2005 MARCH
3/4FRI

JEAN-MICHEL BASQUIAT(1960-1988)

バスキアの作品は、ジャズやビートカルチャーはいうまでもなく、アステカ/アフリカ/エジプト/ギリシャ/ローマ芸術に影響を受けており、多文化型のコンセプチュアルアート、フィギャラティブアート、ポリティカルアートの混合である。また、引用や比喩の表現が豊富であり、1つの作品の中に文字と抽象的なイメージが巧みに構成され、独特のビジュアルランゲージを造り出している。
彼が描く作品の中には、人種偏見や社会的不公平に対する問題提起が根底に流れている。

ヒロシとヨーコの共同作業による作品が、この世に誕生して、今日で38年・・・。
ビジュアル、性格等、何処をとってみても決して優れているとはいえない作品ですが、この一品ものの駄作に愛情を注いでくださっている皆様のおかげで、どうにかここまでやってくることができました。
本当に、感謝感謝でございます・・・。

“38” というナンバーには正直凹みますが、まぁそれも自然の摂理というもので、致しかたのないこと。
一瞬一瞬を大切にして、充実した一年を過ごしていきたいと思います。

ちなみにワタクシの作品、高瀬さんに注文頂いていた『TOOL BOX STAND』2つが本日完成いたしました。
我ながら、なかなかの出来栄えに思わずウットリ・・・。次第に暖かくなりはじめ、そろそろカート場へのお誘いもある頃・・。ワタシの作品がデビューする日も間近です。

さて、春には社会復帰。今回は肩の力を抜きまくり、ワタシの人生哲学である『人生は適当』を旗印に、ボチボチやっていこうかなと思う次第であります。当然のことですが、『いい加減』という意味ではありませんけどね・・

今晩のような美味しいシチューを毎日食べるためにも、ガンバラナイト !!


3/11FRI

2005、F1GPがいよいよスタート。大幅なレギュレーション変更が行われた今シーズン、開幕戦のオーストラリアはルノーのマシンを駆る、ジャンカルロ・フィジケラ(伊)が制しました。
F1参戦140戦目にして、二度目の勝利。しかし、2003ブラジルGPで初優勝の時は、雨による大混乱の中、終盤赤旗によるレース中止で、シャンパンファイトや表彰式もなく、後日の判定による優勝だったので、彼にとっては今回が初のポディウム中央の体験となりました。
実力やセンスは認められていながらも、これまで長い間、クルマやチームに恵まれていなかった彼。ずっと応援していたワタシも、嬉しそうにシャンパンを振るその姿に、目頭が熱くなりました。オメデト !!

いろんな魅力が満載のF1。
生で観てみたーい !! パフパフしてみたーい !!
ワカパイ・スプラッ〜シュ !!    ・・・んっ?


3/15TUE

週末は久方ぶりの『否現の会』でした。
去年の夏以来ですから、約8ヶ月ぶりですか。
いやぁ、お久しぶりぶり。
んっ?もしかして久しいのは一人だけで、皆さんワタシ抜きでやってたの・・・?そんなことしたら、そんなことしたらオジサン泣いちゃうから・・・
この日のテーマは『LOVE STORY』でしたよね番長。
が、特にフューチャーされたのは何故かワタシの髪型。だってすっかりワカメちゃんなんですもの・・。
ことの顛末はこうである。散髪屋さんがウチの洗面所で襟足の仕上げにかかった時、「あっ !!」と突然でかい声。直後、一人で大爆笑してらっしゃる。挙句、ちょっとキレ気味に「見ても絶対に怒らんて約束せんね !!」ですと。なにそれ、信じらんない・・。
で、恐る恐る鏡を見てみると、
「ワカメです。来週のサザエさんは、“お魚くわえたドラえもん”“フジにかみついたホリエモン”“見事なケツあごシンエモン”の3本です。」と、ふざけてでもいないとやってられないくらいのカリアゲに・・・・・。
否現のメンバーにも笑われる羽目に。ふと、隣のテーブルに目をやったとき、斜め前に座ってたSバタが襟足を見て「ゲラゲラ」。「なんば笑うか!」とSバタに向き直ると、今度は左にいた番長が襟足を見て「ゲラゲラ」。「オマエもなんば笑うか!」と左を向くと、次は正面の下Dが「ゲラゲラ」。「オマエもかい!」ついには写メまで撮ろうとする始末。もうアホかと、バカかと言いたい・・・。
ったく、だから帽子被ってくって言ったのに誰かが「大丈夫」っていうから・・・ん、もしやそれって罠?ドメスティクバイオレンス?
二次会から、その散髪屋さんも合流。楽しい時間を過ごしました、ワタシ以外は。なんかキモイ写真でも盛り上がってたみたいだし。次は櫻の花が咲く頃、ウチでね。
で、日曜は飯盛までお茶しに。和風の茶店で、胡麻団子と五穀米のチーズケーキが美味でした。
で、で、ホワイトディには散髪屋さんにプライスレスのプレゼントをたっぷりと御返し。
で、で、で、本日無事に職訓を卒業しました。
おめでとうございます。ありがとうございます。


3/17THU

今日は、この一年お世話になった溶接科の先生方とお食事会でした。
この歳になってまた学校に通って、現役の子達と教室では机を並べて、実習場では肩を並べて学んだ一年、資格、技術、人間関係、そして例のアレ・・・と、とても多くのモノを得ることができ、充実した時間となりました。
ワタシにとって大きなターンニングポイントとなったことは間違いない。
「歳をとって学ぶ」ということは、現役の頃には気付かなかったことが見えたりして、なかなか良いものだと思います。
この春からは社会復帰となるわけですが、時間をみつけて、また何かを勉強していきたいと考えています。
それは溶接の資格であったり、溶接に関連してCADの資格であったり、PCの資格であったり。まったく別の分野をユーキャンしたり・・・。放送大学ってのもありかな。
常に「一歩前へ!」の気持ちでいくだべさ !!

にしても、こんな真面目な内容、らしくないよね・・・
年に一度は朝起きて、歯を磨くの忘れちゃうよね・・・

ま、そんな感じっす。

【注】
本文と画像とは一切関係ありません。
ただ、もしも願いが叶うなら・・・
『O』か、『Z』の文字になりたい・・・♪


3/23WED

日曜日はカッちゃんと今年初のデート、もといカート。
そしてこの日は、春からワタシのカートをメンテしたいという丁稚も同行いたしました。
しかしこの二人、当HPの超ダメ出し両巨頭。
『更新が遅ーい !!』だの『内容がショボイ !!』だの『最近パクリが多い !!』だの『いい加減、デザインかえろ !!』だの、その他etc…二人とも言いたい放題。オブラートに包むということを知りません。
あのね、工具のひとつも使いこなせねぇ奴らに言われたかねーんだよ、ったく。
両巨頭が今日のTEXTを見なけりゃいいんだけど。
ま、これくらい薄くしときゃバレねぇだろ・・。
片や、結束バンドが短くてとどかないっていうから「2本つなげれば長くなりますよ。」って教えてあげれば『ほえ〜』と感動してなさるし、片や、バイスプライヤの形状を見て、『エイリアンだァ !!』と、悪魔がエイリアンごときで喜んでらっしゃる。「・・・・・。ほんとにこの方たち、メンテ覚える気あんの?」ってな感じっす。
どうです皆様方、ワタシの苦労を少しは理解していただけましたか?同情していただけましたか?

さーてこれから春からの新生活に向けて、家中の大掃除&模様替えです。この一週間が正念場。ものゴッツイ、プレッシャーを感じながらの作業です・・・(焦焦焦)


3/26SAT

極秘映像入手 !!
市内某所に格納されている、ムラキの愛車をスクープ。
ベースはYAMAHAのブロンコといういたって地味なオフロードバイク。そのブロンコを「チョッパーにする !!」という飛び切りアンポンタンなプロジェクトが開始されたのは、丁度2年前のこと。36にもなるオヤジが考えるようなことではありません、普通は・・・。
で、コンセプトはLONG&LOW。もともと背が高く、ショートホイルベースのブロンコをハーレーなみのホイルベースにし、1メートル弱の全高にカスタムするのは、そりゃぁタイヘンなことでした。
まずはトリプルツリー(フロントフォークとフレームをつなぐ部分ね)をグラインダーで迷うことなくチョップ(←このへんが正真正銘のアンポンタである証です・・)。
チョップしたあとは微調整を行い、フロントフォークを思いっきり寝かせる位置で合体。そうですねぇ、レイク角度としては・・・数字では言い表せません。なにせ目分量ですから。そしてリアのスイングアームは鋼材を使って、ロンスイ(ロングスイングアームの略ね)に。その際、リアのサスペンションは取っぱらってリジット化。所謂、ノーサスって奴です。これでコンセプトのLONG&LOWは完璧。次は様々なパーツの変更です。まずは純正のデップリとしたタンクに換え、小振りなピーナッツタンクに。これだけでもかなり印象は変わります。そしてヘッドライトもベーツタイプでレンズカットなしのスモールライトに。サイレンサーは前半純正のマフラーにスリムなメッキのものをセット。エンジンからフレームを迂回してウネウネと後方へのびていく様がなかなか素敵でしょ。リアのフェンダーはフロント用の純正を加工してセット。その上に取り付けられたテールランプも極小サイズです。とどめにセパレートハンドルをセットしたらこのようなスタイルに。

いや〜んイカシテルわぁ。なんてハイセンスなの。ほんと、流行通信してるもの。も〜族族しちゃう !!
カミングアウトすると、このバイクを作ってるときに思ったんですよね、「溶接ができると、もっと加工の幅が広がるな・・」って。
ワタシにとってバイクやクルマってのは、1/1のプラモデルにすぎないんですよね。またスンゴイのをつくりまっせぇ〜。完成したら、またお見せしますね。

ところで昨日、「アップル」という番組で、ワタシのことが放送されました。勿論、ワタシは観てませんが・・・
だって、先祖代々ムラキ家には「タイタニックとおのれが映った番組は観るな !!」という家訓がありますから。
でも、『パイパニック』という、まんまパクリのHな映画は観てもいいらしいんですけど・・
ちなみに、かなりカッコよく映ってたらしいですよ。そんな風な内容のメールがファンから送られてきましたから。
ま、そりゃあそうでしょうね。もともとイイ男ですから。
ただ、誰も気付いていないか、時代にマッチしてないというだけで・・・


3/28MON

今回はワタシの一番最初の愛車をご紹介。
昭和52年式スカイライン2000 GTX-ES です。
“ES”というグレードは四輪ディスクであり、稀少でした。
当時、ウチにはトヨタ・カリーナがあって、昭和60年に免許取得と同時に譲り受けました。しかし、似ても焼いてもカッコよくなりそうにないカリーナを、すぐにこのケンメリ(このクルマの通称)と物々交換。乗り始めた時点で8年モノでした。当時からポンコツ大好きだったんですねえ。
ケンメリが一世風靡していたのは当然それからさかのぼる事7、8前。ワタシが小学4、5年生の頃です。当時のワタシは、同級生が少年ジャンプやサンデーなどを読み漁り、宇宙船艦ヤマトにハマルなか、ホリデーオートという暴走族御用達のクルマ雑誌を読み漁り、街を走るシャコタンに目を爛々と輝かせていました。
まさに英才教育。「クルマの免許取ったらケンメリ買って、前のバネは3巻、後は2巻半切ってシャコタンにして、ホイールは絶対ワタナベ !!」てな具合に。
当時はトヨタより断然日産の方が人気が高かった(ゾッキーに)のです。スカイラインをはじめ、フェアレディーZ、セドリック、グロリア、ローレルなど・・。それはなぜか?
まず、シャコタンにしたときリアタイヤが構造上「ハの字」になったということが挙げられると思います。なにせ「ハの字」はゾッキーの証でしたから。そしてもう一つの理由は、比較的カンタンにエンジンを載せ換えることができたからです。当時のスカイラインには2000ccまでしかなかったのですが、ちょっとしたエンジンマウントの加工のみで、Zの2400やローレルの2600、セドリックの2800などを積むことができたのです。しかもアフターマーケットパーツもかなり豊富で、ボアアップ(排気量アップ)キット、キャブレター、タコ足(エンジンから出たばかりの部分の排気管のことで、その形状からこう呼ばれている)、マフラーにいたるまで。
ちなみにワタシのケンメリも、エンジンがタペット打ち始めたのをきっかけに、2800を3200ccまでボアアップしたエンジンに換装してありました。通常積換えた場合、キャブレターもソレックス3連装にするのですが、当時はまだ警察がうるさかったため、泣く泣く純正のインジェクション仕様に。ま、こちらの方がメンテナンスフリーで扱い易いんですけどね。
でも、ソレックスが空気を吸い込む時の吸気音って素敵なんですよね〜。エンジンが呼吸してるって感じがして、これまた族族して鳥肌がたちます。今どきの下品なゾッキ―のただ五月蝿いだけのマフラー音とは違いますからね・・。
結局このケンメリには24才まで、6年間乗ってました。
ワタシが乗ってる時点では、流行りすたりのスタイルでしたが、スタンドに寄るたびに洗車をしていたし、ボンネットの裏やトランクの中にまでWAXをかけていました。ある日、エンジンから煙が出たり、交差点の真ん中でエンジンが止まり、汗だくになって一人で押したり、白バイに停められ整備不良の切符をきられたこともありました。あまりの低さに段差ではスピードを落として斜めにまたがなければならないなど、それはそれはタイヘンなクルマでしたが、ホイールもワタナベで、小学生の頃の夢を叶えた、とても懐かしい一台です。
シャコタンかぁ・・・免許取って20年。成長してねぇーなァ