奉仕の理想探求語録 第22号
長崎東ロータリークラブ 雑誌委員会
ああ慶州ナザレ園
(友1998−5号 湯河原南 肥川治一郎)
新羅千年の歴史の古都、韓国慶州市に慶州ナザレ園がある。
ここに日本人妻の古老の一団がひっそりと住んでいる。
現在、70歳から96歳の28人(内盲目3人、痴呆9人、寝たきり4人)が入居している。
戦乱とその後の困窮を生き抜いてきたこれらの人達は、帰国船に乗り遅れた国際迷子といわれ、
二つの国の谷間での日韓史の生き証人でもある。
明治43年の日韓併合条約により、日本が領有、36年間、内鮮一体、皇民化、徹底した教育の
圧制は日韓5千年の歴史を損ない、隣国を遠い国とした。
日本敗戦により日韓の国境を越えて結婚した妻達は、韓国の人々の日本に対する怨讐を受け、
半日感情の逆巻く中で、石をぶつけられ、唾を吐き掛けられさげすまれた。耐え続けて半世紀。
ナザレ園は、現韓国社会福祉協議会の会長、金龍成さんが、日本人妻たちの窮状を見かねて
昭和47年に設立した施設である。
当時金さんは「困っている韓国のお年寄りがたくさんいるのになぜ日本人の施設か」と非難を
浴び、抗議に駆けつけた若者達に「私たちが植民地で差別されていた時、肉親を捨ててもなお
私たちの国の青年を愛して苦労した人たちですから、出来る限りねぎらいたいのです」と
いって屈しなかった。
抗日家であった父親を日本軍に惨殺され、幼くして孤児となり、25歳で福祉活動家となり、
幾星霜、金さんの苦難と憎しみを越えたその言葉には説得力があった。
浄財で運営している園は30人収容で3000万円を必要としている。
57年に「慶州ナザレ園―忘れられた日本人妻たち」(作家 上坂冬子・中央公論社刊)に
よってナザレ園が世に広く知らされた。
この本で感銘を受けた私は、当時第259地区(現2590地区、2780地区に分区)
の世界社会福祉委員長としてWCS登録番号にもなっていないナザレ園への援助を地区内に
アピールした。
いち早く応じてくれたのは私が所属の湯河原南RCで、昭和60年から毎年度、支援金と
日用品を持参して激励訪問代表団を派遣している。
今は病床にある高齢の金理事長に代わって園長の任にあたっている宋美虎(ソン)さんは
14年前に慶州にソウルから移住、無給で奉仕しておられ、おばあさん達に「お母さん」と
慕われている才媛である。彼女は教師であったが、留学も断念したのである。
平成9年度の訪問団に、宋園長から「一つのロータリークラブが13年間にもわたる継続
ご奉仕を心より感謝します」とお礼の言葉が掛けられた。
「ふるさとの唄」を合唱して目を輝かしていた日本人妻のおばあさん達、その声と顔が
心に残る。