人生の目的シリーズ・第2回 「幸せ」とは何か

 前置きなしにいきなり本題に入ります。人生の目的シリーズ、第二弾。

第二章:続目的とは何か。

 まず、もう一度繰り返しますが、「人間が何かするとき必ず何かの目的のためにする」ことは皆さんも認めてくれることと思います。そしてこの目的は、その人にとって「何か良いもの」であるはず。人間は何か自分が「よい」と思うもののためでなければ何もしない。例えば、ある人が痩せようとして食事を我慢するとしましょう。たしかに食事を我慢することは、その人にとって悪い(好ましくないこと)ですが、「痩せる」という目的はその人にとって「良い」ことなのです。悲惨なことですが、麻薬や覚醒剤を用いる人は、たとえ後で健康を害することがあっても、今はその薬を使った方が現実の苦しさを忘れて楽しくなるので「良い」と思ってそうする。

 ところで、「私がよいと思うこと」は、「そうすれば、私は幸せになれること」でしょう。さっきの例では、「痩せる」ことができればその人は幸せになる。だから、「人生の目的は幸せになること」と言い変えても間違いではないはず。そして、前回の結論である「人生の究極目的は存在する」ということが正しければ、言い換えるなら「究極の幸せが存在する」ということになりますよね。では、その究極の幸せって何でしょうか。

第三章:幸せとは何か。

 上に言ったことによれば、目的と幸せは同じみたいに聞こえるかも知れませんが、この二つは同じではありません。正確に言うと、「幸せとは、目的を達成したときの状態」です。例えば、入学試験に合格するという目的を持っていた人が、実際に合格したときに「幸せ」の状態になる。

 これも前回にお話したことですが、人間は生きている間、さまざまな目的を立てては達成し、達成してはまた別の目的を立てる。これらは全部「近い目的」なのですが、この近い目的を達成したときに感じる「幸せ」は、結局自分の能力を満たしたことから感じる幸福感だと言えるでしょう。

 このことも経験によって確かめられることですが、人は誰でも何かしらの能力を持っているのですが、その能力は発揮してこそ初めて充実感を感じるものです。例えば、上手にピアノを引く人でも、ぼやっとソファ−に寝そべって煎餅をばりばりかじっていて、ピアノを実際に引かなければ満足感を感じないでしょう。では、ここで人の能力を二種類に区別してみましょう。つまり、動物にもある能力と人間しかない能力です。

 動物も持っている能力とは、肉体の能力、あるいは感覚的な能力ということができるでしょう(そのうちのいくらかは「欲望」と呼べる)。例えば、食べたり飲んだりする(栄養を摂取する)能力。お腹がへったとき食事をして満腹になれば、あるいは喉がかわいたとき冷たいものを飲めば、「幸せ」を感じる。これは動物も同じです。これらの能力(欲望)は、人を含めた動物が自分の体や種を保存するために与えられた能力ということができるでしょう。だから、その欲求を満たすことは必要なことで、その欲求を満たすとき快さを感じることは何も悪いことではありません。結婚生活の中での生殖能力も同じです。(プロテスタントのカルバン派は、このような感覚的な快さを悪と考えますが、カトリックは違う)。

 これに対して、人間だけが持っている能力とは、精神的な能力であって、簡単に言うと「知る能力」と「望む能力」の二つです。もちろん高等な動物も知り望む能力を持っているのですが、それは物質的なものを対象とします。それに対して、人間の知り望む能力は物質でないものを追求できるのです。肉体的能力は、対象が物質的なものであるので、それには限度というものがあります。つまり、ある程度のものを獲得すれば、それ以上を望むことはできなくなるのです。例えば、食べる能力(食欲)は、いくらお腹がへっていてカレーライスが好きな人もカレ−を1トン食べれば、「もうお腹いっぱい。これ以上は無理や」と言うでしょう。いくら喉がかわいても、ジュ−スを10リットル飲めば、ゲップを出しながら「これ以上は飲めません」と言って倒れるでしょう。

 それに対して、精神的な能力は「もうこれ以上無理」ということはありません。現実には無理でも理論的には人間の知恵は無限のことを追求することができる。言い換えれば、つねに「もっと、もっと」知りたいと思うわけです。そして、「知る」能力は、難しいことを知れば知るほどその時感じる「幸せ」感(達成感)は大きくなる。皆さんも難しい二次方程式の問題を解けたときには「やった」という充実感を感じるでしょうが、「2x2」のかけ算ができても嬉しくとも何ともないでしょう。(あったら怖いですね)。

 さて、このように人間には、動物的な能力と人間的な能力の二つをもっている。この能力のどちらを達成したときに、人間は本当の幸せを感じるでしょうか。それは当然、人間的な能力を完成したときでしょう。けれど、現実には動物的な能力の完成だけを追い求めている人も少なからずいる。肉体の欲望を満足させることだけを考えて生きる人がそれです。そういう人間は、実は動物のような生き方をしていると言えるわけです。このような生き方が、本当に幸せになる生き方でしょうか。

 ちょっと横道にそれましたが、今日は、人間の幸せは能力の完成にあるが、人間が様々な能力をもっているから様々な幸せが存在する、というところで終わっておきましょう。次は、その様々な幸せの中に、本当の幸せがあるのか(究極的な目的があると言ったのですから、本当の幸せもあるはず)という問題を見たいと思います。

 インフルエンザには十分に気をつけて下さい。風邪は万病のもと、です。

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