第2回 哲学の始まり

 梅雨のような長雨が続いていましたが今度は初夏のような日差しがさしこんできました。先日の授業は程よい緊張感が保たれていて、流石(「さすが」と読む)に中学3年生だと感心した次第です。これからだんだん暑くなりますが、あのような大人の態度を持続してほしいと思います。

 ところで、前の手紙で今年は哲学的なことをすると言いましたが、哲学と言ってもとくに人間学とでもいうようなものです。みんなの中にも哲学に興味をもっている人があるようですので、この手紙を使って「哲学」とは何かを少し説明したいと思います。哲学は実はみんなが思っているよりずっと大切でかつ歴史が古い学問で、中学や高校で哲学を習う国は少なくないのですが、日本ではまったく顧みられませんでした。しかし3年ほど前『ソフィ−の世界』という本が爆発的に売れ、日本にも一種の「哲学ブ−ム」が起ったのです。あの本は確かに哲学の歴史を分かり易くかつ興味を起こさせながら書いていると思いますが、著者はどの哲学者の言うことも正しいというような感じで書いている点が残念です。前にも言ったように、正しい思想と誤った思想があり、誤った思想にかぶれると人生を棒に振るような結果にならないとも限らないので。

 閑話休題(「それはさておき」を難しく言うとこうなる)、むかしむかしのギリシアのお話。ギリシアと言えば、そう地中海、地中海性気候と言えば「夏は乾燥、冬は降雨」とすらすらと出てくるように、一般に雨が少なく戸外での生活が盛んなところです。ギリシア人は古代には都市国家(警察ではないがポリスと言った)を作っていましたが、その都市の中心はアゴラという広場でした。そこで世間話をしたり駄じゃれを言ったりけんけんがくがくの議論をして毎日を過ごしていました。「そんなら、仕事は誰がすっと」という疑問が頭をかすめるでしょう。市民はもちろん仕事をしましたが、いわゆる3K(きつい、きたない、危険)の仕事は奴隷にさせていたのです。しかし、市民にはひとたび戦争が始まると鉄砲を担いで戦場に行く義務(兵役)がありました。

 ともかく、このような生活をしていたギリシア人の中でも特に頭の切れる(「切れた」ではない)人たちは、「この目で見える世界にはいろいろなものがあるけど、それらは結局一つの根源(元素)からできとるんとちゃうか。それは何やろ」と考えた者たちが出たのです。こういうことを聞くと普段暇なときには鼻くそをほじくって「どんな味がするやろ」と言ってぺろぺろ嘗めて時を無駄に過ごしているような凡人は、「なんとつまらんことを考えるんや。暇人やな」と言って、自分こそ暇人であることを忘れて悪態をつくのです。しかし、そのような種類の人間ではない君たちは、この問題の深さが理解できると思います。この世は絶えず移り変わっている。あの有名な鴨長明が「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず」と『方丈記』で言っているのは、実にその著者が鼻くそをまるめて遊ぶような凡人でなかったことを示している。でも、他方、全てが移り変わっているかといえば、変わらない物もあるでしょう。たとえば、あなた自身のこと考えてみてください。小学1年生のときの君と今の君では、身長も体重も知識も考え方も同じではないでしょう。でも、同じ人間ですよね。変わった部分と変わっていない部分がある。

 あのギリシア人たちは主に自然界を観察しました。動物は死ねば土に戻るけどその土から今度は植物が生まれ出るなどの変化を見て、これらの変化の前後にも何か変わらないものがあって、それが形を変えていろいろな物になるのではないかと考えたのです。そして、タレスという人(BC.547年死)は「それは水じゃ」と言い、ある人は「空気」、別の人は「いいや、それは一つやあらへん。水と空気と火と土の4つだす」と言ったのです。こういうことを聞くと、一日中ソファ−に寝そべってせんべいをバリバリ食べながらテレビをぼやーっと見ることしかしない穀つぶしは「なんちゅうあほなことを言うとるんや」と言って、自分の頭が空っぽであることを忘れて、真面目にものを考える人を馬鹿にするのですが、その種の人種に属さない君たちは、彼らの偉大さが理解できると思います。これらの人々は、目に見える世界を通り越して、その裏にある目に見えない法則を捜し求めたのです。

 これらの思想家は、自然(physis;フィシス)について考えを深めたので、自然学者と呼ばれます。現代の物理学は Physics と呼ばれますが、この人たちは物理学を始めた人と言えるでしょう。当時のギリシアにも、これらの人々のしていることを「そんなことしても、何の役にも立たんがな」とあざ笑う人がいました。そこで、タレス(この人は哲学の父と呼ばれる)は、「哲学者をばかにしたらあかんで」と仕返しを考えました。彼は星の動きの観察から天気をある程度予想していたようで、その年に「今年はオリ−ブが豊作になる」と知って、オリ−ブの実から油を絞り取る機械(圧搾機)を全部買い占めて、収穫の後でオリ−ブを圧搾しようとした農民に高い値段で売りつけ大儲けをしたそうです。

 しかし、他の哲学者たちは、そのような悪口をまったく気にかけなかったようです。ソクラテス(BC.470~399)は「我々は金儲けや他の何かの目的のために考える(哲学をする)のではない。ただ、知りたいがために学問をするのである。つまり、我々は知恵(ソフィア)を愛する(フィロ)者である」と公言してはばからなかった。ここから哲学(フィロソフィア;英語では phylosophy)という言葉が生まれたのです。そして、このソクラテスの弟子がプラトン(BC.427~347)、プラトンの弟子がアリストテレス(BC.384~322)で、この二人がギリシアの哲学をまとめ完成したのですが、以後の西洋の思想は、ギリシア哲学とキリスト教からなんらかの影響を受けて成長したと言えます。

 アリストテレスは「哲学は何の役にも立たへん」という批判に対して、「哲学とは言ってみれば、学問の棟梁みたいなもんじゃ。つまり、家を建てるとき、棟梁というものはぼやっと工事を見ているだけで何もしていないように見えて、働いているのは大工や石工のように見えるが、実は彼がおらねば家は建たへん。棟梁が設計し、建築工事を指図しているんやさかいに」とギリシア語で言っていました。この哲学者はまた、「学問とは原因についての確かな知識」と定義しました。そうすると哲学は「原因の中の原因、すなわち最終的な原因を探す学問」となります。つまり、物事について「なぜ、なぜ、なぜ」(関西弁で言うと、なんでや、なんでや、なんでや、となる)と尋ねていく学問になる。たとえば、自然科学ではものが存在することは当たり前のこととして、そこから出発しますが、哲学はものの存在とは何かを考えます。自然科学では、ものが運動することや、運動には原因と結果があることを当たり前だのクラッカ−として自然現象を観察しますが、哲学は運動とは何か、原因とは何か、を考えるのです。

 子供はよく「なぜ、どうして」と質問するでしょう。でも、不思議なことに大人になるとその種の質問をしなくなる。これは決して成長した結果ではなく、むしろ退化していると考えられます。みんなもいろいろなことに疑問をもって考えてください。


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