長崎に伝わった南音洞簫
明末から清朝の初めに隠元禅師とともに長崎に持ち込まれた南音洞簫
実は隠元禅師を長崎に招聘した唐通事で、崇福寺の大壇越だった魏志エン(王偏に炎)という人が
19種類の明楽器を長崎に持ち込み、明楽を日本に広めたのです。
初めて日本に登場した根付きの尺八、筒音がD〜C#、
現在の尺八の筒音(ロ)に近いものに変わりました。
当時の日本の尺八は一節切が主流、基本音階が5度近く高かったのです。
もちろん琴や三味線などとの合奏は当時していませんでした。
長崎では唐寺や唐人屋敷内でこの洞簫と琴や蛇皮線などの合奏が盛んに行われていました。
琴古流の流祖、黒澤琴古は長崎で研鑽し、江戸に出て琴との合奏を広めましたし、
都山流の前身、宗悦流の流祖、近藤宗悦も長崎出身で清楽を嗜み、チャルメラ宗悦と呼ばれ、
関西に進出し、琴、三味線との合奏を広めました。
管尻に孔を2つ開け、音程調整をしています。
この洞簫の歌口はケーナ風ですが、当時は尺八風だったのでは、と想定されます。
希望価格 3万円