父、松林政晴
父、政晴は明治45年6月30日、長崎市戸町2−72に生まれる。
(中略)
昭和35年頃より父は弓道を始めた。
35年4月に初段、11月 2段、36年5月 3段、36年10月 4段、
37年10月 5段、38年5月 錬士とものすごいスピードで昇格した。
36年6月に営業部副部長に昇格、長崎に帰る。住まいは一時大浦の3階にお世話に
なっていたがすぐ、鳴滝町、県立短期大の前の一戸建てが見つかり、転居した。
昭和41年4月、父が55歳の頃よりゴルフを始める。
41年6月 HDC27、42年 HDC16、43年 HDC14、52年には
65歳でHDC11にまでなった。
昭和42年4月、取締に就任、鹿児島支店長となった。この頃自動車免許をとる。
昭和42年12月には本社に戻り、取締役営業部長となった。
昭和50年に九州商船鰍退社、熊本の子会社、九商運輸鰍ノ出向した。
56年5月に九商運輸鰍熨゙社、隠居生活となる。
まもなくそれまで中断していた弓道を再開、松山の道場通いが始まる。
58年11月に6段に昇格、60年には念願の教士に昇格した。
このころ、長崎市主催の市民弓道大会で個人優勝を成し遂げている。
般若心経の書写はこの頃より始め、毎日10枚程度の書写を続けてきた。