奉仕の理想探求語録 第14号
長崎東ロータリークラブ 雑誌委員会
日本人ロータリアン第1号
(友2000−1 川崎大師 堀江実一)
日本初のロータリークラブは1920年(大正9年)10月20日に、当時三井銀行の
重役であった米山梅吉翁が東京に創立したことはロータリアンならどなたもご承知のこと
でしょう。
しかし、そこにはあまり知られていない蔭の功労者がいたことを忘れてはなりません。
その人の名は福島喜三次翁です。
彼は1881年(明治14)、佐賀県有田市に、父方は代々紺屋(染め物屋)、母方は
酒造業の子供として生まれました。
のちに東京商科大学(現一橋大学)となる東京高等商業学校を首席で卒業し、
1904年、三井物産に入社、ニューヨーク支店勤務を経て、12年、ダラスで
三井物産の子会社を設立、綿花を大々的に商うことになる。
そして1915年にダラスロータリークラブのメンバーになりました。ですから、
福島喜三次こそ日本人ロータリアンの第一号といえます。
やがて米山梅吉が経済使節団を率いて訪米し、その際福島家に宿泊、喜三次の紹介で
ダラスロータリークラブを訪問しました。
「テキサスの野にひんがしの初日の出」はその折り梅吉が詠んだ句です。
さて、喜三次は東京への異動に伴い帰国することになりますが、その際にRIから、
日本にロータリーを創設して欲しいとの要請があり、米山梅吉を会長に、日本で初めての
クラブ創設に尽力したのです。翌1921年(大正10年)4月1日、世界で855番目の
クラブとしてRI加盟が承認されました。喜三次は幹事として会長を補佐しました。
それから1922年(大正11年)11月17日に大阪クラブが創設され、ここでも幹事と
して裏方に徹しました。
喜三次が大阪在住中の23年9月に関東大震災が起こり、彼はいち早く救援物資を東京へ
送りました。
RIや世界の500余のクラブからも続々と援助が届きました。救援物資とともにこうした
支援は復興へ大変役立ち、全国民から感謝されました。このことが、ロータリークラブが
全国的に相次いで生まれる契機ともなりました。
1928年(昭和3年)日本が第70地区として設定され、初代ガバナーに米山梅吉が就任、
現在では北は北海道から南は沖縄まで、津々浦々にロータリーが展開されていることは
ご存じの通りです。
米山梅吉とともに福島喜三次の名もロータリアンの記憶に是非とどめていただきたいと
思います。