第38回 受験の基本的技術

 そろそろ受験も最盛期を迎えますね。以前、この欄で受験についての不平不満を申しましたが、しかし、そんなことを言ってもあるものは仕方がない。だから、同じ努力で最大の効果が上げられるようにどうすればよいかについても少しばかり考えていることがありますので、何かの参考になればとここに書かせてもらいます。きっと先生たちから言われていることと重なるでしょうが、悪しからず。

 昨年の今頃ある友人(今は関西の某私立大学の教授)からもらった手紙を紹介します。「ただ今入試の採点中です。今年は数学の採点に当たりましたが、数学では一問で10点くらいの差がつき、いまさらながら受験の基本的技術(答えを分かりやすく書く、消しゴムで消す場合はきれいに消すこと、など)の大切さが痛感されます」と。

 私も何度も入試の採点をしたことがあるけどまったく同感。学校でのテストなら回答者が誰か分かっているから、「こいつはもともときたない字を書くやっちゃ」と加減したり、また「こいつには自信つけて欲しいから」と思って、少し緩めに点を付けてくれるという私のようなやさしい先生もいるかも(この優しさはあだとなる)。けど、入学試験はまったく違います。「だいたい自分が採点しているのは誰の答案かはまったく分からへんわけや。そもそも何千枚もの答案を採点しないとあかんやろ。せやから、きたいない字で書かれとったら、それだけでペケにしてまうかも知れへんで」とは採点する人の気持ち。

 みんなも一度採点する側の気持ちを考えてみてください。決まった時間内で、たくさんの採点をしないといけないときに、読みにくい字を書いていたら腹が立ってくる。また、万一採点する人が老眼だったら、いちいち眼鏡をはずして「これは一体何を書いとんかいな」と見てくれるでしょうか。もちろん、どこにもまじめで優しい人がいますが、大多数の人はじゃまくさいことはしないのが現実と違いまっか。それはみんなでも同じでしょう。自分の答案を書いたらちょっとそれを眺めて、これは採点し易いかなと考えてください。私は一度最後のところに「実は母が病気で看病せねばならず今年はまったく勉強できませんした。しかし、もし合格したなら一生懸命勉強するつもりです」というような走り書きがある白紙の答案用紙を見たことがあります。かわいそうに思いますが(もし本当だったら)、どうしようもない。試験とは厳しいものです。

 でも、汚い字というのは、へたな字とは違います。下手でもていねいに書かれていたら、「この子は、一生懸命に書いている」と、よい印象を受けて間違っていてもマルにしたくなる。ところが、雑な、汚い字は、「こいつはがさつな人間やろ」と、その人間性まで疑ってしまう。雑な字を書くからといって、その人がいい加減な人だということにはなりません。確かに人間の大切なところは内側にあって、それは目には見えないというのは本当ですが、その内側の目には見えないものは、外側に現れることで判断されるというのも本当だから気をつけましょう。

 だから、ちょっと脱線ですが、服装その他の外面も気をつけるのは必要だと思います。人の家の玄関を見れば、その家の人がどんな人たちかがわかると言います。「靴が方々に散らかしてあったら、この家の人は不注意な人やろう。だから泥棒に入りやすい」と泥棒さんは考える、と昔私が小さいときに母親が言っていました。見えない内側は、見える外側で判断される。その外側にあるものの一つに「字」があります。服装や髪型など外観にも変な流行に惑わされず、良い個性を作り上げてほしいですね。

 もう一つ、簡単なミスを少なくするということです。難しい問題は解けなくても心配無用。なぜなら沢山の人も解けないからそれで差がつかない。しかし、普通に勉強している人なら誰でもできる問題は、間違ってはいけない。だから、一度答案を全部書いてまだ時間が余っているなら、必ず答案用紙を見直すべきです。大学の入試の監督をしたとき、一度終わったら寝ている人がいてびっくりしました。単に答えがあっているかどうかだけではなく、回答欄を間違ってはいないか、指示に正しく従っているか(例えば、漢字で書けといわれているのを見落として、平かなで書いていないかなども)見てください。

 『徒然草』に「高名の木登り」という段(109)があります。木登りの名人が、別の人に高い木に上って枝を切らせる話ですが、その人が高いところにいるときは何も言わなかったのに、枝を切って下りてきて軒の高さくらいになったとき、「お−い、注意しろよ」と言うと、注意された人は「こんな低いところやったら、飛び降りても大丈夫やのに。さっき高いところにいたときは何も言わんかったのに、なんで今頃注意するねん」と聞きました。高名の木登りさんは、「それは高いところにいるときは誰でも細心の注意をするけど、低いところに来て安心したときこそよう落ちるもんや」と答えたとさ。兼好法師も感心して、この言葉を載せているのです。ということで、「勝って甲の緒をしめよ」とか、「油断大敵」、「転ばぬ先の杖」、「石橋をたたいて渡る」とか言うように、「できた」と思うときにこそ注意しましょう。注意一秒、怪我一生。

 中国の戦国時代に戦争の方法について説明た『孫子』という本があります。孫子は、戦争のうまい人(戦上手)は、素人の人から見たら全然感心しないような仕方、つまり平凡な仕方で勝つものだと言っています。つまり、当たり前の手順をきちっと踏んで勝つので、普通の人は勝って当然と思うわけです。スポ−ツでもとても上手な人は難しいプレ−をさりげなくこなすので、素人が見たら全然すごいとは思わないということがあります。例えば、野球では三流の選手はスタ−トが遅く一流の選手なら簡単にボ−ルに追いついて処理できるのに、ダイビングキャッチしなければならない、てなことがあります。そんなとき、素人はそのダイビングをみて、「ナイスキャッチ」とか叫ぶのですが、本当はナイスでもなんでもないすなのです。

 上に言った受験の基本的技術は、普段からしていないとなかなかその場限りでできるものではない。だから、普段の心構えが大切になるわけです。試験に限らず、普段の生活の中で「小さいことに気をつける」癖、面倒くさいと思う気持ちに打ち勝つことを心がけましょう。「偉大な人は小さいことを大切にする」(『道』、818)。

 「おまえはわずかなものに忠実であったから、主人の喜び(天国)に入れ」とは、イエス様が誰が天国に入るかを教えられたときの言葉です(マテオ、25章、21)。


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