21)イエス・キリスト−2(福音書はフィクションか、その1) |
前回、聖書以外にもイエスに言及した書物があると言いましたが、それにしてもイエスの生涯と教えを最も詳しく伝えているのは四福音書です。ところで福音書を開くと、ここかしこに奇跡の話が出てきます。これを見て、福音書をおとぎ話と同類のものと早とちりする人も珍しくはありません。以前働いていた小中学校で先輩の神父様から、「子供たちに福音書が歴史的な事実を書いていることを納得させたら大成功だ」と言われましたが、子供だけでなく大人にもこの点をはっきりさせることが必要だと思います。 インテリが奇跡を信じなくなった近代ヨーロッパで、プロテスタントの聖書学者(有名なシュバイツァーもその一人)の中から次のような解決策が生まれてきました。すなわち、福音書の描く奇跡を行うイエス・キリストは初代教会の信者たちが信仰によって作り上げた人物(「信仰のイエス」と呼ぶ)で、これとは別に現実に存在したイエス(「歴史のイエス」と命名)がいた。聖書学者の使命は、この「信仰のイエス」から信者のでっちあげた部分を取り除き、「歴史のイエス」を復元することである、と(実は、こうして、「これは歴史。これはフィクション」とか言って各自が好き勝手に聖書を切り刻んでいった結果、最終的にはイエスは存在しなかったという結論まで出てきて、彼らの間でさえこの考え方に見切りをつけた人が出ました)。 これはゆゆしき問題です。もしこの説が本当なら、福音書はフィクションとなり、キリスト教は2000年もの間初代教会の想像の産物を信じてきたことになる。荒唐無稽の作り話のために世界のあらゆる場所あらゆる時代に無数の人が命を失い(殉教者)、もっと多数の人がこの作り話のために一生を捧げ、ある人々は宣教師になって遠い異国に赴いたということになり、果てはこの私もその詐欺師の一団の末席を汚すものになりますよね。毎日曜日ミサの中で恭しく福音書を読み「神のみ言葉」なんて言うのは、馬鹿げたお芝居になるでしょう。というわけでこの問題を取り上げたいと思います。 それでは、福音書がフィクションなのかどうかを調べるわけですが、書物の真実性について調べるには、その書物についての記録など外的な証拠を元に考察するのと、その書物の内容を検討していく内的考察の二つがありますが、今回は外的な考察を見てみましょう。 歴史書といわれる書物が本当に歴史を書いているのかどうかを調べるのに大切な点は、その書物の成立年代と作者です。「信仰のイエス」論を主張した学者たちは、福音書の成立年代を2世紀に置きました。なぜなら福音書ができるのが遅ければ遅いほど、彼らの理論には都合が良いからです。しかし、100年前後に書かれた『教皇クレメンスの書簡』や『アンチオキアの聖イグナチウスの手紙』や『ディダケ』(これは一世紀中のものと言われる)には福音書が引用されている。 また、その作者はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人ですが(これも初代教会が勝手にその名前を付けたという学者もいるのですが、この4人はヨハネを除けばいわば二流の使徒もしくは弟子です。もし教会が勝手につけたなら、なぜペトロやパウロなどのものにしてその権威を高めようとしなかったのでしょうか)、マタイとヨハネは主と3年間共同生活をした使徒、マルコは少年時代にイエスを知り、のちにペトロの宣教に同伴し、その教えをもとに福音書を書いたと古い記録にあります。ルカだけ生前の主を見たことがなかったので、彼は「はじめから詳しく調べ」て出筆しました。というわけで、福音書は直接の目撃者か、目撃者から聞き取り作業をした人、すなわちイエスの同時代人によって、書き残されたものです。 言い換えると、福音書が世に出たとき、まだイエスと同時代人が少なからず生きていたのです。福音書に記録されているイエスの言行の大部分は大勢の人々の前で行われたこととして書かれていますから、もし嘘なら、激しくキリスト教を攻撃していたユダヤ人の格好の攻撃の的になり、キリスト教徒は「嘘つき集団」とされ恥ずかしくて福音書のことを語ることもできなかったでしょう。また初代教会の信者の中には、洗練されたローマ文化の中に育った一流の教養人も多く存在していました。彼らがこの新しい宗教(辺境の無教養の民族から生まれた宗教)の土台となる福音書の真実性について何ら確かめもせず、その宗教に帰依したとはちょっと常識では考えられません。
歴史学は証拠を元にして結論を引き出す学問です。例の「信仰のイエス」を主張する聖書学者たちは、福音書が初代教会の信仰から生まれたと言うのですが、彼らの説こそ、彼ら自身の根拠のない信念(奇跡はありえないという)から生まれたものというべきです。
次回は福音書の内容を検討して、この問題を考えてみましょう。
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