奉仕の理想探求語録    第 10号

         長崎東ロータリークラブ 雑誌委員会

        

             (元 米山奨学生  伊 敏(中国))

幼い頃、私はポリオで両足が、マヒ状態になった。

ほぼ毎日、副作用のせいでご飯が食べられなくなるほど、苦い薬を飲まされたり、

汗も枯れるほどきついリハビリテーションをやらされたりしたので、私は白衣を着て

聴診器を肩に掛けている人間が大嫌いだった。

私はいつも自分の主治医を「鬼」と呼んでいた。

しかし、右足がほぼ回復し、左足もだんだんたてるようになって、やっと動ける

楽しさを味わえるようになった。

病院生活の経験から、私は患者や家族の辛さを身をもって知った。将来は立派な

医者になって、より多くの患者を救えたらと思い、医科大学へ進学、卒業後留学の

ため来日した。身障者の一人として一番印象深かったのは道路や駅の点字ブロック、

横断歩道の信号で流れる音楽など、日本のやさしい街つくりだった。

またある中学校で「身障者体験」を行っているという記事を読んだ。

生徒は目隠しや耳栓をして、にわか障害者として街を歩き、まさに「自分の身と比べて

他人の身について思う」という立場から、身障者の大変さを体験していた。

日本が福祉設備などの外からの援助ばかりでなく、さまざまな活動を通じて、内からも

身障者にたいする理解を深めていることに感動した。

確かに身障者の障害を回復させるために、医者という道を選んだことは間違っていると

は思わない。しかし、それとともに身障者のコンプレックスを取り除き、希望を与え、

前向きな生き方をさせるのはもっと大切なことではないかと思うようになった。

ここに私のもう一つの新しい夢が誕生した。

一人の障害者としてこの目で福祉の精神をよく学び、肌で人間の温かさを深く感じ、

そして一人の医者として、身障者の心を支えてゆきたいと思う。