永野義行さん亡くなる

平成24年9月01日、朝の9時前に波佐見の吉野炎龍さんから
「永野義行さんが今朝亡くなった」とのメール、
翌2日、お別れ会が西海市で行われ、私も参加しました。
下はその時集まった仲間達、田中正秀師の弔歌「であい」、
  

1ヶ月前の7月26日に、川棚医療センター8号病棟を見舞ったばかりでした。
ちょうど当日、たまたま同じ病棟に入所中のFB友、松尾栄次さんの慰問をするので
少し早目に伺って、永野さんを見舞ったのでした。
ちょうど西海町からお母さんも見えておられました。
体調はかなり悪く、パソコンを口で操作することもできず、苦しんでおられました。
看護婦さんが筆談で通訳してくれ、私のこともよく覚えているし、
また歌子のことも忘れずに、いてくれ、再会を喜こびあいました。


そもそも永野義行さんとは川棚の田中正秀師のご縁で、長い付き合い、
11年前の平成13年4月6日、銅座町のイリスで川棚の田中正秀さんの音頭で
永野義行・仏画展が開催され、夫婦で激励に伺ったことがあります。
会場には田中正秀さん、吉野炎龍さん、小崎侃さん、山口修さんも参加し、
ガンと闘いながら一心不乱に仏画に取り組む永野義行さんを仲間で激励しました。
左から小崎侃さん、永野さん、私、山口 修さん、私達の後ろに永野さんが見えます。
  

そのとき買い求めた「人の喜ぶことを」の色紙、今も我が家の玄関に
飾られています。