27)イエス・キリスト−8(復活)

 キリスト教が生まれたのは紀元1世紀の前半です。この新宗教はユダヤ教から生まれたのですが、ユダヤ教との違いはどこにあったのでしょうか。それはナザレのイエスこそ、ユダヤ教が長い間待ち望んでいたメシアであるだけでなく、神の子であると信じる点にあります。でも、初代の信者たちは、ナザレのイエスが神の子であると信じたのでしょうか。その最大の理由が、イエスの復活の事実です。実にキリスト教信仰の土台は、「イエスが死んで葬られ、三日目に蘇った」という点にあります。事実、生まれたばかりの教会が、いかなるメッセージを人々に伝えたのかは、『使徒言行録』に記録されていますが、それを読むとペトロたちは何よりもまずキリストの復活を告げたことがわかります(2章32、3章15、4章10、5章30など)。一度実際に読んで確かめてもらえれば幸いです。

 キリスト教を攻撃する人々が、イエスの復活を否定しようとしたのは実に当を得たことでした。というのは、もしそれに成功すれば、キリスト教は自らが立っている土台を破壊されるからです。かくして、20世紀の長きにわたって、「復活なんぞは嘘じゃ」と主張する様々な理論が発明されたのです(詳しくは、岩下壮一神父の『カトリックの信仰』、講談社学術文庫、第12章を参照)。それらの説をざっと二つにまとめますと、一つは弟子たちが嘘をついたとする説。もう一つは、弟子たちには悪意はなかったが騙されたのだとする説です。

 前者には、
@弟子たちが墓に葬られていたイエスの死体を盗んだという盗難説。
Aイエスは実は死んではいなかった。墓の冷たい空気に触れて息を吹き返したのだという仮死説(こんなばかばかしいことを偉い学者が言うのは信じがたいですが、本当です)。
後者には、
B弟子たちがイエスの幻を見たという集団幻視説。
C中近東の古い宗教に見られる復活した神の神話から影響を受けたとする作り話説。
D弟子たちの心の中にイエスの教えと人格が復活したとする心理的復活説。
以上に分類できるようです。

 これらの説を提唱した人々は、はなから「復活はありえない」という決め込む合理論者です。まず「復活はない」という大前提(これは彼らにとっては証明する必要のない事実なのです)があるので、初代教会に見られた復活の信仰がどのようにできたかを、なんとか自然の仕方で説明しようとするわけです。

 復活否定論に対する最も効果的な反論は、弟子たちの単純素朴な態度でしょう。彼らは反対論にいちいち反論する代わりに、自分の命を捧げました。パスカルは「私は、その証言のために己の首を差し出すことを辞さぬ証人を喜んで信用する」と言います。人が嘘をつくのは、自分の利益になる場合だけで、自分が損をする、いわんや殺されるのを知りながら、嘘をつき通す人はないでしょう。それゆえに、@Aの説は常識外れで、反論する価値もありません。

 弟子たちが騙されたとする説については、新約聖書をもう一度よく読むべきだと思います。そこに現れる復活の信仰は、非常にリアルな復活、つまり血と肉からなる体の復活です。復活したイエスが初めて11人の弟子に出現したとき、彼らは「幽霊を見ているのだと思った」ので、イエスは「触れて確かめよ」と言い、手と足を見せる必要があったほどです(ルカ24章37〜40)。聖書のどこにも、この復活が「霊的な復活」であったと匂わせる証言はありません。BとDは、これで反駁されると思います。

 Cはいわゆる比較宗教学の説ですが、比較をする場合、類似点だけでなく相違点にも注意しないといけません。つまり、死んで蘇る神について語る宗教があったとしても、それを固く信じて多くの人が殉教し、しかも現代にまでその信仰が生き生きと伝えられている、という宗教はキリスト教以外にありません。他の宗教の影響でこの信仰が生まれるのは、よく考えれば、鳶が鷹を産むよりも難しいことだとわかるはずです。

 それにしても、「確かに復活の信仰がどうやって生まれたかは説明できないにしても、復活なんてことは、今から二千年前の、まだ科学が未発達で迷信が広くはびこっていた時代の人間には信じられるかも知れないが、この科学の時代に生きている我々には信じられない」と言う人も珍しくありません。それなら、もう一度福音書に目を向けてください。

 福音書によれば、イエスの復活の現場を目撃した人はいません。復活の最初の証人は、数人の女性たちです。日曜日の早朝、墓に駆けつけ、墓が空っぽになっているのを見つけ、そこで天使に「イエスは復活した」と告げられたのです。ついでながら、当時のユダヤ人社会では女性の証言は無効でした。もし福音書がこの話をでっちあげたのなら、これは実に愚かな創作と言わざるを得ません。より注目すべきは、この婦人たちの証言を聞いた弟子たちの態度です。「そうか、やっぱり復活されたのだ」と喜ぶ代わりに、「彼らにはその言葉がたわ言のように思えて、彼女たちの言うことを信じなかった」(ルカ24章11)のです。有名なことですが、イエスの最初の出現の場に居合わせなかったトマは、「私はその手に釘の跡を見、指をそこに入れるまで信じない」と言いました。例の婦人たちも早朝に墓に行ったのは、「遺体に香料を塗るため」で、つまり彼女たちも復活を夢想だにしていなかったのです。同じ福音書によれば、イエスは生前少なくとも3回は「復活」を予言していたのですから、弟子たちは復活を待ち構えているべきだったのに…。彼らが復活を信じるには、どうしても復活したイエスを自分の目で見る必要があったのです。つまり、彼らは決して「なんでも信じる」たぐいの人間ではなかったのです。

 使徒言行録は復活の教えがギリシア文化圏の人にどのような反応をひき起こしたかも伝えています。パウロが、ギリシア文化の中心地アテネの広場でキリスト教の教えを説明したとき、聴衆は最初は好奇心から耳を傾けていたのですが、「死者の復活という言葉を聞いたとき、ある者はあざ笑い、ある者は『それについてはまたいつか聞こう』と言った」(17章32)。復活はギリシア人にとって「馬鹿げたこと」だったのです。

 イエスの復活は21世紀に生きる我々は言うに及ばず、紀元1世紀の文化人にも、非常に宗教心の篤かったユダヤ人にも、信じられない出来事だったのです。では、どうして、このような信仰が生まれた、しかも広がって行ったのでしょうか。聖書の語ることをそのまま受け取れば、問題は造作なく解決するのですが・・。


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