奉仕の理想探求語録 第21号
長崎東ロータリークラブ 雑誌委員会
マザーテレサ昇天
(友1998−1号 神戸 常持 敦)
マザーテレサ女史は、カルカッタで87歳の生涯を終えて静かに昇天した。
同じ日のテレビは先日パリで事故死したダイアナ妃のロンドンでの葬儀を全世界に
衛生中継していた。
マザーテレサに私が感動したのは、20年前の例会で「マザーテレサの奉仕」という
記録映画を見たときだった。
当時の第266地区、菅生ガバナーが地区全員にこの映画を見ることを推奨した結果だった。
その後、あるクラブが、彼女をポール・ハリス・フェローに推薦した際、女史はカルカッタに
来たそのロータリアンに「自分を痛めて奉仕できる人が、ロータリアンになって欲しい」と
言った、と「ロータリーの友」に報じられた。
私はあの映画の中で「死を待つ人の家」に路傍から収容されて、女史達の懸命の奉仕を受け
ながら、死んで行く貧しい人たちの顔が、動物的な顔から、やがて人間らしいものへ変化する
のを見て大変感動したが、彼らは一言の謝礼も報いることは出来なかった。
しかし女史は後年、ノーベル平和賞の受賞挨拶で「私にこのような奉仕の機会を与えてくれた
カルカッタの最も貧しい人々に感謝する」と語っている。
奉仕とは、それを「与えられるもの」よりも「与える」者の方が、より感謝すべきものの
ようである。
それは母の愛のように「報いを期待して行われるものでない」から女史は「愛は奉仕」であり、
「自分を痛めない奉仕はない」と言われたのだ。
彼女のような「聖職者の奉仕」と「ロータリアンの奉仕」とは違うのはやむを得ないが、
「天職観によるロータリーの奉仕」とは何か?はやはり彼女達の究極の行動に見習うべき
多くのものを認めて、はじめて会得出来るものではないだろうか。
(中略)
「自己犠牲を伴わない奉仕はない」という女史の言葉はわれわれロータリアンへの貴重な
遺言として、永久に心にとどめたい。