41)教会−8(祭職)

 教会では正月に「神の母なる聖母の祝日」をお祝いします(以前は10月11日でした)。十年あまり前、この祝日は日本では「守るべき祝日」、つまりミサに行かなくてはならない日となりました。10年前くらいのことですが、正月にある教会でこの祝日のミサをたてさせてもらったときのことです。ミサが終わるとある信者の人から「どうしてローマはこのようなこと(正月を守るべき祝日と)を決めることができるのですか」と尋ねられて、びっくりしました。と言うのは、その方はなにかローマが日本のことに不必要に干渉するのではないかと言いたかったような印象を受けたからです。教会(ローマ教皇庁)はミサや典礼に関して決める権限(責任)をイエス様から与えられたというのは、カトリック信者にとって常識的な教えでしょう。また日本では、普段はまったく無宗教の生活に浸っている人でも、正月だけはどこかの神社か寺に初詣をするではありませんか。それなら信者がミサに出て「今年もよろしくお願いします」と神様に頼むように義務付けられても、なんら特別な重荷を負うことを要求されるわけでもないと思います。

 ローマは同様に、カトリック国なら平日に祝う「ご聖体の祝日」、「聖母の被昇天」、「諸聖人の祝日」などの守るべき祝日を、日本では日曜日に祝うことを許可してくれています。

 第二バチカン公会議の『典礼憲章』22番にはこの点についてはっきりとこう書いてあります。「@聖なる典礼の規制は、教会の権限だけに依存している。この権威は使徒座にあり、また法の規定によって司教にある。
 A法によって与えられた権限によって、典礼に関することの規制権は、一定の地域内において、合法的に構成された種々の地域所轄司教団にも属する。
 Bしたがって、他の何人も、たとえ司祭であっても、自分の考えで、典礼に何かを加え、除去し、変更してはならない。」

 典礼についてはまた後でゆっくり見たいのですが、とりあえずミサを始めとする秘蹟(洗礼、堅信、赦しの秘蹟、病者の塗油、叙階、結婚)に関する儀式と考えてください。これらの儀式の本質的な部分は、イエス様によって制定されたもので、それは教会と言えども変更を加えることはできません。例えば、ミサの中の聖変化の言葉、洗礼式の洗礼を授けるときの言葉と水を流すこと、など。しかし、それらの本質的な部分を飾る祈りや動作や規則などは、教会が作ったもので、教会のみがそれを決めることができるのです。

 ミサのときに司祭が使う「ミサ典礼書」という大きな赤い本の最初に「ミサ総則」という部分があって、そこにミサの仕方が細かく決められています(また「ミサ総則」は別冊で販売されています)。今の日本のものは暫定的なもので、将来変更される可能性が高いのですが、一度それを読まれたら、教会がミサをどれほど大切にしているかの一面がおわかりになるかと思います。ときどき、「そんな規則を重視したら、大切な自主性が損なわれる」とか「型にはめられて生気を失う」とか言う反対論を聞いたことがあります。もちろん心が伴わなければ、いくら立派な型があっても無意味です。でも、世間では「型が内容を作る」例が掃いて捨てるほどあるのではないですか。以前、昭和天皇の葬儀の式をテレビで拝見しましたが、なんと細かいところまで決められているかびっくりしました。その種の細かさは、行なっている行事に払う尊敬の念と比例しているといえるでしょう。それでは、主の受難と復活と昇天が記念されるミサなら・・・。会社の上司など社会の上長に対する礼儀作法を気にするなら、神様に対する礼儀作法は・・・。信仰の先生である教会が、いかに振舞うべきかを教えてくれます。


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