奉仕の理想探求語録     第46号

            長崎東ロータリークラブ 雑誌委員会

                

ボランティアのご褒美    (友への投稿依頼原稿です)

                     長崎東RC      松林政寛

 

最近私自身が行った奉仕活動の中で「ボランティアのご褒美」と感じられる感動的な

いくつかの体験を紹介します。

ボランティアが相手のためでなく、自身の喜びであることも少しずつ分かってきます。

 

小江原の出口病院雛祭り茶会で

軽度の精神障害の、女の方が患者の中に一人おられ、お茶の準備の待ち時間に耐え

かねて、「なんばすっとね、きつかけん、はよせんね」

「もうよかとやろ、なんばすっとね、もうやめんね」と大きな声でわめくものですから、

メンバーと心配になり、「できるだけ自分達の番になったら、演奏の時間を短縮して

やろうね」と下打ち合わせしておきました。6曲の予定を4曲に減らしたわけです。

そして胡弓の演奏に入りました。3曲目に「月の砂漠」をみんなで歌って貰いました。

女の方がひとり嬉しそうにマイクを使って歌い始めました。そうしたら会場のみんなが

歌い始めました。4曲目に「蘇州夜曲」を弾き出したらみんなで唱いました。

そして「もってこい、もってこい」と大きな声で合唱が起こりました。

アンコールの曲を2曲出して、「今日は楽しく聞いていただき、本当に有り難う

ございました。」と申しましたら、最初に「もうやめんね」といっていた当の女の方が

「もうやむっとね、まだよかやろが」といいました。

 

島原の療育センターで

精神障害者を収容する施設では誰でもいつでもボランティアができるわけでは

ありません。

施設長が私と面接をして、その人格、趣旨を確認してから、患者のためになるか

どうかを確認してから、受諾があるわけです。

させてください、とこちらは頼むわけですが、はいとはならないのです。

平成12年7月、はじめて山の上の方の療育センターを訪れました。

会社からコーラスの男性をひとり連れて3人で伺ったのですが、はじめに讃美歌を

2曲唱いました。3曲目に「ウェルナーの野ばら」を唱いだしたとき、突然一人の男性が

奇声をあげ始めました。演奏しながら困ったなあ、あまり気が乗らないのかなあ、と

心配しながら、次の曲に進みましたが、その声は大きくなったり、小さくなったり

最後まで演奏家にとっては雑音として、あまりよい印象を持たずに、障害者への

ボランティアの難しさを感じながら、演奏会を終わりました。

そして看護婦さんに「あの人はあまり音楽が好きではなかったようですね」と尋ねました。

そうしたら看護婦さんは「とんでもないですよ、この人は私たちがどんなに声をかけても

もう半年も何も答えない、声を出さない人だったんですよ。

私たち毎日看護をしているものはみな驚きました。

あの人が嬉しそうに子供の頃を思い出して大きな声で唱っているのを見て、

信じられないほど驚いたんですよ」といいました。

 

島原の白山保育園

島原の友人から頼まれて保育園を尋ねました。

妻と「子供はむつかしかやろね」と話しながらいろいろと選曲を練りました。

「とんぼのめがね」「おおきな栗の木の下で」「七夕さま」など練習して乗り込みました。

そしてみんなにいいました。

「おじさんとおばさんが1番は演奏するから2番からみんなが大きな声で唱うんだよ」と、

私は尺八や笛や篳篥やケーナを順々に使い、妻は胡弓と琴を代わるがわる演奏しました。

演奏したら「みんな集まれ、弾いてごらん、吹いてごらん」といって1列に並んで1人1人

いろんな楽器を触らせました。終わった時にはもう子供達は満足感で一杯でした。

帰りの入り口まで子供達が抱きついて離れませんでした。

あとから園長先生から手紙が届きました。

「尺八と琴の演奏を子供達に聴かせて本当に喜ぶんだろうか、来て貰っても迷惑にならない

だろうかと、とても心配しました。あんなに子供達が喜ぶとは思っても居ませんでした。」

とのことでした。

その1月あとに、近くの島原児童館に招かれて、学童保育生と同じように遊びました。

 

妙連の滝の滝守様

東長崎の中尾というところに妙連の滝というところがあります。わたしは自分の日々の

生活を見直すためにたまに托鉢にでることがあります。

車に乗っておおかたここからここまで、と決めたら車をおりて4時間コース位を

托鉢して回るのです。ダムのそばに車をおいて上流をめざしどんどんと歩きました。

中尾の田舎家を一軒一軒回りながら最後に最上流の妙連の滝にたどりつきました。

滝とは名ばかりの水道パイプからちょろちょろと水が滴り落ちるような滝でした。

地蔵様が何体かおられ、お賽銭が置かれていました。私もポケットから小銭をつかみ、

地蔵様の前に供え、1曲献曲をして帰ろうとしたときです。下の家から女の人の声が

かかりました。「お坊さん、折角ですから上がってください。」と。

なにせ初めての托鉢先であり、「実は私はお坊さんでも何でもありません、虚無僧をまねて

自分の修行で回っているものですから、草鞋を脱ぐことは出来ないのです。

せめて一曲吹かせていただきます」といって吹きました。そして曲が終わったとき

「虚無僧さん、私のお布施です」といってお金を3000円入れて渡そうとしました。

ただお地蔵さんがいるだけの滝の様子からそんなに供物料収入があるとも思えません。

「すみません、私は高給サラリーマンで本当はお金に困っている訳ではありません。

お見かけするところ、あなたはそんなに収入があるわけでもないのにこんな大金を私に

出したら明日からどうして食べるんですか、後生ですから大事に使ってください」と

いって辞退しました。

そうしたら「この近くの方はあたしをのたれ死にさせるような方は一人もおりません。

どうか私の気持ちを汲んでこのお金を貰ってください。」

私は考えました。自分はどんなに裕福になつてもまだお金を欲しがるのにこの方はお金は

ぜんぜんないのに、人に施そうとする、完全に人間が違う、いう通りにしよう。

いまだに御礼の方法もないまま、いつかこの前の男です、といってキチンと挨拶のできる男に

なりたいものだ、と毎日考えています。

 

吉井町の「平成大学」と「邦楽体験教室」

昨年の年末、みぞれの降るこの冬一番の寒さでした。私たち夫婦は佐世保を過ぎた頃、

自動車の中からあまりの天候の悪さに、吉井町の教育委員会の担当者に電話をかけました。

「今日はやっぱりやりますか。天候も悪いし、お年寄りが体育館では体をこわすのでは、

と心配ですが」すると「いや吉井は大丈夫ですよ、予定通りやりましょう」とのことで

現地へまもなく着きました。体育館はストーブと暖房を付けてはいましたが演奏開始と

同時に消します、というのです。

体育館にはお年寄り60名と中学生200名がござをひいて待っていました。

さぞかし底冷えもするし足も痛かろう、と夫婦で顔を見合わせました。

「途中で中学生が我慢しきらずにざわめくやろね、短めに終わろうね」と妻と下打ち合わせを

していよいよ演奏になりました。何せ中学生を相手にするのは初めてでした。

「みんな、君たちの中には親と仲違いをして口も聞きたくない人がおるかもしれんけど、

みんなはいいなあ、私は中学生の時から父さんの会社の都合で下宿生活になって、高校も

大学も親と一緒には過ごせなかった。いつも親と一緒に暮らせる人は幸せだなあ、と思って

いたよ」「39才の時、やっぱり人間の幸せは親からお前を生んでよかった、お前のおかげで

幸せな人生を終えることができたと言って貰うことだ、と気づき、都会の会社を辞めて、地元に

帰ってきたんだよ、そして女房と二人で力をあわせて、両親を天国に送ることが出来ました」と

口を切りました。

途中生徒に舞台に上がって貰い、尺八、笛、琴、胡弓の体験教室を交えながら1時間半におよぶ

板張りの上での演奏会が終わったとき、妻が口を切って言いました。

「みんな、有り難う、きょうは嬉しかった、こんなに真剣にみんなに聞いて貰えるなんて自分は

考えてもいなかった。最後まで真剣に聞いていただいて有り難う、」と。