36)教会−3(位階制度) |
(第二バチカン公会議『教会憲章』の第三章を参照。文中の数字はこの文書の番号です。) 前回、教会はキリストの神秘体であることを見ました。神秘体というのは教会のいわば見えない一面です。しかし、教会は同時に見える人間の組織でもあります。人間の組織が何か決まった目的に進んでいくためには、どうしてもリーダーが必要です。教会も例外ではありません。イエス・キリストは、自分はわずか3年で公務を終え、その後のことを使徒たちに任すというふうに計画されていました。そのために、使徒たちの中でペトロを後継者として任命されました。あの有名な「あなたはペトロ(岩)。私はこの岩の上に私の教会を建てる」(マタイ、16章、18)という言葉によって。福音書を読めば、いたるところにペトロが他の使徒たちの上に出ていたという場面に出くわします。このペトロの首位権は他の使徒たちにも抵抗なく認められたことは、『使徒言行録』の最初の部分、つまり教会が産声を上げたばかりのころの歴史を見ればわかります。このガリラヤの漁師は、こうして教会の責任者、キリストの代理者となって、後にローマの司教となり皇帝ネロの迫害のときにこの永遠の都で殉教します(67年)。 ではペトロの死後、全教会の指導権は誰が受け継いだのでしょうか。それがペトロの後にローマ司教の座に着いた人でした。つまり、ペトロがイエス様から受けた首位権は、代々のローマ司教が受け継いだのです(23,25)。ペトロの死後、首位権を誰が引き継ぐかについては、新約聖書には言及がありません。しかし、面白いことに、ペトロの死に際して後継者争いのようなものはありませんでした。またペトロから数えて4代目のローマ司教聖クレメンス(在位88〜97年)の時に、コリントというギリシアの町の教会で内紛が起こったのですが、それを解決するためにローマ司教が書簡を送っています。それを読むと、地方の教会内部のことに干渉する権利がローマ司教にあるという意識があったことがはっきりと見て取れます。この時代には小アジアにまだ使徒聖ヨハネがいたこと、またこの二人は格が違うこと(ヨハネは主の愛された弟子。クレメンスはイエスの直弟子ではない)を考えると、ローマの司教が全教会の責任者であるとの認識があったことがわかります。 ローマの司教(教皇)は、主がペトロに約束された「私はあなたに天の国の鍵を与える。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、地上で解くことは天上でも解かれる」権能と、「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ、22章、32)という責任を受け継いでいるとの自覚があり、また全教会もそう信じているのです。 しかし、この「つなぎ、解く権能」はペトロだけでなく、主は使徒たち全員にお与えになりました(マタイ、18章、18)。使徒たちも全世界に散らばって、各地に自分の後継者を立てていきました。それが司教です。「つなぎ、解く権能」とは、教会の統治権(法律を作ったり、必要ならば裁判を行ったり、罰を与えたりすること)のことです。全教会の指導を任されたのは教皇ですが、各地方の教会の統治を任されたのは、この使徒たちの後継者である司教です。司教は自分の司教区で、教皇の代理として統治するのではなく、イエス様から使徒たちが受けた権能をもって統治に当たります。ただ、使徒たちがペトロと一致していたように、司教は教皇と一致していなければなりません(22、23)。 イエス様は使徒たちに、統治権のほかに「教える権能」と「秘蹟をつかさどる権能」をお与えになりました。この三つの権能が、聖職の権能と言われます。この権能を持つものは教皇と司教だけで(教皇と司教を聖職位階と言います)、司祭は自分が従属する司教から委任を受けてこれらの権能の一部を行使するのです(28)。 言い換えると、神は教皇、司教という目に見える牧者を通じて教会を治めるように望まれました(18)。「あなたたちに耳を傾ける人は、私に耳を傾けるのだ」(ルカ、10章、16)と言われています。西洋の歴史で近代の初期に絶対主義という時代があり、そのころ王様の権威は神から受けたもの(王権神授説)だから、王は絶対的な権力をもつと考えられたそうです。しかし、これはカトリックの教えには反します。カトリックによれば、権威はまさに神から来たものであるがゆえに、権力者は神様の思し召しどおりに(つまり自分の身勝手に従うのではなく)、統治に当たらねばならないのです。また何度イエス様は次のことを繰り返されたことでしょう。「一番先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」(マルコ、9章、35)。6世紀末の教皇、大聖グレゴリウスは自らを「僕の中の僕」と呼びましたが、これは上のイエス様の教えによります。人の上に立つことがどれほど大変なことかは、組織の中で働かれている方や家庭で子供を育てられている方にはよくわかるのではないでしょうか。教皇パウロ6世の後の選挙に際し、一般の新聞に「5人の家族を治めるのでさえ簡単ではないのに、10億人の家族の家長はさぞ大変だろう」と書いてありました。この記者は信者ではないでしょうに、物事の本質がわかる人だと感心したことを覚えています。 次回から、これらの権能を一つずつ見ていきたいと思います。
(ペトロの首位権や教皇のそれについては、講談社学術文庫、岩下壮一、『カトリックの信仰』第十五章に詳しい説明があります)。
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