第34回 クリスマスについて

 今年も終わりに近づきました。今年一年を振り返ってみると、嫌なことつらと腹立たしいこと暗い話しなども多かったかもしれませんが、中学3年生の教室にはつねにオ−ラが輝いていて、この不況の日本社会には異様な明るさがあったように思います。しかし、大切なのはこの明るさが3月中旬に暗さにならないようにすることと、卒業後にますますオ−ラを輝かせることができることですので、少なくなった精道での残り時間に、最後の力を振り絞って頭と体と心を鍛えることに努めてください。 終業式の日はたくさん持って帰るものがあるのに、それに加えてプリントを渡すのは心苦しいのですが、どうして言うておきたいことがありまんねん。それはクリスマスの話し。

 クリスマスはキリストの誕生を祝う日ですが、聖書にはイエス様の誕生日が何月何日何曜日だったかはまったく書かれていません。でもキリスト信者にとって、キリストの誕生は神が人となって生まれた日ですから、それをどうしてもお祝いしたいという気持ちがあったのは当然でしょう。そこで、当時4世紀にはロ−マの異教徒の間で12月25日に無敵の太陽神の誕生を祝う祭りがあったので、信者たちは自分たちの神様の誕生をその日に祝うようにしたらしい。そのうち太陽神の祭りはすたれ、クリスマスは残ったわけ。もちろんお祝いの仕方はごミサでした。聖書によれば誕生は夜だったから、ミサも深夜に行なわれた。そのうち、朝早くと午前中の終わり頃にもミサを立てるようになり、今ではクリスマスのミサは3回あります。クリスマスというのは英語で「キリストのミサ」と言う意味です。

 日本では交通事情もあり、深夜のミサといっても普通は8時頃です。イブの日に一度近くの教会に行ってみたらどうでしょうか。

 そのほかにいろいろな習慣が生まれます。13世紀にはアッシジのフランシスコという聖人が、教会や家の中に人形などを使ってベトレヘムの馬小屋を表わす(学校の玄関にあるもの)ことを始め、この習慣は世界中に広がりました。キリストの誕生の様子を歌った沢山の歌も作られ、今でも世界中で歌われています。また、その誕生は人類を照らしたという考えから、イブの晩に広場などを光で照らしたり、ミサの間にろうそくを灯したりする習慣もあります。16世紀から北ヨ−ロッパの国々では木を立てて飾ることが始まったが、これがクリスマスツリ−。

 プレゼントを配る習慣はロ−マ時代からものらしい。最初は赤ちゃんのキリストがプレゼントを持ってくるという考えでしたが、プロテスタントはそれをお爺さん(いわゆるサンタクロ−ス)に変えてしまいました。サンタクロ−スは、もとは10世紀ごろに今のトルコにいたニコラスという聖人の司教のことで、この司教様は貧しい人にとても親切でクリスマスの日に貧しい人の家に窓からか煙突からか知らないけれどお金を入れたりしたので、この方がプレゼントに結びつけられたそうです。また、この聖人の祝日(12月6日)にプレゼントをする国もあります(例えば、教皇様の祖国ポ−ランド)。スペインでは、プレゼントを持ってくるのは東方の博士たちで、それゆえプレゼントの日は1月6日(ご公現の祝日)です。イタリアでは、クリスマスの晩にヨゼフとマリアに部屋を断ったおばあさんがいて、その人は後でその二人が誰であったかを知り、後悔して罪滅ぼしに子供にプレゼントをするようになったということになっています。イタリアでもシシリ−島では、11月2日の死者の日に、死者が贈り物をもってくるとなっています(ちょっと気味の悪いですが)。

 聖徳太子は小さい頃「廐戸の皇子」と呼ばれたのですが、それはお母さんが馬屋の前を通るときに生まれたらしいからです(正確には知りませんが)。でも、馬屋の前で生まれるなんて天皇家の皇子にはふさわしくないですよね。これはすでに当時の日本(6世紀後半)にキリストの誕生の話しがなんらかの形で中国を通して伝わっていて、偉い人が馬屋で生まれたということが知られていたからだと言う人もいますが、それが正しいかどうかは証明されていません。

 聖書によれば、クリスマスの晩に天使たちが羊飼たちに現れ、「天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ」(ルカ、2章、14)と言いました。世界ではさまざまな事情で家族そろってクリスマスを過ごせない人がいます。平和が世界中の人たちと家庭にあるように祈りましょう。

 今年も無事に終わりそうで良かったですね。来年は実際は2カ月くらいしか授業はないでしょう。中学生活を終える前に活発な話し合いをしたいと思っていますので、授業のときはどうぞよろしく。よい休みを過ごしてください。


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