ボランティアをしていると、それが相手のためでなく、自分を癒して

くれることに気がつく。そんないつくかのエピソードです。

 

その1、心障施設での出来事

 

精神障害者を収容する施設では、誰でも、いつでも、ボランティアができるわ

けではありません。施設長が私と面接をして、その人格、趣旨を確認し

てから、患者のためになるかどうかを確認して、受諾があるわけです。

させてください、とこちらは頼むわけですが、はい、とはならないのです。

一昨年7月、はじめて山の上の方の島原療育センターを訪れました。

会社からコーラスの男性をひとり連れて妻と3人で伺ったのですが、はじめ

に私の尺八、妻の胡弓にあわせて讃美歌を2曲演奏しました。3曲目に

「ウェルナーの野ばら」を唱いだしたとき、突然一人の男性が奇声をあ

げ始めました。演奏しながら困ったなあ、あまり気が乗らないのかなあ、

と心配しながら、次の曲に進みましたが、その声は大きくなったり、

小さくなったり最後まで演奏家にとっては雑音として、あまりよい印象

を持たずに、障害者へのボランティアの難しさを感じながら、1時間に

わたる演奏会を終えました。

そして1人の看護婦さんに「あの人はあまり音楽が好きではなかったよ

うですね」と尋ねました。

そうしたら看護婦さん達が寄ってきて、

「とんでもないですよ、この人は私たちがどんなに声をかけてももう半

年も何も答えない、話したがらない人だったんですよ。私たち毎日看護

をしているものはみな驚きました。あの人が嬉しそうに子供の頃を思い

出して大きな声で唱っているのを見て、信じられないほど驚いたんです

よ」といわれました。

みんな子供の頃の自分が好きなんだ。

やさしかった頃の「父さんの顔」が浮かぶ。あのころは楽しかった。

思い出せば、懐かしく、とても嬉しいんだ。

 

その2、妙連の滝の滝守さま

 

東長崎の中尾というところに「妙連の滝」というところがあります。

わたしは自分の日々の生活を見直すために,たまに托鉢にでることが

あります。

車に乗っておおかたここからここまで、と決めたら車をおりて4時間

コース位を托鉢して回るのです。

ダムのそばに車をおいて上流をめざしどんどんと歩きました。中尾の田

舎家を一軒一軒回りながら、最後に最上流の「妙連の滝」にたどりつきま

した。

滝とは名ばかりの水道パイプからちょろちょろと水が滴り落ちるような

滝でした。地蔵様が何体かおられ、お賽銭が置かれていました。私もポ

ケットから小銭をつかみ、地蔵様の前に供え、1曲献曲をして帰ろうと

したときです。下の家から女の人の声がかかりました。「お坊さん、折

角ですから上がってください」と。なにせ初めての托鉢先であり、「実

は私はお坊さんでも何でもありません、虚無僧をまねて自分の修行で回

っているものですから、草鞋を脱ぐことは出来ないのです。せめて一曲

吹かせていただきます」といって吹きました。そして曲が終わったとき

「虚無僧さん、私のお布施です」といってお金を3000円入れて渡そ

うとされました。

ただお地蔵さんがいるだけのひっそりとした滝の様子から、そんなに供

物料収入があるとも思えません。3000円といえば1週間分位の供物

料収入ではないかと、感じました。

「すみません、私はサラリーマンで本当はお金に困っている訳ではあり

ません。お見かけするところ、あなたはそんなに収入があるわけでもな

いのにこんな大金を私に出したら明日からどうして食べるんでか、後生

ですから大事に使ってください」といって固辞しました。

そうしたら「この近くの方はあたしをのたれ死にさせるような方は一人

もおりません。どうか私の気持ちを汲んでこのお金を貰ってください」

私は考えました。自分はどんなに裕福になつてもまだお金を欲しがるの

に、この方はお金はぜんぜんないのに、人に施そうとする、完全に人間

が違う、いう通りにしよう、と

いまだに御礼の方法もないまま、いつか「この前の男です」といって

キチンとご挨拶のできる男になりたいものだ、と毎日考えています。

 

その3、保育園児と遊ぶ

 

島原の友人から頼まれて昨年、島原市内の白山保育園を尋ねました。

妻と「子供はむつかしかやろね」と話しながらいろいろと選曲を練りま

した。「とんぼのめがね」「おおきな栗の木の下で」「七夕さま」など

何曲か練習して乗り込みました。 そしてこどもたちにいいました。

「おじさんとおばさんが1番は演奏するから静かに聞いてね、2番から

みんなが大きな声で唱うんだよ」と、

私は尺八や笛や篳篥やケーナを順々に使い、妻は胡弓と琴を代わるがわ

る演奏しました。

1曲演奏が終るたびに「みんな集まれ、弾いてごらん、吹いてごらん」

といえば、行儀良く1列に並んで1人1人、今済んだばかりの楽器に触

わりました。

「さっき触った人は順番だからね、ダメですよ」というと「ぼく、まだ

触ってない」と言って泣き出す子がでる始末。

終わった時にはもう子供達は満足感で一杯でした。帰りの入り口まで子

供達が抱きついて離れませんでした。

あとから園長先生から手紙が届きました。「尺八と琴の演奏を子供達に

聴かせて本当に喜ぶんだろうか、来て貰っても迷惑にならないだろうか

と、とても心配しました。あんなに子供達が喜ぶとは思っても居ません

でした。」とのことでした。

その1月あと、近くの島原児童館でもやろう、ということで招かれて、

学校帰りの学童たちと、同じように遊びました。

 

その4、吉井中の感動

 

昨年の年末、みぞれの降るこの冬一番の寒さでした。私たち夫婦は佐世

保を過ぎた頃、自動車の中からあまりの天候の悪さに、吉井町の教育委

員会の担当者に電話をかけました。

「今日はやっぱりやりますか。天候も悪いし、お年寄りが体育館では体

をこわすのでは、と心配ですが」すると「いや吉井は大丈夫ですよ、予

定通りやりましょう」とのことで現地へまもなく着きました。体育館は

ストーブと暖房を付けてはいましたが、演奏開始と同時に消します、とい

うのです。体育館にはお年寄り60名と中学生200名がござをひいて

待っていました。さぞかし底冷えもするし足も痛かろう、と夫婦で顔を

見合わせました。

「途中で中学生が我慢しきらずにざわめくやろね、短めに終わろうね」

と妻と下打ち合わせをしていよいよ演奏になりました。何せ中学生を相

手にするのは初めてでした。

「みんな、君たちの中には親と仲違いをして口も聞きたくない人がおる

かもしれんけど、みんなはいいなあ、私は中学生の時から父さんの会社

の都合で下宿生活になって、高校も大学も親と一緒には過ごせなかった。

いつも親と一緒に暮らせる人は幸せだなあ、と思っていたよ」「39才

の時、やっぱり人間の幸せは親からお前を生んでよかった、お前のおか

げで幸せな人生を終えることができた、と言って貰うことだ、と気づき、

都会の会社を辞めて、地元に帰ってきたんだよ、そして女房と二人で力

をあわせて、両親を天国に送ることが出来ました」と口を切りました。

途中生徒に舞台に上がって貰い、尺八、笛、琴、胡弓の体験教室を交え

ながら1時間半におよぶ板張りの上での演奏会が終わったとき、妻が口

を切って言いました。「みんな、有り難う、きょうは嬉しかった、こん

なに真剣にみんなに聞いて貰えるなんて自分は考えてもいなかった。

最後まで真剣に聞いていただいて、本当に、有り難う、」と。