それはそれ、彼は『神様候補の人間』でしたから、人知を越えた摩訶不思議が起こってもおかしくないのだ。
「道理でセリゼ・リュードに似てたのか。じゃ、その心の中の《光のセリゼ・リュード》がお前にわけのわからん知識を吹き込んでいたってわけか」
「ああ」
 テイルを罵るミウという微笑ましい光景を見ながら、二人は話を続ける。
「わかんねーやつ」
 セレイがからかうように、認めるように呟き、リトはフンと惚れ惚れするような笑みを浮かべる。
「いつからだよ」
「学校で本を開けたときから、夢の中に出てくるようになった……睡眠学習だな、あれは……浮遊島につくころには、どうして俺たちが選ばれたのかもわかるようになった」
「本当!? じゃあ教えてよ」
「まだ時じゃないってさ」
 フッと微笑む彼は、まさしく光の貴公子! だが容姿と反比例した心の冷たさよ!
 ぽかぽかとテイルを叩くミウ。それからまた鬼ごっこの始まり。
「元気なやつ」
 ぽつりと呟くセレイ。
 と、後ろに光が差したのを感じたセレイが振り返る。
「あ、ラサ・リューノ」
 少しばかり悲しげに微笑を浮かべたままのラサ・リューノ様を見て、セレイは思い出したように、
「ねぇ、ラサ・リューノ」
『何ですか』
「待てるのかよ」
 唐突の問いにラサ・リューノ様の方が吃驚なされた。セレイの口から出るとは思えないほど、憐憫のこもった声である。
『………』
「創世紀が一体何年前なのかわかんねーけど、今度はこれから千回の転生を待たなきゃいけねーんだろ。長いぜ?」
 しばらく、ぱたぱたと子供が駆け回るような擬音だけがうっすらと青く光る神殿に響き渡った。無言に聞こえるほど、その音は遠く……あ、ただ単に二人が遠くまで鬼ごっこの範囲を広げただけか。
 やがて、ラサ・リューノ様は決意したような声で、
『……待ちますわ。私だって彼を待たせてしまったんですもの』
 にっこり微笑むと同時に、ぽろっと涙が落ちる。
 ぐすっ、ちーんっ、ああ私、涙が止まりません! なんていじらしい! なんと健気! かつての恋人を、本来そのために呼んだわけではない戦士たちに殺させなくてはならなかったその御心……水晶よりも美しく、もろいその御心……ああ、お察し申し上げますー。
『セレイ、ありがとう』
「別に……それよりさ、どうしてオレたちがここにいるのかが気になる」
 ひつこいぞ、セレイ。
『こうして世界を救ってくれたではないですか。それでいいのでは?』
 むっと口を尖らせたセレイを見、その後ろで鬼ごっこの観戦中のリトを見、そして鬼ごっこの真っ最中のテイルとミウを見て、
(確かに、エフェザスが言った通りですわ。確かに……社会を批判的に見て、それが的を射ているから面白くて……どこか天の邪鬼な態度で振る舞い、ちっとも素直じゃなくて……)
 ボロボロに言ってますな、ラサ・リューノ様。当たってるからいっか。
(でも……正義感も、責任感も、ちゃんとある、『勇者』ですわね)
 目を瞑ると、ラサ・リューノ様の脳裏には彼らの学校生活やらここまでの道程やらが映し出される。セピア色に少しばかりカラーが交じったような不思議な光景が。
『あ、そうそう、セレイ』
「何」
『世界を救ってくれたご褒美ですわ』
「ご褒美ー?」
 ぱっと出されたそれは、
「キャウウキャオウー!」
 きゅるんとした目の、青銅色のチビ竜。
「ラクル!」
 ぎゅっと抱き締めると、ぼろぼろ涙流しながらセレイは座り込んだ。
「もう会えないかと思った……!」
「キャウゥー……(くるしいー……)」
「おおっ、ラクル!」
 苦しみもがいているラクルをひょいっとテイルが取り上げる。
「ひさしぶりじゃねーか、このチビ!」
「キャウ!」
 びしっと尻尾でテイルの頬を殴る。
「ウキャアウ、キャウア! (ちびじゃないもん!)」
「てぇんめぇー」
 さっそく始まった。鬼ごっこ。今度はラクル対テイル。
「ぷっ」
「あははははは!」
「フッ」
 戦士たちは笑い転げ、ラサ・リューノは上品に微笑まれる。

 しばらくして、力つきたテイルとラクルが床に寝転がると、ラサ・リューノは居住まいを正しこう言った。
『さて……と、戦士たちよ』
 スッと何かに腰をかけた。もちろん、何もない。
『今私の力が戻り、急激に世界が復興され、世界が不安定となっています。今次元軸があなたがたの世界と少し重なっているのです。そこで……一度、元の世界に戻りませんか?』
「えっ!?」
 すっとんきょうな声。
「一度って何」
 揚げ足取りの名人が訊く。
『元々あなたがたが選ばれた理由もそのせいだったのですが……ともあれ、今一度あなたがたは再び戦わなくてはならない日がくるのです』
「ふーん……」
 あれ、ミウ、あまり深刻に受け止めてないな。
『それまで、また元の世界で生活ができますが? もちろん力も残したままで……』
 力を残したままで、元の世界に戻れる。また戦う日まで。
『猶予は今日一日。明日になれば完全な世界に戻り、私の力を持ってしても、完全な形であなたがたを元の世界に送れるかどうか……』
 不完全な場合? 国が違ってたり、時代が違ったり、その他諸々。

 結論。
「あたしは一度戻る」
 ぴんっと弓を弾き、ミウが決めた。
「一度戻って、しばらく向こうにいる。そんでもってゲームの攻略本なんかを借りて、魔法覚えてくる。あたしにとっちゃ、向こうに一度戻ることが修業になると思うの」
「俺も戻るわ」
 とんとんと斧で肩を叩きながらテイル。
「新人戦に向けて、一年生をいじめてきたいしなー……兄貴が大学落ちる様もみたい」
 うーん、なんて兄思いの弟なんでしょう。
「オレは残る。オレはここのほうが楽しいしな。魔法は今覚えてる奴だけでも十分だし、『ルーン』も使えるしな。剣の修業はここのほうがやりやすい」
 爽やかに微笑みながら宣言。
「そっか……じゃ、リトも居残り決定だな」
 テイルの言葉にセレイが「どうして」と野暮すぎることを訊く。くすっ。
『鈍感』
「何だよ! 言いたいことがあるならはっきり日本語か英語で言え!」
『………』
 英語で確かに言った。だが、比喩過ぎる言葉だったので、英語がそこそこにできるセレイでもまったくわからない。
 が、神様だけしっかりわかった。
 言葉に表したリトの気持ちも、態度で表したテイルの気持ちも。
『ではテイルとミウが元の世界に、リトとセレイがここに残るのですね。わかりました』
 すっとラサ・リューノは印を結ぶと、テイルとミウの体がぽうっと光りながら浮く。
『いいですか。元の世界に戻っても、力は消えないのですから注意なさい。そしていつの日か、またこの世界にくるのだということを心得ておきなさい』
「ほーい……で、あたしたち、セレイのこと覚えてるの?」
『当然ですよ、ですが貴方たちは覚えていても、回りの皆は覚えていないのですからね』
 しゅうううと姿が消えかける。
「じゃあな! リト! またあおーぜ!」
「ああ、今度から自力で数学しろよ」
 痛いことを思い出してテイルが渋面になった。
「げっ、やっぱ俺ここにいるー!」
「ミウはいくんだよ?」
 セレイが意地悪なことを言う。女性陣は互いのことはよく知ってるくせして、自分のことは知らないんだもんなぁ。
 ぐっと詰まったテイルの姿が消える。
「ばいばーい!」
 にこっと笑ったミウの姿が消える。どうしてあたしが行くとテイルも行くのだろうと首を傾げつつ。

 静かになった神殿で、セレイがやや斜めに顔を上げながら問うた。
「どうして?」
「………」
 耳まで真っ赤にしながら、シラをきりとおすリト。男の鑑だね。よっ、大将。


 きーんこーんかーんこーん。
 終業のチャイムがいつもの通りに鳴る。
「えーと、それでは、神崎さんと城谷君はあとで私の所までくること」
 野川教諭が颯爽と去っていく。入れ替わりでクラスの担任が入って来た。
「城谷、神崎……お前ら英語の時間爆睡してたんだってな」
 にやにやしながら言われて、自分たちの状況をやっと飲み込んだ二人がげっと声を上げた。
「そんなぁー」
 美羽、悲鳴とともに机につっぷせる。着いた途端にこれである。ラサ・リューノ様も、もうちょっといい時間の時に戻してくれればよかったのに……ま、いっか。
「よく寝てたなぁ、野川のやつ、お前の頭を三回連続叩いたのに起きねーんだもんなぁ」
 竜槍の前に席にいる藤野君がけらけら笑いながら教えてやる。
「うーむ……ということは……プリントかぁ……和訳ならなんとかなるけどなぁ」
 はあっとため息をつく。
 ため息ついでに、ちらっと、英語が得意な女子の机を探した。
 そこには何も、ない。

 そして放課後居残りで竜槍と美羽はプリントをせっせと書くのであった。
「ひーん、あたし英訳嫌いなのにー」
「おい、美羽! 『もしもあのときトムがここにいたならば、今頃私は幸せだったかもしれないのに』ってどうするんだ!?」
「知らないよぉ」
 正確には、忘れちゃったよーじゃないか、美羽?
 悲鳴が二年B組の教室に響き渡る。
「おや、こんな簡単なのもわからんのか、我が弟よ」
 ぎんっと竜槍が顔を上げると、そこには見慣れた顔が合った。
「あ、竜巳先輩ー! 英語得意でしたよね?」
 にこにこと笑顔で訊く美羽をジト目で見ながら、親切な竜槍君はこう言った。
「美羽、兄貴のこの前の校外模試の点数知ってんのか? 二十六点だぞ、二十六点。高三にして二十六取ってて、将来どうするつもりかね」
 ぎょっと竜巳、目をむき、竜槍の首根っこをつかむ。
「何で知ってんだ、お前!?」
「机の上で踊ってたぞ」
 手を払いのけつつ、随分前のことのような感覚があるな、と思う。が、ここでは五日ばかりしか過ぎていないことになっているのだ。
「てめー! 何で俺の机を!」
「俺のCDを持ってっただろーが! それを取りにいったらあったんだよ!」
 よく覚えているもんだ。そんなに記憶力があるのに、何故公式は覚えないのだ? ま、人間の脳みそ、そういうふうにできてるもんさ。
「兄弟でモノを分かち合って何が悪い! だーがしかし、いかに我が弟といえども、プライバシーの侵害はゆるさーん!」
「そんな台詞を吐いても正しいように聞こえるような、誇れる点数取ってから言えっ! この、金を借りたいときだけ兄貴面するお調子もんがぁっ!」
「やかましい! てめーだって俺のこのすばらしい頭に頼りたいときだけ猫かぶりのいい弟君になりやがって!」
「やるか!?」
「おうっ、いつでも相手になってやろう!」
「兄弟喧嘩しにきたんですか、竜巳先輩! 竜槍、後で机戻しなさいよ!」
 どったんばったんと喧嘩を始めた二人を美羽が止める。ぴたっと二人の動きが止まった。 将来尻に敷かれるぞー? 竜槍。
「そうだよ……兄貴、何しにきた」
「おお、そうだ、家の鍵がねーから、くれ」
 机を一つ一つ直していた竜槍が、持ち上げた一つの机を竜巳に向かって投げようとした。
「やめーやめー!」
 美羽が腕を掴み、竜巳は一応構える。
「お袋が今日、町内日帰り旅行に出て、帰りは夜って言ったじゃないか!」
「人間は忘れる生き物だ」
 きっぱり。
「はいはい、兄弟喧嘩は家でやってね。はい、竜巳先輩、鍵」
 鞄の中から拝借した竜槍んちの鍵をひょいっと放り投げた。鍵は竜巳の手に吸い込まれるように入った。それを見て驚いたのは竜巳。彼女がノーコンということぐらい知っている。
「?」
 竜巳がキョトンとしているのもおかまいなしに、というより気づかずに美羽はプリントを持って職員室へと向かう。
「あっ、俺も」
 ひょいと机を戻し、竜槍が追いかける。

 今日も日が暮れる。紫がかった空、夕焼けの中を、元戦士たちが帰る。
 いつかまた、《戦士》と《狩人》に戻るものたちが、手に武器でなく、鞄にたくさんの宿題を抱えて。
 
 遠い世界で、《騎士》と《魔法剣士》でいるものたちが、頭に飛竜の子供を乗せ、呑気にクポルに乗って武者修行の旅に出た。
 諸国漫遊の旅かもしんない。

 実は結構近いうちに、また、集う。いつとは言いませんが?

 おや、そういえば。
 私のことを全く話してませんでしたね。
 それでは……えーと……あーっ、今日は年に一度の吟遊詩人大会の日だー。こうしちゃいられない! えーっと、今年の会場は……げっ、ここからちょうど裏側にあたる都じゃないか……仕様が無い……《力》を使おう。何の? それは……説明している暇がない。
 じゃこのへんで、今回のこやつらの旅はおしまい。またお会いする日を楽しみに。
 語り部は私、ラッケスでした。
 だーっ、遅刻する!!