宗祇・宗長・玄庵を偲ぶ一節切の旅
小田原在住の尺八家、牧島志洞師のお誘いで平成15年8月25日より27日までの3日間
小田原、静岡周辺の尺八に関する史跡を訪ねました。
なにしろこの地区は、織田、豊臣、武田、今川、北条、上杉などの戦国の武将が
覇を競ったところであり、また当時の文化の中心地でもありました。
とくに「島原城の尺八」は駿河の持舟城で天正10年(1582)手に入れられたものであり、
家康や家忠とも姻戚の松平太郎左衛門重定に城主忠房が分け与えた城宝であったことが推測されます。
その後の調査によって、これが法橋である「宜竹」の作であることが判明しました。
しかし、萬宝全書に出てくる「宜竹」は1655年に法橋に任ぜられており、時代があわない。
しかも樺巻きが施してなく、茶人が好むような簡素な作風である。
私の個人的な憶測ですが、樺巻きが施していない宜竹初期の作品だから、
松平家が特に欲しがったのではないでしょうか?
おそらく当時の著名な連歌師か茶人が所持していたものと推測され、
何かの手がかりを 得られればと、今回の研修旅行を思い立ちました。
小田原在住の尺八家牧嶋志洞師には旅行中、特段のお世話になりました。
柴屋寺にある「頓阿法師作の一節切」
宗長(1448〜1532)自らが吹いていたという。
「頓阿法師の一節切」を格段のご配慮により
吹かせていただいた。感激この上ない!!
お礼に静風銘の一節切を一管進呈、
訪問者への試し吹き用に使っていただければ光栄です。
北条早雲が築いた城、興国寺城
後にめまぐるしく城主は変わる。
早雲はのちに韮山城主となる。
由良の興国寺と多いにかかわる願性を生んだこの地の豪族、
葛山氏の城、「葛山城」