西村虚空師を偲ぶ

平成14年6月1日、私の尺八家としての生涯の事業であった「長崎松壽軒碑建立記念式典」と

翌日の川棚町での「全国尺八本曲献奏大会」が終えるのを見届けるようにして、夕刻他界された。享年87歳

偉大な尺八家だった。2度ともう、このような暖かい人に出会うことはないだろう。

この項では先生との出会いから別れまでをまとめています。

 

作品の紹介

虚空先生の作品の一部を紹介します。

 

<虚鐸>

   

愛用だった3尺長管「大乗」 2尺6寸巻「蒼露」、「龍」の彫りもの入り、「大自在」  

虚鐸に彫刻している「こうろぎ」は今にも飛びそうな勢いである。

<彫刻>

        

「聖観音」   「如意輪」   「大日如来」

  

「太子像」  「仏頭」(大理石)  京都栂尾高山寺石水院の「善財童子」

<仏画>

    

「技芸天」  「慈母観音」  「普化禅師」 中国で国宝認定「虚鐸観音吹禅之図」下絵

<日本画>

 

「イスラエル・エルサレムドーム」 「ドイツ・ケルンドーム」

 

 「鷭」                              「龍」

 

虚空先生の思い出

 

虚空先生のCDを聞いた人はその深遠さ、神秘さに驚くことだろう。

「この人は普通の人ではない」ということにすぐ気付くだろう。

平成9年、はじめて先生にお電話をし、お宅を胸を躍らせながら訪ねたときの

ことがつい昨日のことのように思い起こされる。

とにかく温かかった。そばにいるだけで幸せだった。パワーがあった。

いつも「童子」になっていく自分を感じていた。

私一人でなく、妻も、長男の政之も、みんな幸せだった。

本当に人生の、到底届くことのない、目標の人であった。

 

1)虚空先生、我が家を訪問

平成10年3月、久し振りに虚空先生が我が家に来られた。

後ろは先生の書かれた虚鐸観音を表装した掛け軸、

歌子とはいたく相性がよかった。

 

2)西方寺での虚鐸吹禅会に参加

平成10年4月25日、この日は阿弥陀仏の完成を祝って門人約10名が揃い、

熊本市内の西方寺で記念献奏会をした。

私も「奥州薩慈」を演奏させていただいたが、皆さんの「虚鐸の音色」に比べると

「旅回りの大根役者」、尊厳さに欠ける自分に、はたと、気付いた。

この「深遠さ」が、禅の尺八である。誇張が全くない。無の音である。

後ろは虚空作「阿弥陀如来図」

        

 

3)谷派虚鐸演奏会

平成10年8月15日、熊本市花畑町の熊本国際交流会館で谷派虚鐸の

吹禅会が開催され、私も参加した。8人の弟子が勢ぞろい、瞑想三昧の

一日であった。オランダからもファンが来訪していた。 

 

左から阿蘇の民宿経営、後藤孝秀氏、日本画家、大塚虚瑛氏、玖珠道場主、樋口虚舟氏、

菊池道場主、吉良虚洞氏、谷派後継者、長男の西村虚流氏、虚空先生、阿蘇道場主、本郷虚峰氏、

鈴木虚石氏の各師、皆個性的で傑物揃いである。

 

4)虚空先生ヨーロッパで大反響

平成13年8月14日より9月11までの約1ヶ月間、ドイツ、デンマーク、

ポルトガル、スペイン、フランス、イタリーの6カ国を訪れ、各国のお弟子さんと

演奏会を行いながら、「禅の尺八」を紹介し、大反響を呼んだ。

日本から同行したのは長男の西村虚流氏と孫の岡 虚黙君 

ドイツでの演奏会、翌日の新聞に大きく取り上げられた。

 

デンマークでの演奏会          ドイツでの演奏会

 

5) 虚空先生、容態すぐれず

虚空先生より6月1日の「松壽軒跡碑」建立の記念用にと虚鐸観音図染め絵

100枚が今日郵送で届いた。わざわざ長崎まで掛けつけてくれる皆さんへの

素晴らしい私からのお土産になりそうだ。

ところが渡欧の疲れが今ごろ出て、4月初めに狭心症で倒れたとのこと。

生涯の記念事業としての虚鐸、彫刻、絵の写真集の出版のため一旦退院させて貰い

無事出版を済ませられ、ほっとしたのも束の間、4月24日再度倒れ、救急車で

済生会病院に運ばれ、自宅に戻ってはいるものの容態すぐれず、との便りが

今、届いた。 

「松林君、あんまり先がなさそうだ」との言葉がとても気になる。

何はともあれ、明日、早速熊本へ掛けつけ、ご尊顔を拝したい。

是非、回復を祈りたい。       (平成14年5月9日)

 

6) 虚空先生、頑張ってください。

今日は私自身も体調が悪く、どうしても車では自信が無かったので、

バスで熊本まで掛けつけ、虚空先生宅を訪ねた。

先生は床から起きて、「ありがとう、こんなことになって、長崎に行く

つもりにしとったけど、行けんばい。」と言いながら、しっかりと私の

手を握り締め、嬉しそうだった。

「できたよ、松林君」と言ってできたばかりの「虚空作品集」を見せてくれた。

先生の生涯を記念する写真集であり、素晴らしい出来だ。

一冊1万円、早速50冊頼んで送って貰うことにした。

 http://kumanichi.com/news/local/main/200206/20020611000517.htm

ついでに普化禅師図の染め絵も200枚、お願いした。

先生の87歳の誕生を記念して、私の生涯の思い出になりそうだ。

 

でも先生の病状は軽くない。さすがに15分も話しているときつそうだ。

「先生、休んでください。」「有難う、長崎に行けんですまんのう」

そう言いながら、ぎゅっと握る手が本当に細く、小さくなっていた。

あんなに元気だった虚空先生が、こんなに痩せ細ってしまって、

先生頑張ってください、あのパワーを丹田にもう一度送りこんで、必ず

快復してください。

6月1日の「松壽軒」式典が終わったら、また夫婦で伺います。

                   (平成14年5月12日)

翌日、息子の政之が心配して、会社を休み、虚空先生宅を尋ねてくれた。

 

7.     虚空先生逝く 

長崎での尺八本曲大会を終えて自宅に戻ってきたばかりの私、

そこに、悲しい知らせが届いた。あたかも私達夫婦の生涯の記念行事を

見守るように、その終わりを見届けて、虚空先生が2日、19時14分に

亡くなられた、との訃報が虚流先生より届いた。

「長崎に行けんですまんのう」といいながら私と手を握り合って別れた

のが、5月の12日、そして長男の虚流先生が米寿記念作品集と染め絵を

届けてくれたのが5月25日、先生の作ってくれた染め絵を長崎記念

大会のお土産に来てくれた皆さんにプレゼントできた。

作品集も何名かの方に買って戴いた。

 

まさかこんなに早く亡くなるとは、歌子も愕然と声をなくした。

「大会が終わったら必ず行きますから、待っててくださいね、この胡蝶蘭を

私と思って頑張ってください」と行って胡蝶蘭を渡したばかりだった。

つい26日には奥様の妙子様からの手紙を戴いている。

「虚空先生が久々に長崎に行って見たい、そのとき興福寺と崇福寺にも

行く、と楽しみに話していました。でもそれは夢の中でしか行けない

ありさまで、残念がることしきりです」「歌子様から戴いた胡蝶蘭の花

部屋に飾っていつでも眺めることが出きるようにしています。今から

長崎の新茶を入れて「活」を戴きましょう。」 妙子

 

米寿記念作品集、そしてわざわざ私の記念行事の為に作っていただいた

虚鐸観音と普化禅師の染め絵、本当に有難うございました。

西村虚空という到底到達できない人生の師にこうして最後まで心を配って

戴いた私達夫婦は幸せ者です。先生のあたたかい温情に報いるために

魂を磨き、今後とも精進に努めます。心から御冥福を祈ります。合掌

 

8) 悲しい通夜 6月3日、19時より

5月31日からの大会の疲れで、体は極度に疲労していたが、でも

虚空先生の通夜にはどうしても行きたい。それは歌子も同じ。

仕事を切り上げて、熊本に向かった。祭壇は長女の岡さんの自宅に

置かれていた。

先生は美しい顔をしておられた。白土虚皓さんの読経は悲しさの

あまり嗚咽ではじまり、私達は悲しみを押さえることが出来なかった。

そして虚流さんの先導で門弟一同で虚空の曲を献奏した。

みな嗚咽を抑えながら懸命に先生の教えに報いようと、吹奏した。

そしてその吹奏が終わったとき、虚流師の抑えは遂に効かなくなり、

その場に泣き崩れた。

みんな先生の深い愛に包まれて今日まで幸せを享受していたことを、

しっかりと思い起こすように、抱き合って泣いた。

私も同じだ。生徒でもないのに、今日まで本当に夫婦共々、また長男の

政之まで可愛がっていただき、長崎にくれば家に泊まっていただいたり

して、眼をかけていただいた。

今こうして家に戻り、深夜3時になろうとしている。

先生が私に下さった、到底届くことのない目標に向かって、自らを清め

先生に教えを受けたものとして、恥ずかしくない人生を歩みたい、と

思います。

先生、通夜に呼んで戴いて、本当に有難うございました。

 

先生のような偉大な吹禅家にめぐり逢え、私は幸せでした。

 

9)妙子様からの手紙届く

過日は遠い所からいらしてくださいまして有難うございました。

またそのうえ過分の香料迄頂戴いたしまして厚く御礼申し上げます。

1.     7日を済ませてやっと京町の我が家に帰りつきました。

5月13日夕方には大好きな政之様が来て下さり、みかんや外郎、美しい

向日葵の花束などなどと、珍しい雲の写真を丸で手品のように次々

出してくださり、病もひととき忘れて大喜びしておりました時のことが

思い出され、ご自身で撮られた雲の写真が般若なので「小刀が持てる

ようになったら般若のブローチを彫る」などと、話したりしていました。

今も自刻像の目線に入るところに、その雲の写真を置かせて戴いています。

永い間のご厚誼、ありがとうございました。虚空さんも雲に載せて

もらい、空から念波を送ってくれているものと思います。

どうぞお身体大切に何時もお元気でいらしてください。また熊本へ

お越しの折にはお立ちよりくださいませ。

赤い胡蝶蘭共々お待ちしております。 御礼までに    妙子

 

10)熊本日日新聞、6月6日号

    http://www.kumanichi.co.jp/iken/iken20020606.html

“風狂の人”が亡くなった。在熊の彫刻家、西村虚空さん、87歳

船場橋際に立っているタヌキ像の作者だが、むしろ虚鐸と称する長い

尺八の奏者として知られている。その門人は2000人、青い目の

弟子も少なくない。

戦前、東京美術学校(現芸大)をでている。中国大陸で戦病兵となり

東京の日赤病院に送られて、さて、そこで谷狂竹という師匠に出会う。

師もまた、「風狂の人」であった。

戦後私立高校に勤めたが、すぐに辞め,虚無僧姿で熊本市内を門付けして

回るようになった。ふらりと家を出て、全国を托鉢行脚した。旅先の

寺に滞在し、そこで仏像を彫った。

さぞ妻子は大変だったろうと思うが、「それが不思議なことに貧乏が

楽しく、いざこざなど無かった家なんです」と長女。子煩悩で優しかった。

夫婦けんかをしている姿を一度も見たことが無かった、という。

尺八の名は管長が1尺8寸から来ているが、西村さんが吹いていたのは

3尺2寸もある。東京で宗方志功や作家の三角寛、小山勝清らの前で吹いて

みせた。「何か名称はないか」といわれ「虚鐸でいいではないか」となった。

去年弟子達に招かれ、欧州諸国にコンサートツアーをしてきた。その音色に

「宇宙の音だ」と驚いたという。「静かに自分の竹の音を聞きながら、

身まかる。これが最高の幸せであり、極楽往生だ」

身内と弟子達だけの密葬にはデンマークで製作されたCDが流されていた。

 

11) 西村妙子さん来宅

今日は故西村虚空先生の長男、虚流師より電話、昼一番当たりに長崎に行きます、とのこと。
何事だろうとお待ちしていたら、なんと虚空先生の奥様の妙子さん、
ワンちゃんを連れ、娘さんも一緒に来崎。
私の工房完成のお祝いに、と言って先生が生前書かれた墨絵をお祝いに届けてくれた。
墨絵は鶴の絵と松の絵の2枚、松の絵には枝間に如来の顔が、
http://www1.cncm.ne.jp/~seifu/taeko1.htm

本当に私は幸せ者だ。虚空先生、ありがとうございます。
天国では寂しい毎日でしょう。見守っていてください。
頑張ります。

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