18、旧約時代−1

 人類の堕罪からイエス・キリストの誕生までを旧約時代と呼びます。この時代が一体何千年、何万年続いたのかは聖書からは分かりません。『創世記』に出てくる系図と寿命をもとに、かの近代物理学の父ニュートンは天地創造からキリストまでの年代をおよそ4千年あまりと算出したそうですが、聖書の系図はアダムからアブラハムまでの全成員を網羅しているのではないのは明らかです。

 『創世記』の記述が、歴史や考古学の資料によってかなり正確に検証されるようになるのは、紀元前19世紀ころの人とされるアブラハム以降です。神はアブラハムという人をお選びになり、彼の子孫(ユダヤ民族)に特別の祝福をお約束になりました。神とユダヤ民族の関係の歴史こそ、旧約時代の中心テーマです。これを知ることはキリスト教を理解するために不可欠な重要事項ですが、旧約聖書を全巻読破するのは容易なことではありません。そこで、犬飼道子さんの『旧約聖書物語』や『小説旧約聖書』など、聖書を忠実にまとめた本を読むことをお薦めします。

 アブラハムの子孫の中から、紀元前13世紀ころモーセが現れ、神は彼を通じてユダヤ民族に律法を与え、彼らと契約を結びます(旧約)。この契約はユダヤ人が神の律法に従って正しい道徳生活を送るならば、神は彼らを特別に守るという内容でした。しかし、彼らはあろうことか、神から直接選ばれ愛されながら、その愛に応えようとしない忘恩の民となることがしばしばでした。このたびたびの不実にも関わらず、神は彼らとの約束に忠実で、最後にはメシアをお送りになるのです(イエス様のされた「ぶどう畑の農夫」のたとえ話を参照。マタイ、21章、33〜46、他)。

 さて、時に「旧約の神は怒りの神、新約の神は愛の神」と言う人がいます。これはすでにローマ時代、マニ教という宗教が主張し、教会が断罪した教えです。確かに旧約聖書を読むと、神様はある町の破壊を命令されたり、また罪を犯したユダヤ人が厳しく処罰されることも珍しくありません。しかし、この事実は神の教育法のためと考えられます。すなわち、旧約時代、中でも時代が古ければ古いほど、ユダヤ人は(他の民族も同じですが)未開で野蛮でした。そのため神は後の時代とは少し違う接し方で彼らを導かれたのです。ちょうど、子供が幼児、少年、青年と成長していくにつれ、親や先生の接し方も異なっていくのと似ています。

 他方、旧約聖書にもよく読めば、「ゆるす神」、「愛の神」もいたるところで見つかります。逆に新約聖書にも、罪に対する神の厳しい裁きについてのイエス様の言葉も見られます。当然のことなのですが、神は唯一ですから、旧約の神も新約の神も同じ神様です。ヨハネ・パウロ2世は、キリスト教は「人が神を探すのではなく、神が人を探す」宗教と言われましたが、それは旧約時代にも見事に当てはまる事実です。神から特別の愛を受けながらしばしば神に背くイスラエル人は、私たち信者の象徴とも言えるでしょう。その忘恩、不実を見るとき、私たちの他山の石とするために、また神の愛の深さと強さを理解するために利用できればと思います。


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