奉仕の理想探求語録    第18号

        長崎東ロータリークラブ 雑誌委員会        

 

ロータリアンの孤独     (友1999−4号    浜名湖 坪井篤義)

 

私は時々、ひどく孤独に陥ることがある。

例会の時や奉仕委員会の仕事中もふと激しい孤独感の虜になる。

いや焦燥感と言った方がいいかも知れない。

「自分はここにいていいのだろうか」

「自分はこのようなところで昼食を食べている立場ではないのでは」

「ロータリーは本当に今の世の中の役に立っているのだろうか」

私は某サービス会社を1年前に定年退職し、今は別の職種でロータリアンを

継続しているが、過去の職種の肩書きだったときの方が人々との関わりの中で

優位性があり、またチヤホヤされる甘さもあった。

それをはなれた今が本当の「自分」になったのであるが。

さてこれから真実のロータリアンになり得るか否か。

小さな了見から脱却出来るかどうか。

私は折に触れ、野山にたって漠然と空や雲、樹林を見つめる。

自然界の一木一草一石一水、それぞれがひかえめに生きている。

役に立つのか立たないのか、とにかく存在している。しかし私は人間に生まれた。

生まれた以上は生涯において、何時の日か、何かの役に立たなければならない。

終戦後、半世紀経ち、あまりにも奇怪になった日本。

ロータリークラブやその一員である65歳の私がどう立ち向かうか。

この焦燥が、なお一層、私の孤独感を誘発するのかも知れない。