第24回、島原水祭り

平成23年8月3日と6日の両日
島原水祭りでの二胡演奏を依頼され、島原へ、
2回の島原リハーサルを済まし、3日がオープニング、鎮魂式典

島原地元の琴「如月会」3名、二胡「胡翠会」2名、いずれも歌子の門下
国見から「にこにこ会」4名、大村から「唐人楽坊ちびっ子チーム」6名、
長崎から「三芳チーム」3名、「ダイヤランドちびっ子チーム」4名、
瑞穂から詩吟の川谷先生、私を入れて、何と出演者総員24名での参加でした。

とにかく暑かった!! 長崎では初めての「猛暑注意報発令」
昼過ぎに自宅を出て15時には現地に到着、
控え室もテントもない屋外で、長時間の音響準備や椅子の配置など、
18時まで孤軍奮闘、さすがにへばりました。
でも台風も近づかず、夕立もなかったので、絶好の夏のイベント日和、

最初は「詩吟」、徳富蘇峰が雲仙を歌った「雲仙」、瑞穂の川谷先生と
私の尺八、琴は南有家の田中先生の3人で、


次が筝曲「宮城野」、演奏の途中から南風が強くなり、
マイクに風の音がぼこぼこと混じり出す始末、
琴のメンバーは譜面は飛んだりで、悪戦苦闘、
私の尺八演奏も苦しくなったので、後半は横笛に持ち替えて、凌ぎました。
後半のちびっ子チーム、演奏はとても素敵でした。

6日が最終日、島原武家屋敷での「静風ライブ」
16時に自宅を出て、この日も延々7時間の旅でした。
演奏前に出演者で記念撮影

歌子も私の体を心配して、途中から島鉄で駆けつけてくれました。

19時20分から地元の琴・二胡チーム(歌子門下)との演奏
「宮城野」「故郷」「島原の子守唄」

池の中、灯篭の灯りに照らされて、笛を吹く私、幽玄そのものでした。


残りの時間で島原城の宜竹銘一節切をPR、
江戸時代の百科事典「萬宝全書」に「宜竹は笛の元祖といへり」と記載され、
また俳人・松尾芭蕉が「まず知るや 宜竹がたけに 花の雪」と歌った法橋・宜竹(人間国宝)
その宜竹銘の一節切管が島原城に展示されているのです。
まさに島原が誇るお宝なのですが、地元ではまだほとんど知られていません。
その一節切で、一節切の名曲「吉野山」を披露、
「吉野の お山は 雪かと みれば 雪ではあらでん 花の吹雪よ」
「島原の子守唄」の作者、故宮崎康平夫人、宮崎和子さんに歌っていただきました。

横田島原市長のご挨拶を挟んで20時から後半40分が私のソロライブ
池の周りで足元が悪く、不運にも譜面を池に落としてしまい、譜面が染み、
見れなくなるという最悪のアクシデントに見舞われました。
急遽プログラムを暗譜で演奏できるものに変更し、急場を凌ぎました。
一番好きな「仁のテーマ・新月の夜に」が演奏できなかったのが、残念でした。

尺八では東儀秀樹の「夕なぎ」を日本最古の尺八、聖徳太子の洞簫で、
遣唐使、吉備真備の故郷「井原地方の子守唄」を一節切で
そして最後は尺八最高曲、鶴の親子の愛情を歌った「鶴の巣籠もり」

二胡ではスペイン民謡から生まれたギターの名曲「愛のロマンス・禁じられた遊び」に始まり、
ロシア民謡「100万本のバラ」、
マイケルジャクソンがもっとも愛した曲、チャップリンの「スマイル」
さだまさしの「防人の詩」、そして世界平和を祈りながらジョンレノンの「イマジン」
最後は篠笛で「川の流れのように」で〆めました。8時50分に終了、
夏場の野外演奏はやはり老体にはちと、こたえました。