シーボルト宅跡・記念館



シーボルト宅跡


シーボルトの略歴

 1796年 2月17日、ヴュルツブルク(ドイツ連邦共和国)に生まれる。
        ヴュルツブルク大学で医学・動物学・植物学・民俗学などを学ぶ。
 1823年 長崎の出島オランダ商館の商館員となる。
        長崎に集まっていた医師たちに西洋医学や植物学の講義をする。
 1824年 長崎郊外の鳴滝に塾を開き、門弟を住まわせ指導した。
        この「鳴滝塾」から、科学的な新しい思想が日本全国に広がった。
 1827年 日本人女性滝(たき)との間に娘いねが生まれる。
 1829年 シーボルト事件で国外追放になる。
 1845年 ドイツの貴族令嬢ヘレーネ・フォン・ガーゲルンと結婚。
        3男2女が生まれる。
 1859年 日本に再来日し、1862年に日本を離れる。
 1866年 10月18日、ミュンヘンで亡くなった。




シーボルト記念館

シーボルトの功績をたたえて、平成元年に開館しました。建物はオランダ・ライデン市にある旧シーボルト宅をイメージされたものです。生涯を6つのコーナーに分けて常設展示してあるほか、年に数回の企画・特別展もあります。


家から歩いて二分程の所にシーボルトの屋敷跡と記念館があります。
私が訪れたのは三月中旬、アジサイはまだ芽が小さく、寒々とした庭でした。
観光客の「何にも無いじゃないか」という言葉に笑ってしまったほど、がらんとした屋敷跡です。
でも、長崎だけではなく日本にとって、シーボルトの功績は偉大です。
ページ第一号は「おたくさ日記」にふさわしく、シーボルトに飾ってもらいました。
(2007年3月17日)


6月のシーボルト宅跡・記念館



六月のシーボルト宅跡・記念館は紫陽花が迎えてくれます。新緑が鮮やかで、春先の趣とは随分違います。うっそうとした木々は、時代の流れを感じさせました。(2007年6月17日撮影)


シーボルト宅跡・記念館で撮影したアジサイとドクダミ


   

※ シーボルトが「おたくさ」としてヨーロッパに紹介したアジサイは、
館長さんにお聞きしたところ、日本に現存しないそうです。



紫陽花が咲き誇るシーボルト宅跡を訪れて、不思議に思ったことがありました。
“なぜ地植えにしないで、ポット(鉢)のまま置いてあるのだろう”という素朴な疑問でした。
写真は鉢が目立たないように撮っていますが、ほとんどが白いプラスチックの鉢です。
地植えの方がこの場所には相応しいと思ったので、理由を館長さんに聞いてみました。
「シーボルト宅跡は文化庁の管理で、
勝手に植えることは出来ないのですよ」と言う答えでした。
銅像の周りに少し地植えがあるのですが、そこは許可をとられているそうです。
ちなみに記念館は市の管轄なので、植えてもいいと言うことでした。
史跡や文化財を管理することの基本に、気付かせてもらいました。m(__)m
(2007年6月19日)


紅葉のシーボルト宅跡・記念館



家のベランダから黄色く色づいた銀杏がよく見えます。
間近に見てみると、思ったほど大きな銀杏ではありませんでした。
残念ながら、桜・モミジなど紅葉は盛りを過ぎています。
写真には写っていませんが、冬のイメージがある山茶花が満開で驚きました。
変わっていたことが一つ。子ども達がよく遊んでいた公園に、
白の秋明菊とツワブキがいっぱい植えてありました。
二つとも大好きな花ですが、紫陽花ではないんですね〜・・・?
(2008年12月2日)

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