ロータリークラブと私

 

長崎青年会議所とロータリークラブ、この2つが私の人生を大きく変えました。

 

ロータリークラブって一体何だろう。

優良企業の経営層トップの集まりであること位は知っていました。

そして憧れの的でした。

38歳のとき、まだ県外企業に勤務したまたま長崎営業所所長に任命されたとき、

多くの仲間を作ろうと、ポケットマネーで青年会議所に入り、同窓の仲間達とふるさと造りに

汗を出したあの感動を振りかえりながら、地元企業に転社後、社長に懇願して

ロータリークラブへの入会が認められ、長崎東ロータリークラブへ入会、

そして何もわからないまま、1年後には思いがけなく、雑誌委員長を拝命されました。

どうやら当時の会長の思惑だったようです。新人を委員長にすることで改革がなされるだろうとの、

当初は戸惑いましたが、ちょうどいい機会と捕らえ、

この際「ロータリークラブって何だろう」を掴むために、関連雑誌を読みあせり

「奉仕の理想探求語録集」を作りました。

また日中国交正常化30周年を記念して、中国より北京中央音楽学院の教授陣を招き、

「中国音楽の夕べ」を開催し、その収益金30万円を米山記念奨学会に寄贈いたしました。

当年度、ポールハリスフェロー、翌年は社会奉仕理事に任命されました。

ダイヤモンドプリンセス号の不慮の火災事故により、地域の皆さんへ多大なご心配をかけたことを憂慮し

退職を間近に控えて、万全の事故対応にあたろうと、ロータリークラブを退会しましたが、

あの数年の諸先輩の教えが、私に「地域に奉仕する喜び」を発起させてくれました。

多くの素晴らしい先輩、友人に出会えました。出会いこそが私の宝です。

 

「汗を出さなければ、奉仕でない」という方もいます。 私はそうは思いません。

自分に今、できる形での精一杯の奉仕、 それでいい、と思うのです。

汗をだす人に共感し、「頑張ってください」と、声をかけるだけでもいいのです。

その場に立ち会って、感動を共有できれば、なお素晴らしいことでしょう。

                                 HPへ