多聞先生と私
私の人生を大きく変えた人、それが鈴木多聞師
24歳のとき、尺八を始め、都山流7孔尺八を11年ほど学んだあと、
縁あり長崎転任となり、尺八製管師を訪ね歩いて、大村の鈴木多聞師に
逢う機会ができた。昭和54年1月のことだった。
そのとき多聞師は「奥州薩慈」を吹いた。
その感動を今も忘れることはない。「これだ」私が求めていたものは、
それから3年間、多聞先生について基礎からやり直した。
57年に師範の免許を許され、15年振りに師範となった。
上の写真は平成元年6月4日、第68回尺八本曲全国献奏大会で多聞師との連管。
思い出の写真である。この日は師と「九州鈴慕」を吹奏した。
これからまもなく、師は脳梗塞を患い、左手が不自由になり尺八は吹けなくなった。
平成15年10月13日、78歳で他界された。