3)神の存在−1 |
カトリックの第一の教えは神が存在するということです。これを認めなければカトリックの教え全体が崩壊しますので、今回からしばらく神様について見ていきたいと思います。 むかしノーベル物理学賞の授賞式でインタビューされた受賞者が「物理をつきつめると、どうしても神の問題に突き当たる」と言いました。するとテレビキャスターは少しそわそわし始め話題をそらしたのです。神の話がそのような場には場違いであると考えたからでしょう。現在社会の大きな特徴は神を公の場から追放しようとすることですが、でも実際はこの地球上のほとんどの人間は何らかの神を信じていて、正真正銘の無神論者はごく少数です。ただ、無神論はインテリといわれる人たちの中に広がっているので、世界に無視できない影響を及ぼしているのです。 インテリの中に無神論者が多いということは、神は無教養な大衆には信じられるものかもしれないが最先端の科学に通じた者は神など信じなくなる、という印象を多くの人に与えているようです。言い方を変えれば、「科学が未発達の段階では多くの自然の謎が解明されず、それらの神秘を神という存在によって説明する。しかし、もう少し科学が発達すれば、科学によって自然界のすべての謎は解かれ、神を信じる人はいなくなる」という考えです。実はこのような考えは19世紀に広がったもので、彼らは20世紀には科学の発達によって人類は真の幸せに達し宗教はなくなると夢見ていました。しかし、20世紀に宗教はなくなるどころかかえってその力を増しており、逆に科学に対する「信仰」はますます弱まりつつあるのです。 もともと宗教と科学は矛盾するものではありません。それは科学と宗教は異なった分野の知識だからです。つまり、科学は物質を相手にします。物質を観察し、その構造や働きを調べていくのです。他方、宗教は見えないもの(物質ではないもの)を相手にします。ですから、科学がいかに進んでも神が存在しない、あるいは存在するという結論を出すことはできないのです。 科学と宗教は相反するものでないことを証明するには、一流の科学者で神を信じている人が珍しくないことを示すのが手っ取り早いでしょう。古いところではコペルニクスはカトリックの司祭でした。遺伝の法則を発見したメンデルはベネディクト会の修道士、ニュートンはプロテスタントですが聖書に従ってアダムの年代を計算しようとしたほどです。この他、ボルタ、アンペアー、ファラディーなどの電気の研究者も熱心な信者でした。新しいところでは、ビッグバン理論の発見者のルメートルはカトリック司祭、量子論の父といわれるマックス・プランク、ノーベル賞受賞者の医師エックレスも神への信仰を公言しています。 もちろん、科学者で無神論を唱える人も珍しくないのですが、その無神論は科学研究の結論ではなく、科学と関係のない世界観から出てきた結論だということです。
信仰は非科学的であると言うことこそ迷信であると理解していただければ幸いです。
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