「松寿軒を偲ぶ本曲研修会」
2月10日より12までの3日間、普化寺研究家、虚無僧研究会会員の斎藤雪山先生が
遠路茨木県ひたちなか市より、松寿軒研究のために来崎されました。
玖崎寺(のちの松寿軒)は長崎が誇る尺八文化の史蹟で、他県の方にも最近、非常に関心を
寄せていただけるようになりました。
これを機会に先生を囲み、長崎の歴史研究家、越中哲也先生、幕末の長崎の豪商で松寿軒に
おおいに関わった小曽根家の子孫、17代小曽根吉郎氏にも参加頂き、親しく幕末の長崎史を
語り合いながら、併せて本曲吹奏を楽しもうと、近郊の本曲愛好家に声をかけ、「松寿軒を偲
ぶ本曲研修会」を開催いたしました。
宮崎県から木村壷堂明暗寺導主にも参加頂き、県下一円、琴古流、都山流、上田流、対山派など
流派を超えた本曲演奏に加え、地元のマスコミにも、おおいに関心をいただき、見学者も含めて
約40名の方々が参集、盛大な研修会になりました。
また、玖崎寺がのちに曹洞宗に改宗され、皓台寺の檀家総代であった小曽根乾堂氏のご尽力により
皓臺寺末、曹洞宗天長山太平寺として現在も長崎市浪の平町に現存することから、現地を訪ね、
併せて本山の皓臺寺、太田大穣住職にもご挨拶させていただきました。
2月11日、16:00 松寿軒を偲ぶ尺八本曲研修会
2月12日、 9:00 行脚、 松寿軒跡―興福寺―皓臺寺―清水寺―太平寺
松寿軒跡地で献奏 尺八本曲研修会
参加者は
来賓として、越中哲也氏、小曽根吉郎氏のほか、九州を代表する尺八家、大村在住の鈴木多聞師
県外より、斎藤雪山氏(茨木県)、木村壷堂氏(宮崎県)
県北地区より、西川理山氏、相原荘勇氏、十時寛山氏(いずれも佐世保市)
島原地区より、荒木筑童氏(南高吾妻町)、松尾訓道氏(島原市)
主催者の古典本曲竹風会より、松林静風、松林歌子、林 静峯ほか
演奏曲は手向け、献香讃、阿字観、鹿の遠音、岩清水、鶴の巣篭り、ほか
ここで今回の研修の目的である長福山玖崎寺(のちの松寿軒)の紹介をいたします。
創建は寛永17年(1640)武州青梅の鈴法寺に関係した端翁門的という虚無僧が長崎奉行
馬場三郎左衛門の許可を得て、八百屋町に一寺を建立、のちに玖崎寺とした。
延宝7年(1679)二代及察のとき、古町に移転。
当時の歴史背景としては寛永8年に時宗開立、寛永12年寺社奉行が新設、寛永14年島原の乱
寛永18年キリシタン禁止令、長崎に出島開設など。長崎くんち祭りが始まったのも寛永11年頃、
博多の一朝軒が創設されたのは正徳3年(1723)のことですから、玖崎寺は80年も前から
あったことになります。
黒沢琴古が玖崎寺を訪れたのは享保14年(1729)、古伝3曲のほか、佐山菅垣、波間鈴慕、
三谷菅垣、そして鹿の遠音の7曲が一計より伝授されたと聞いております。
寛宝3年(1750)普化宗玖崎寺は度重なる水害、火災に見舞われ、寺号の維持ができなくなった
ため、皓臺寺10代住職笑巌同眉の法孫盧山浙江の計らいで、寺号を曹洞宗皓臺寺末、淨泉院
(のち太平寺と改称)に譲渡することになった。玖崎寺跡(古町橋のたもと)は虚無僧止宿所と
して残すことで鈴法寺の許可を得て、松寿軒と呼ぶようになりました。松寿軒は以降、幕末の
約120年間、幾多の尺八家を育て、見守って参りました。
長崎出身の尺八家、近藤宗悦が関西に出て、京都明暗寺の役僧となり、宗悦流を創設、関西尺八界に
君臨したこと、中尾都山が宗悦流から独立し、今日の一大流派を形成していることなど、長崎が現代
尺八界に果たした役割は小さくありません。
長崎を訪れ、松寿軒の前に立ち、先人を偲ぶとともに、改めて吹禅の喜びを味わいたい、そして
黄檗宗興福寺、曹洞宗皓臺寺、中国寺崇福寺、曹洞宗太平寺などを托鉢し、最後に平和祈念像の前で
平和祈願の献笛をし、今日の平安に感謝するといった禅行を体験したいと思う方も、これからは増えて
行くことでしょう。
残念ながら、今は跡地に松寿軒を示すものは何も、残されていませんが「松寿軒史蹟跡」碑の建立の
機運を、少しずつ醸成して行きたいと考えています。
平成13年 2月15日 静風 拝