奉仕の理想探求語録 第28号
長崎東ロータリークラブ 雑誌委員会
最も有名なロータリアン
(友1998−9号 京都南 沼田 廣)
ポール・ハリスを除いて、世界で最も有名なロータリアンは誰か、と問われれば
貴方は誰と答えるでしょう。私は「カーネル・サンダース」と答えます。
あのケンタッキーフライドチキンの創業者です。
世界69カ国9000店余に及ぶフードサービスチェーンとして、あまりにも
有名ですが、どこの店に行っても白いヤギひげを生やして、お客様を迎えていますね。
このカーネルおじさん人形の襟に、ロータリーバッジがさんぜんと輝いているのを皆さん
ご存じでしょうか。いわばロータリークラブの広告塔的存在です。
カーネル・サンダースは1890年、インディアナ州南部の町、ヘンリービルに生まれました。
本名はハーランド・サンダースといいます。
カーネルというのは、1935年にケンタッキー州知事から功績があったとして、
「陸軍大佐」(カーネル)の名誉称号を受けたので、以後こう呼ばれるようになったのです。
彼は5歳で父を亡くし、工場で働く母の代わりに料理を作りました。
6才の時ライ麦パンを一人で焼き上げ、これがあまりにも見事な出来映えなので、大人達は
彼の腕前を絶賛しました。
このことで少年は“もてなしすること”(I SERVE)の喜びを深く心に刻みつけた
のです。
そして10歳の頃、農場に働きはじめてから、さまざまな職業(市電の車掌、兵隊、鍛冶やの
手伝い、機関車の釜焚き、渡し船の船長等々)を転々としたカーネルは、1930年、
ケンタッキー州のコービンという田舎町で、ガソリンスタンドを始めました。
そこで彼は、車にガソリンが必要なように、人間にもおいしい食事が必要と、ガソリンスタンド
の脇にテーブル1卓、いす6席のレストラン、「サンダース・カフェ」をオープンしました。
するとカーネルが丹念に作るフライドチキンが大評判になり、毎日長い行列が出来るほど
繁盛し、ついに今日の世界的チェーンに発展するまでになりました。
彼は早くからロータリー活動と熱心に取り組み、1919年、29歳でインディアナ州の地元
ジェファーソンビルRCのチャーターメンバーになりました。
その後ケンタッキー州のコービンRCを経て、同州のシェルビービルRCのメンバーとして
活躍、1980年、90歳でその起伏に富んだ生涯を閉じました。
カーネル・サンダースこそ、まさしくロータリーのモットー
“He Profits Most Who Serves Best”
(最もよく奉仕するもの、最も多く報われる) に生きた人物だと思います。