長崎東高新聞
「題字」の変遷
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創刊号 S23・11・30 |
第8号 S24・7・4 |
第80号 S35・2・20 |
第136号 S47・3・1 |
第153号 S53・12・11 |
第8号の「編集兼発行人」である有田俊雄さん(3回生)から、
写真を見てのご感想をいただきましたので掲載させていただきます。
有田俊雄(3回生・今でも新聞部)さん記
気が付いたこと、思い出したこと:
1)題字が何回か替わっていますね。
2)最初は題字下に、編集兼発行人として、当時の新聞部の
部長名を入れました。田島忠司、有田俊雄、堀 憲昭・福森一郎
まではありますが、そのあとはありません。
何かが変わったのでしょうね。
3)題字下広告の長崎アサヒ販売kkさんも、これだけ
長期にわたると、すごい!
今もこの靴屋「アサヒ革靴」さんはあるのでしょうか?
4)旧西山校舎の写真は、いつ見ても懐かしい。
とくに正門を外から見たところ。2年生の時、ここで、
毎週月曜日の朝、東高新聞を配りました。
今学校週5日制が論議されていますが、当時の感覚からいえば、
クラブ活動など、授業に関係ない時間の過ごし方でしたね。
生徒会長選挙の時、登校する生徒相手に、古新聞をつないで、
立候補の垂れ幕を屋上から垂らしたのですが、当時の紙は
弱すぎてすぐに切れてしまい、あっという間の寿命でした。
某先生が辞めさせようと屋上まで駆け上がってこられたときは、
もう寿命が終わっていたとか?
5)学校は3年間もいると、どこに何があったか、すみずみまで
知っているようで、意外と知らないという事実。