城山憲法九条の会
私からひとこと
   生≠フ迫力に圧倒されました!

     「九条の会」全国交流会に参加して  佐久間  洋子
                            (城山憲法九条の会・事務局長)


 「九条の会」全国交流会が、6月10日東京でおこなわれ、全国から約800の「九条の会」から1550人が参加しました。全国で「9条の会」は地域、職場、各分野で5176になったと報告。九条を守ろうという「九条の会」が全国で燎原の火のように広がっています。交流会に参加された佐久間洋子さん(城山憲法九条の会事務局長)の手記を紹介します。

  6人のよびかけ人があいさつ

 よびかけ人6人が並んでいる!やっぱり生≠フ迫力に勝るものはない!と実感しました。
 「若い方がこんなに大勢」と切り出された三木睦子さん。「そうだ93歳の彼女からすれば私は若い人だ」と納得。「世界中が静かで楽しくなったら、年寄りがわめく必要はなくなるんです」と。
 「文明の名で」世界に先駆けて原爆を落とされた日本が、戦争に協力する必要はない」と鶴見俊輔さん。
 澤地久枝さんの「普通の人にとって報道されない事はなかったこと。(九条の会を報道しないのは)マスコミの犯罪行為だ」に、「今日の交流会も一般マスコミがどう報道するだろうか」と思って聞き入る。
 「戦争は国全体を」巻きこむ一大事業だから、言論、特に人権、教育‥‥つながって悪くなる」と加藤周一さん。「九条の会」は上り坂です。勢いで押せば勝てます」と力強い。
 「戦争の反省にたって改憲を進めるのが現実的だ」という議論がでている。現実をしっかりみればもはや戦争をしかけるなんてできないとわかっているのに、その現実を見ようという議論をしないように仕向けている」と小田実さんの指摘に、そうだ、上滑りではいけない、と肝に銘じる。
 大江健三郎さんの、「この憲法の理想は根本において教育の力に待つべきものである」と教育基本法の文章を引いての話。「どんないきさつがあったにせよ、憲法を自分のものとして受け入れた当時の日本人には倫理的想像力があった」に、親世代をほめられたようでうれしくなる。

    5つ「九条の会」からの報告

全体会では5つの「会」が発言しました。
○市町村合併で、職を失った〈?〉旧町長や教育長らが、水を得た魚のように活躍している。
○グッズ作りに集まるのが楽しい、グッズを渡しながら話が広がる。
○「沖縄の憲法記念日は、1972年5月15日(沖縄返還の日)」と話す(沖縄大学人の会)。
○「話し合う場もないなかで、『会』がしゃべりの場になっている」(高校教員の会)。 
○天気の話やおかずの話と同じ気軽さで九条の話ができるように、小さな集団を沢山つくっている。

   午後の分散会で「城山」の発言

 午後は分散会。「もうちょっと発言の時間がとれます」の司会のよびかけに手を上げたら当たってしまった。
 「被爆校舎を持つ地域に住む者として、『会』をつくろう、それも顔の見える範囲でとはじめた」「そのベースには、20年になる中学校区網の目平和行進があった」「世話人のうち5人が被爆者で、『再び被爆者をつくらない』が城山の会の原点である」など、必死に発言。
 他の発言は、市、県レベルで「どうネットワークをつなげるか」などが多かった。弁護士が「あと27名で弁護士過半数の賛同に」感激!それに続いた「若い弁護士の中には、自衛隊を軍隊と認めて憲法的に歯止めをかけると大まじめな人がけっこういて、説得に骨をおる」との話に思わずエーツと声が出た。
 
   新ポスターを風°Nこす力に

 新ポスター(上図)ができました。町中に新ポスターを張りめぐらせて、風≠おこす力にしましょう!
   
    
新しい九条の会ポスター

新しい九条の会ポスター