第20回 真のリーダーたれ・豊かな感性を持つ人

 体育祭お疲れさまでした。これでもう言い訳がなくなって本分であるところの勉強に打ち込めるはずですね。と嫌みはこれくらいにして、体育祭を見て少し感じたことを二三書かせてもらいます。

 まず、あの応援。4色とも大いに感心させられました。あのような立派な応援ができたのは、一にも二にも中学3年生の各色の幹部が一生懸命案を考え下級生を指導したからですよね。あれを下級生にまかせていたら、いつまでたってもちゃんとした応援はできなかったことは間違いない。ここから一つの結論が出てきます。つまり、価値のあるものは自然に生まれることは決してなく、必ず才能とやる気のある人間の努力を必要とするということ。だから凡人がぼやっと暮らしているだけでは、そこからすばらしい発明も文化も生まれない。

 現在の日本の社会や経済がなぜちっとも良くならないか。それは国を指導するべき立場にある人たちが、これからの日本はこうあるべきだというはっきりとした考え (ビジョン)を持っていないか、あるいはもっていたとしてもそれに向けての手を打つ勇気がないか、でしょう。長銀の問題の解決になぜこれほど手こずるのか。一つは、長銀には少なからぬ政治家が隠し資産を隠しているらしく、そこで長銀の責任をするどく追求できないという点もあるそうです。国全体の利益を考えるべき政治家が自分の利害と体裁を守ることに汲々としているようでは、現在の日本危機のようなどでかい問題は解決しそうにないですね。

 人類は、極端に言えば、二つに分けることができる。一つは勇気とやる気とビジョンをもち、他人を引っ張って行くことのできる人種。もう一つは勇気もやる気もビジョンもなく、自分から進んで何もできず、いつも誰かの言うことに従う人種。残念ながら、大部分の人間は第二の人種に属し、一般大衆と呼ばれています。

 この一般大衆は、自分から新しいものを造り出す力はないが、誰か魅力的なリ−ダ−が現れると熱狂的について行く傾向がある。これに気が付いたのがレ−ニンです。マルクスは、工業が進んで資本家と労働者がどんどん増えていけば、労働者は自らの惨めな状態に腹を立ててひとりでに(自然に)革命を起こすと教えたのですが、実際はそう起らなかった。その第一の理由は、工業が盛んになると、資本家ももうけるが労働者もその恩恵にあずかり彼らの生活水準も上がること、また政府も労働者を保護する法律(こういうのを社会立法と言う)を作ったりするからですが、その他に労働者たちが自らを上手に組織して政府を転覆させるような大事業をするのは、ちょうど小学生にこの前のような応援を考えて自分たちでまとめなさいと言ってもそれは不可能なように、不可能だったからです。

 それに気づいたレ−ニンは、小数のエリ−トを組織し、彼らが核となって労働者を組織し革命を起こさせたのです。この小数のエリ−トのグル−プが共産党です。これがまんまと成功してロシアに共産主義革命を成功させた。そしていざ共産党の国になると、今度は以前よりもっとひどい抑圧政治が行なわれたが、今度は共産党の政府は彼らに刃向かう動きには以前よりもっと厳しい秘密警察(チェカと呼ぶ)でもって徹底的に弾圧した。
 ナチス時代のドイツにも似たような現象が見られた。ヒトラ−の巧妙な宣伝に多くのドイツの大衆は熱狂し、選挙で彼らを選んだのです。ひとたびナチスが政権を握ると、この党はどんどん国民から離れていってしまうわけです。

 みなさんにはリ−ダ−の人種になって欲しいと常々思っています。たとえ政治家や会社のトップにならなくても、考えて自分で善悪を判断でき、人の言うことに左右されない庶民になって欲しいですね。そのためにも、良い本をたくさん読み、いろいろなことを考え、とくに私の授業をまじめに聞きましょう。

 もう一つ体育祭で感じたことを言わせてもらいますが、それは三川台中の諸君が喜びや悲しみをよく表わす、言い換えれば感情の表現が豊かだなと感心したことです。人間には知性と意志の他に感情という能力があって、外からの刺激に対して色々な動きが起こる訳です。この感情(感動は感情の一部)は知性に従うものであれば、その人をとても魅力的にするものです。むかしテレビで放送していた「宇宙大作戦」と言うアメリカのSFドラマで、ミスタ−・スポックと言う宇宙人(良い宇宙人で、耳が異状に細長いこと 以外は、地球人と同じ外形をしていた)が出てきましたが、この人は感情がないという設定でした。つまり、悲しんだり喜んだりしないのです。こういう存在は、ただ一人だけだったら、ひょっとして愛嬌があるかも知れません。しかし、人間がみなそうなら、なんてつまらない社会になるでしょうね。たとえば、試験を返されても、「ギャ−」と言って地面に倒れる人もなければ、「やった−」と言って飛び上がる人もない。スポ−ツの試合で勝っても負けても、誰も泣いたりガッツポ−ズもしない、ただ淡々と無表情で会場を去っていくなら、応援する方も気が抜けてしまうでしょう。

 ところで、日本では少し前から、中学生や高校生に三無主義と言うことが見られるそうです。三無主義とは、民族主義と民権主義と民生主義のいわゆる三民主義とはもちろん違います。また、労働三法とも日本国憲法の三大原則とも違し、日本国民の三大義務とも何の関係もない。それは、無気力、無関心、無感動、の三つだす。つまり、何事にもやる気を持たない、関心がない、感動しない、という人間です。これを実践すれば、実につまらない面白味のない人間ができあがるでしょうね。この風潮は、若い人の間だけでなく大人の中にもあるような気がします。もう何年も前から「しらける」と言うことが言われていますが、この「しらけた」雰囲気というのが無感動の表れだと思います。三川台の中学生は三無主義とは無縁のようで嬉しく思います。高校に行って今のままだとちょっと浮いてしまうかも知れませんが、適当に浮いたりしながら、皆さんはこれからも回りの雰囲気にのまれず、いろいろなことに心を動かす豊かな感性を持った大人になって欲しいなと祈る次第です。


第19回に戻る   第21回に進む
目次に戻る