2004.6.1から おかみさんの

ひとりごと
2004年12月31日(金)
達成!366日

今日で今年も終わりになります。
皆様にとってどんな年でしたか?

12月2日のひとりごとに書いた様に念願の年中無休が
実現出来ました。

本当に嬉しいです。
とにかく健康に恵まれ感謝です。

今年一年ありがとうございました。

来年は正月2日からの営業です。
今年以上に来年も宜しくお願い致します。

皆様にとっても来年が良い、素敵な年になります様に!
2004年12月12日(日)
3回
お客様から【かんころもち】を頂いた。

【かんころもち】とはさつま芋を原料とする餅で長崎特に五島では名物
甘くて粘り気のある餅で美味しい。

大将の好物。
芋は嫌いなくせにかんころもちは大好きなのだ。
勿論、私も好きだ。
頂いた直ぐから4個切って早速網にかけ焼いた。

私『4個と言う事は2個づづだ』と思った。
焼きあがったかんころもちを大将は食べ始めた。
一生懸命に頬張った。

私「美味しか?」
大将「うん」ムシャムシャ

私「美味しか?
大将「うん」ムシャムシャ

私「美味しか?
大将「うん」ムシャムシャ
ほら!と一番小さな端っこを差し出した。

私は、食べて一言
「やっとくれたね、そいも一番小さかとば」
大将はもう一個ほ〜らと差し出したが
私「もう〜いらん、貴方の愛情で胸いっぱいになった」といやみを言ってやった。

大将は、ニタ〜とただ笑うだけだった。
2004年12月6日(月)
フードプロセッサー
我が家では『要らない物は買ってはいけない』と大将からのお達しがある。

狭い店なのでこれ以上物を増やすのは良くないと私も思う。
私「フードプロセッサーが欲しい、買って良い?」と聞くと「ダメ」と一言

私は欲しい、私にとってはいる物なのだ。
実は昔持っていたんだけど引越しの際に大将に捨てられてしまった。
その頃は確かに使っていなかったからしょうがない。

今は何に使うかと言うとパン粉を作るのだ。
おろし金で磨っていたのだがこれは大変で。
お弁当作りに目覚めた私としてはパン粉にも拘りたい。
食パンから作るパン粉は市販のパン粉と段違いで美味しい。
これは皆さんにも是非やって欲しい。
一度にパン粉を作って冷凍しとくと良い。
パンの耳の方が美味しい。

『そうだ買ってはいけないけど貰ったら良いんだ』と私はひらめいた。

フードプロセッサーで食パンを刻んでパン粉を作っていると
大将「こいどうした?」と聞くので
私「ポイントで貰った」と答えたら
大将「ん〜」とそれだけで済んだ。

全部がポイントで買えた訳ではないが、一部ポイントを使ったのに間違いは無い。
2004年12月2日(木)
年中無休
今年も早いもので12月
年末年始の事を話してももう鬼も笑わないだろう。

山葵は年中無休です。
年中無休とは言うが
正月は休んだり、冠婚葬祭、長崎くんち
それに大将は年に一、二度風邪をひいて寝込む事に決まっている。

しかし、今年は元旦から予約があったので元旦からの営業になった。
冠婚は無く、葬祭は昼の営業は休んだが夜は営業した。
今年の長崎くんちは、昼だけは休んだが夜は営業できた。
それから、何と大将が今年は風邪をひかない。
青梅を食べて死にそうになった6月14日(詳しくはひとりごとを読んで下さい)
昼の営業が済んでからだったので、夜の部は休んだが昼は開けれた。

と言う事で丸々一日休む事無く11ヶ月無事過ごす事が出来た。

大将曰く
「今年は本当に年中無休を貫くぞ〜」

大晦日まで休まず営業します。
PS、
来年の正月は予約があれば営業します。
2004年12月1日(水)
女心
シャンプーを買いに出掛けた。

私は、浮気性なのでTVでこれは言うのがあるとつい買ってしまう。
娘は、一途だ、同じメーカーのを使っている。
大将は、石鹸で髪を洗う。
男がシャンプーで髪を洗えるか、ましてリンスなんてとんでも無いと言う。
地肌をよ〜く洗うとハゲないのだと言う。
大将の髪は、白髪が最近やっと増えて5〜6本あるだけで黒々している。
勿論ハゲてもいない。

横道にそれたが
今日は何を買おうかと考えながら歩いていると
ものすご〜く綺麗な髪の女の人が歩いているではないか。
それはそれはCMに出てくるような髪だった。

思わず私は後を付けて行った。
何とその人は私がシャンプーを買おうと思っていた店に入って行くではないですか。
この人は何を買うのかなと思い気や迷わずシャンプーの棚の前に行った。
そこで彼女はシャンプーとリンスを手に取った。
ラッキ〜
勿論、私も同じ物を買った。

化粧品は真似しなくて良いみたいだった。
フレーム
2004.11.9桜馬場中学校にて 
2004年11月11日(木)
お知らせ
『11月13日(土)午後3時より元の是心会病院前で鯱太鼓の演奏があります』
銀屋町と言う旧町名がある。
今は、古川町と呼ばれている。
長崎くんちでは、旧町名で踊り町に出るのでくんちの出し物は『銀屋町鯱太鼓』と言う
太鼓と山車からなっている。
山車は、7年に1度だけしか出ないが太鼓は老人ホームなど地道な活動を続けている。
太鼓は4年前のくんちが終わってから直ぐに
7年後のくんちに向けて練習を周2回欠かさない。

悲しい事に、今の若い人達は「銀屋町って何処?」と知らない人が多くなった。
昔の名前に戻して欲しいと言う町民の熱い思いがある。

そこで町民は立ち上がった。
今度の平成19年の長崎くんちには、
旧町名の銀屋町ではなく堂々と銀屋町として出場したいと
市に銀屋町を復活させて欲しいと要望を出している。
既に全国で金沢県で旧町名が復活している。

今度の土曜日にくんちの出し物の太鼓を叩いて町民の皆様のもっともっとご協力を得たいと
一役買う事になったのです。

急に決まったのでご存知無い方が多いと思いますが
少しでも多くの人達に町民の熱い思い、太鼓の演奏を聴いて欲しいのです。

ぜひ、いらして下さい。
勿論、愛娘も叩きます。
2004年10月24日(日)
距離は?
最近は殆どの人が携帯電話を持っているが
お客様の中には携帯電話は要らない、持ちたくないと言う方がいらっしゃる。

その中のお一人
常連のお客様「此処電話ありましたよね?」
私「はい、ありますよ」
お客様「スミマセン、貸して下さい」
私「どうぞ」
お客様「市内ですから、直ぐ近くです」
私「・・・ん?」
2004年10月19日(火)
やっぱり


      ↑
こんなに
印を付けてくれたので今年は、大満足!
お久し振りです。
忙しかったのでスミマセン。
色々と言いたい事はあるけど、今日はこれを聞いて下さい。

←これは何だと思います?
そうです、カレンダーの一部です。

誰がこんな印を付けたかと言うとそれは、大将なのです。
先週お客様と話をしていて思い出したので
「忘れんうちに」と、こんな印を付けたのです。

私は娘に嬉しくて
「パパは、忘れんようにってカレンダーに印付けたとよ」と言った。
娘の返事
「印付けるとは良かばってん、何の意味か忘れたら一緒たい」
私「・・・」そうかも

予想とは、ち〜と外れたがヤッパリ大将は忘れていた。

夕方、ゆうパックが届く。
毎年、私達が仲人をした1組目の夫婦がプレゼントを贈ってくれる。
いつもながら関心をする。
感謝・感謝

いつもは、くんちの後でこの時期忙しくて私も忘れている。
プレゼントが届くので何とかその日の内にお互いが気付く事になる。

私は、今年は暇だったのでシッカリ覚えていた。
朝から解っていたんだけど、大将に思い出して欲しくて
言いたいのを堪えてじっと我慢の子だった。

私は、プレゼントを欲しいとか何処かに連れて行ってとかは無い。
いつも側に居るから。

大将は、日付は覚えている。
忘れた事は無いが、今日が10月19日と言うのを忘れるみたいだ。

たまには朝から思い出して欲しいな。

そうなんです、今日は私達の24回目の結婚記念日なのです。
2004年10月1日(金)
ヤッタ〜♪
先ずは、ご報告をしましょう。

娘に「はい、お弁当。ママが作ったとよ」と言って渡すと
ありがとうと言って受け取った。

昼休みが終わる頃、メールが届いた。
『お弁当美味しかった☆ゆっくり食べたら30分くらい掛かった(笑)』

味わって食べてくれたんだ。
3時間も掛かって作ったんだから、3分で食べられたら困る。
娘も私が作った初めてのお弁当だと言う事をよ〜く解っているので
そう簡単に食べれないと思ったんだろう。
胸が一杯で食べれなかったんだろう。

正直言ってもっともっと感動して欲しかったのだが・・・

大将はと言うと
娘のだけを作っているのだと思っていたようで
まさかまさか自分の分まであると絶対に思っていなかった。

だから手渡した時の大将の顔は、驚きに満ちていた。
ニタ〜と笑みを浮かべ、笑みと言うかデレ〜トと言うか
かつて見た事の無い顔だった。
めったに数えるくらいしか『ありがとう』と言う言葉を私は聞いた事がない。
その人からの『ありがとう』は私にとって凄く重みのある言葉だ。

これで私の苦労は報われた。
大げさなと思う人もいるかもしれないが。

食べた後の感想は
「あ〜、これがお弁当なんだ」と言った。
勿論、美味しかったとも言ってくれた。
2004年9月29日(水)
どうだ!

これは本当に初めて大将の為のお弁当です
今日も台風がやって来た。

来なくて良いのにまたやって来た。
今回は直撃ではなかったが昼まで風が酷かった。
大将は、前回の19号の長崎直撃の時に倒れた屋根の上の室外機が気になったので朝から屋根の上に登って確認をした。
幸い、処置が完璧だったのでびくともしなかった。

お陰で暇だ。
さて何をしようか?
思い付いたのが何と『弁当作り』

何だか無性に作りたくなった。

私は、自慢だけど(普通自慢じゃないけどと言うが、私にとっては自慢なのだ)お弁当を作った事がない。
娘が幼稚園、学校の頃は運動会だけ作る事にしていた。
と言っても80%は大将が作り、
私は自分のお得意のを2品作るだけなのだ。
でも、私が作った!と豪語していた。

だから
娘も普通の何でも無い時に私のお弁当を食べた事がない。
すご〜く貴重なお弁当。
普通の家庭では、母親のお弁当は当たり前で有り難味が無いのかも
父親が作るお弁当だと思って欲しい。

さて
本題だが内容はと言うと
★先ず、御飯は炊き込みご飯。
★鳥のから揚げ(自信作)、
★春巻き(これは冷凍、但しこだわって取り寄せた逸品)、
★蒲鉾(頂き物)、
★ロールハムとスライスチーズのくるくる巻、
★枝豆の天ぷら(これは苦労した、冷凍の枝豆があったので皮をむきかき揚げにした物。皮をむくのに30分も掛かった。1袋もむいてしまった。これは初めてで作ってみたかった。)、
★煮物(里芋・厚揚げ・こんにゃく・鶉の卵・丸天蒲鉾。自信作)

他にもしてみたかったのだがお弁当箱に入らなかった。

初めは、娘の為だけに作っていたんだけど
『そうだ!大将にも作って驚かしてあげよう』と言う気になった。
余ったのをあげれば良いのだけど
皿に盛るののとお弁当箱に詰めるのでは違ってくる。
自分の為にだけのお弁当って嬉しい物だ。

結婚する前、大将は私の為にお弁当を作って会社に良く届けてくれた。
『この人なら』と思っていた。
そう言えば、私は一度も大将の為に作った事が無かったのだ。

作っただけで凄く満足と言うか
台風ありがとうと言うか
作ってあげたい人がいるという事にありがとうと言うか

二人の御感想は、明日報告します。

途中でお客様がいらしたけど
このお弁当に3時間は掛かりました。
笑ってやって下さい。

正直言って疲れました。
労働の後は、ビールが美味しい!

これが娘のお弁当です
2004年9月28日(火)
宝くじ
大将は自分では絶対に宝くじを買わない。
何故かは解らないが、多分面倒だからだと思う。

私は、ちょこちょこと買っている。
最近の結果を報告しますと

前回のジャンボでは
20枚買って15,300円当たった。
6,000円が15,300円になった。

この時は、大将が「買うとっとやろう?どら」と言って
番号を照合すると「おいおい、当たっとるぞ」と大喜び

私は、当選確認はしない。
一番違いだともう〜凄く悔しくて寝れないので、しない。
当たりか外れかどちらか売り場に行って確認してもらう事にしている。

それから
銀行のATN機でロトが買える。
これも私向きだ。
番号を選んでボタンを押すとロトが買える。
当たっていたら、当選金が振り込まれる。
これは、便利だ。
定期的ではないが、気が向いた時にボタンを押している。
先週、記帳をすると9,500円も入金になっていた。
本当に嬉しかった。

最後に今日
1枚100円の宝くじを10枚買っていた。
1等は、2千万円だったが私は1,100円当たった。
つまり、1,000円が1,100円になった。
これもまた凄く嬉しかった。
もう〜1日幸せいっぱいになってしまった。
私って何て幸せなんだろう。

さあ〜いよいよ近づいた!
今度のジャンボこそ。
2004年9月27日(月)
『挨拶の日』
うちのお客様から聞いた話だが

「うちの町にはね『挨拶の日』と言うのがあるとさ」と言われた。
『挨拶の日』とは
1週間に一度決まった曜日に誰にでも挨拶をしましょうと言う決まりだそうだ。

ある日、
子供達が「おはようございます」と元気良く声を掛けてくれたそうだ。
その方は「おはよう」と言ったそうで、凄く気持ちの良い朝を迎える事が出来た。

その次の日「おはよう」とその方が声を掛けたら
子供達は「今日は、挨拶の日じゃなかけん言わんで良かと」と
「おはようございます」とは言ってくれなかったそうだ。

その方は、もうあっけに取られて
返す言葉が出なかったそうだ。

その日は何と朝からムカムカした日になった事だろう。

そんな『挨拶の日』なんて決めるからこんな事になるんだ。

素直と言うば素直と言えるのかな?
2004年9月24日(金)
メール怖い!
昨日、1通の同じメールが10通届いた。
7種類×10で合計700通のメールだ。

一生懸命に削除した。

何と言う事だ。
まだ、昨日は全部綺麗に受信できたのだが
今日は、全部のメールが受信出来ない。

エラーが出てしまう。
大事なメールが来てなければ良いのだけど。

メールを受信するのが怖くて。
2004年9月17日(金)
流行?
先日、ある人の告別式に夫婦で出掛けた。

受付で名前を書いていると斎場の人から
「ご夫婦ですか?」と聞かれた。
私が「はい」と答えると
四角い紙の手提げ袋を渡された。

別に会葬御礼は頂いたのに、 これは何だろう?
と思いつつ会場の中に入った。

私は、告別式の間中『この袋は何なんだろう?皆も貰っているし』と
ず〜と気になって、気になって。

無事、お見送りをして家に帰って紙の袋の中身を開けてみると
それは、何と香典返しの品だった。

え?と我が目を疑った。
普通、忌明けは人によって違うが
35日だったり、49日だったりする。
その法要が終わってから香典返しが送ってくる。

告別式が始まる前に、たった今香典を渡したばっかりなのに
もう、お返しが来た。

何とも複雑な気持ちで

香典返しが届くと
『もう、35日、49日が過ぎたのか』と改めてもう一度その故人の事を思い出す。

母にこの事を話すと
「今、流行ってるんだってよ」と言う
平均よりも高額の人には改めて後から追加?の品が送られて来るそうだ。

大将も母も言う。
「これから先、流行るとさ」と

でも、私は絶対にイヤだ!
誰がこんな事考えたのか?
考えた人は、自分の時はそれでも良いのか?

香典返しが面倒なのは良く良〜く解る。
住所や名前が解らなかったり、この人誰?と悩んだりする事も多い。
葬式を出した事にある人は、誰もが経験した事だろう。

貰う側から言うと、しょうも無いものが送られて来る場合もある。
しかし、お返しを貰おうと思ってお葬式に行く訳ではないので
それはそれで仕方が無い。

そんな直ぐに片付けたいのなら、そんなに面倒なのなら
受け付けに『お返しはしませんから』と書いておけば良いのに。
お返しの分を引いて香典にすれば良いと思う。

35日、49日の間に遺族は集まって
香典返しは何にする?とか法事は誰を呼ぶ?何処でする?とか
故人の事を考えながら話し合いをするんじゃないのかな?

人がこの世から居なくなるという事は大変な事だと思う。
いろんな人にお世話になったのだから
せめて残っている者が故人に代わってしてあげたいと思う。

故人の人生簡単に終わらせたくない
こんなに思うのは私だけなのかな?

私は、大将に「貴方の時は、ちゃ〜んとするけんね」と言うと
大将「・・・・・」

大将は、いつも「お前より長生きをする」と言い続けているので
何も言わなかったのだろう。 
2004年9月14日(火)
三人乗り
大将は、250ccのスクーターに乗っている。
勿論、私も後ろに乗っけて貰っている。

大将が、「チョット音の変化とさね」と最近言っていた。
何だか気になっていたらしい。

バイク屋さんに聞いてみた。
「ベルトはどの位で交換ですか?」と
すると「大体、3万キロ位で交換ですね」と言う答えだった。

うちのバイクは今、3年間で2万キロ。
大将は、まだまだだと言って安心していたのだが
突然、ベルトが切れてしまった。
仕方が無い、バイク屋さんに取りに来て貰った。

大将「まだ、2万キロなんですけど」と言うと
バイク屋さんから「どんな乗り方しましたか?」聞かれた。
大将「いや〜、普通に二人で乗ってます」と答えた。

しかし、よ〜く考えてみると
3年前にバイクを買った頃からすると
私が27Kg、大将が7Kg痩せている。
二人で34Kg減になる。

それに私達は、近郊まで野菜を買いに行ったり
水をくみに行く。
その荷物は、30Kg位にはなってしまう。
と言う事は、34Kg+30Kg=64Kg

つまり、人数は2人でも体重は3人分乗っていた事になる。
2004年9月13日(月)
携帯電話
先日の台風18号で私の実家は、停電になった。
停電は、直ぐに回復したのだが電話が不通になった。
何度NTTに電話しても込み合っていますのアナウンスが流れるだけで
NTTに通じない。

3日間も電話が通じないのは、非常に不便な事だ。
私は、隣のお宅に電話して様子を見て貰って母の無事は確認出来ていたので
心配はしなかったのだが、母のお友達や兄弟達が心配して私に聞いてきた。

3日間の間毎日母は、近所の電話が通じるお宅から借りて電話を掛けてきた。

私は、NTTにあきらめもせずにしつこく連絡してやっと工事をしてもらった。
やっと電話が通じた母は、携帯電話が欲しいと言い出した。
母「やっぱいるよ」
母は心細かったのだろう。

母は今まで欲しいと言っていたが
私達は、『要らん』と言っていた。

災害の事考えると
『そうね、やっぱり要るよね』と言う事になり
私が手続きを知る事になった。

携帯を買って、私が兄弟達に母の番号を伝えた。
みんなが「へ〜」と言う答えだった。

母に私が携帯の説明をしてもチンプンカンプンで
何度言っても覚えない。

メールも呆け防止の為、使える様にしたのだけど
とてもとても無理で。

電話をとる事すら大丈夫かな?と思う位で

母が先ず言ったのは「何処で聞こえると?」
私「此処よ」
母「このちっちゃかとこ?」
次に聞いたのが「何処で話すと?」
私「此処」
母は、「へ〜」と欲しかったおもちゃをやっと買って貰った子供の様に喜んでいた。

母は、電話が掛かって来たら面倒なのでと電源を切ってしまった。
私「あのね〜、電源切ったら掛かって来んよ」と言うと
母「良かと、持っとれば」と言う

私「・・・・・」
2004年9月12日(日)
桐箪笥入り娘
最近、我が家の次女kikiは箪笥がお気に入り

桐の箪笥で私の嫁入り道具だ。
鎌倉彫で祖母が買ってくれた。
下から二番目の所が大好きで、此処には娘の下着が入っている。

引き出しを開けたまま、暫くして戻ってくるとそこにはシッカリとチャッカリと
kikiが入り込んでくつろいでいた。

それから1週間ほど経つがkikiはトイレに行ったり、御飯を食べたりする以外は
箪笥の中で過ごす様になった。

二段目の高さがkikiにとって入りやすい高さで
私達にとっては、kikiの寝顔が良く見れる高さなのだ。

娘が下着を取ろうとするとkikiは取るなと言う。
すごく塩梅が良いのだろう。
パンツを一枚抜くとクッションが悪くなるんだろう。

私達は、諦めてkikiにこの箪笥の引き出しを譲る事にした。
勿論、下着付で。

箪笥の引き出しは、閉める事が出来なくなってしまった。

娘は、枕元に得意のクレーンゲームで
kikiの為に取って来たぬいぐるみまで置いてあげている。

我が家では、長女の事を『ダンボール入り娘』と呼び
次女kikiの事を『宝箱入り娘』と呼んでいたが
本当に『桐箪笥入り娘』になってしまった。
2004年9月8日(水)
お久し振りです
本当に本当にお久し振りです。

まあ〜何とパソコンの調子の悪い事。
暫くパソコンも休暇をあげようと触らず休ませていました。

台風18号の影響で山葵の屋根の上の室外機が倒れ
もう〜大騒ぎ。
しかし、幸いな事に下に落ちる事もなく
人様に迷惑かけずに済み、ホットしました。

私の祖母がいつも言っている言葉に
『大難は、小難。小難は、無難。』と言うのがある。

大した事無くて良かった。
2004年7月30日(金)
どれが?


解ります?
一番、二番、三番
お客様からスイスロールを頂いた。

特に大将の大好物だ。
大将は、一人で1本食べるつもりだったが
『そうは、問屋が卸さない』
私達も食べる権利がある。
大将一人が貰った物ではない。

我が家では、大将一人に食べられる前に
三等分にする習慣がいつの間にか付いてしまった。

特に娘は、等分にするのが大変上手だ。
ケーキもいろんな種類のケーキを買い
必ず、私と娘で半分づつする。
いろんな種類のを少しづつ食べたいから。

私は下手なので、いつも娘に切ってもらう。

スイスロールは、娘が居ない時に頂いた。
娘を待っても良いかなと思ったが、
その前に大将に食べられたら困るので私が切る事にした。

我ながら上手に三等分に切れたと思い、冷蔵庫に入れた。

娘が帰って来たので「冷蔵庫にケーキがあるよ」と言ったら
娘は、冷蔵庫に飛んで行き、ケーキを見て一言
「な〜ん、この大きさの違いは?」
私「上手に切れ取るやろう?」
娘「全然、これが一番、二番、三番」と言い出した。
私「そ〜う?今回は、上手に切れたと思ったとに」
娘「当たったら、幾らくれる?」
私「100円」
娘「え、え〜」
私「じゃあ1,000円」

娘は
量りを持って来て量った。

170g、180g、190gと見事にピタリ!

す、凄い!
2004年7月26日(月)
野菜買いに・・・
昼の店を済ませ、大将が「野菜買いに行くぞ」と言うので
バイクの後ろに乗って行く事にした。

直ぐ近くに野菜屋さんはある。
しかし、時々時間がある時は市場へ出かける。

「何処か行きたか」と私が言ったら大将はいつもの市場を通り越し
行き先も告げずに走って行く。

福田の海を見て、式見、三重と通り過ぎ
もうこの辺で私は、限界になり
いつもの如く眠り姫となる。
暑いが風は気持ちが良い。
海を見ながら船をこぐ。
居眠りをする為にバイクに乗っているようなものだ。

カーブでは、チョット冷やりとしながら
これがスリルがあってたまらない。

目を覚ますといつの間にか遠藤周作記念館を過ぎ
大瀬戸まで来てしまっていた。

そこに今流行の道の駅がある。
私「此処で野菜買うと?」
大将「うん」

玉ねぎ、かぼちゃ、キュウリ、それに勿論田舎饅頭。
本当は、スイカを買いたかったのだがなんせバイクなもんで
二人とも泣く泣く諦めた。

片道一時間以上もかけ本当にご苦労な事だ。
しかし、新鮮で値段も安い。
ガソリン代とバイクの消耗代と労力を考えると・・・・

饅頭は、その場で直ぐ食べたが本当に美味しかった。

大将は、帰って来て近くの野菜屋さんにネギを買いに行った。
ネギはなかったのだ。

大将「あの買おうとしたスイカ800円やったろう?」
   「あのスイカと同じ位のスイカ幾らと思う?」
私「1000円?」
大将「イイヤ」次から次に私が金額を言ってもなかなか当たらない。
大将「2,500円もするとぞ」と言った。

やっぱり、買って来れば良かった。
2004年7月25日(日)
梅ゼリー
大将は、嫌いな食べ物ががない。
ただ、さつま芋だけは食べない。
幼い頃、さつま芋ばかり食べたのであれだけは食べなくて良かと言う。
お酒を飲んでいた頃は、芋焼酎を好んで飲んでいた。
かんころ餅【さつま芋が原料)も大好きだ。

先日、死ぬ思いをした大将は医者から『梅は食べるな』と言われている。
生梅は勿論だが、梅の加工品も止めた方が良いと言われている。

梅が大好物ではないが、食べたらいけないと言われるのは淋しいと言う。

昨日、梅のゼリーが届いた。
送り主の人は、大将の梅事件の事を知らない。
大将に梅ゼリーが届いた事を伝えた。
「でも、食べたら駄目よ」と言うと
大将は、「良かさ」と言う

大将が食べる前に私と娘で食べてしまわないと。
2004年7月23日(金)
忘れない
私は、明日で46歳になる。

22年前の今日は、長崎大水害の日だ。
娘が生まれて21日目で床上げの記念の日だった。
山葵も開店して3ヶ月目の記念の日でもあった。

あんな雨見たことも無い。
何処からあんな雨が降ったのやら。

水害の次の日
電気もガスも止まっていた次の日

私は、スイカとおにぎりで誕生日を祝って貰った。
二度と忘れない。
忘れてはいけない。

娘は、今日中島川にろうそくを燈しに行った。
「もう〜、暑かったよ〜」と言って帰って来た。
「一生懸命にろうそく燈して来たよ」と

きっと生まれたばかりの娘もあの時の凄い怖い雨を覚えていることだろう。
2004年7月19日(月)
花嫁の父
昨日、知人のお嬢さんが結婚した。

その花嫁の父は「僕は、泣かない」
「何にもしてこなかった父親が泣くと、僕はちゃんんといろいろしてきたけん」

大将も同じ事を言う。
娘の結婚の時は、『絶対に泣かん』と
「してきたもん、オシメも替えお弁当も作り、送り迎えもし・・・」と言う
「あ〜もしとけば良かった、これもしてあげたら良かったと思うけん泣くと」
そして「お前は、何もしとらんけん泣くやろうね」と言う。

私「そうよ、私は泣くよ。泣かせてもらうよ」
「でも、いろんな涙のあるとよ。無事にここまで育ってくれたって」
「あんなり、絶対に泣かんって言わん方が良かよ」
「世の中に絶対は、無かっていつも言いよるやろう?」

大将「・・・」
「そん時になってみんば、解るもんか」と変わった。

但し、娘の結婚があればの話だが。
フレーム
楽しいトイレです、是非一度(=^・^=) ※トイレだけの使用はご遠慮下さい。
2004年7月15日(木)
ヤッター!アロハ
今月のトイレです。
テーマは、もちろん【HAWAII】
チョット気合を入れての自信作!

先日、予約のお客様がいらした。
常連さんが幹事だったので勿論、禁煙だと言う事はご存知だったが
中には、タバコを吸う方がいらした。

仕方なく我慢をしてらしたが
トイレに立たれた時、手にタバコを1本持って行かれた。
私は、しっかりこの目で見てしまった。

お酒が入り、タバコを吸いたい気持ちは解るが・・・
イヤイヤ駄目です。

しかし、「トイレも禁煙です」とは言い出せなかった。
胸の内は、あ〜どうしよう?イヤだな〜と思いながら
はらはらしていた。

しかし、その中年の男性のお客様はタバコを吸わずに出ていらした。
「こんがん、綺麗か楽しいトイレは見た事なか」と言われた。
ヤッター勝った!とそう叫んだ、心の中で。
「本当はお客様、タバコ吸おうとしたでしょう?」と言いたかったが言えなかった。
少し、酔ってるのに良くぞ我慢して下さった。

『トイレならタバコ吸っても良かさ』と思われる人がいるかも
でも、うちのトイレは汚い所ではない。

人間誰もがお世話になる大事な所。
一人でゆっくりと落ち着ける所。
トイレは、もっと楽しく楽しく!

前にTVのクイズ番組で川に粗大ゴミを捨てて困っていると言う話があった。
そこで住民は、何をしたでしょう?と言うのが問題だった。

答えは、川岸に紫陽花をたくさん植えてそれも個人個人に管理を任せ
名前を書いた札を掛け、見事な花で一杯にした。
そうしたら、誰も川にゴミを捨てなくなったという話があった。

私は、その話を直ぐに思い出した。

そうなのだ。
綺麗にしなさいとか此処でタバコを吸わないでとか言う前に
ゴミを捨てれない様に、タバコを吸えない様にしなければいけないんだ。
2004年7月11日(日)
一匹前
早く早く〜 食べてないよ〜
めったに家に持って帰らないが
大将に寿司を作って貰って家に帰った。

家で留守番をしていたkikiが寿司を見付け飛んで来た。
寿司には、ラップがしてあったがkikiにはおご馳走だと言う事が解っていたらしい。

私は、まずシャワーを浴びて一杯呑みながらと思い
それまで寿司は、お預け。

私がシャワーを浴びて出て来るまでkikiはじ〜と寿司の番をしていたようだ。
私がカメラを向けると寿司なんて見てないよって知らん振り。

早速、ラップを外し寿司を食べ始めると私の膝になっておねだりを始めた。
鯛にマグロに・・・
小さく切って食べさせる。

ウニは、あげなかった。
あげて良いものやら?

それより私が食べる分が減るではないか。
いくら愛するkikiと言えどもウニは譲れない。

大将に「私の分ば食べて私は、食べられんやった。刺身あげてよ。
     ウニは、食べさせて良かか解らんやったけんやらんやったよ」と言うと
大将「刺身じゃダメさ。寿司じゃなからんばいかんとさ。ウニも食べさせて良かさ」

kikiは小さい頃、刺身はあまり食べなかった。
寿司をあげた事は、なかった。

今度から家で食べる時は、kikiにあげないといけなくなった。

そうだ、kikiにも一人前(一匹前)握ってもらったら良いんだ。
2004年7月8日(木)
良かったね。
先日、同級生の医者達がいらした。
あの時に命を助けてもらった医者も一緒。
勿論、話は梅事件の事だ。

私「今度喧嘩したら、梅ば食べさせんば」
  「その時は、宜しくね」と言ったら
その中の一人の女医さんが
「私は、一生美味しか寿司ば食べたかけん大将の見方する」
「貴方には悪いけど、助けるよ」
私「え〜」

残念ながら、ちょうどその時大将は聞いていなかった。
後で「彼女がそんな言ったよ」と教えてあげたら
大将「そいは、良かった」

本当に嬉しそうだった。
2004年7月7日(水)
誰?
大将が家で昼寝をしていた。

大将「お前、布団ば掛けてくれた?」
私「いいや、私ずーと店におったよ」
大将「じゃあ、ちっちか?」
私「違うよ、私とずーと一緒におったもん」
大将「聞いてみる」
私「ちっちじゃなかって」と言っても信じない。

大将は、電話で娘に聞いてみる。
布団掛けてくれた?と聞いたところ、勿論返事は違うよと帰って来た。

娘は「何で?」と聞いたらしくて。
大将「いいや、誰か布団ば掛けてくれたとさ」
   「でも、ママじゃなかって言うけん。ちっちと思って」
娘は、笑っていたらしい。
大将「チョット、今からもめるけん」と言ったら
娘は、もっと笑っていたそうだ。

じゃあ、誰だ?

大将「誰か本当に掛けてくれたとけどね〜」
私「貴方、誰かに合鍵ば渡したろう?」
大将「いいや〜」
   「夢やったとばいね〜」とごまかした。

大将が合鍵を渡す事は無いので(絶対にいや多分)

夢かお化けか?
2004年7月5日(月)
ナポリタン
朝から、宅急便のお兄ちゃんが待望のハムを届けてくれた。

そこへ彼の携帯電話が鳴った。
センターかららしい。
「はい、今わさびさんに居ます」
「はい、わさびさんです」
と何度も繰り返し言っているのに、どうやら相手に解って貰えないみたいだ。
「わ、さ、び、さんです」と言っても伝わらない。
「いいえ、ナポリタンではありません」と言う。

大将と私は、可笑しくて笑ってしまった。
電話を切った彼に大将が「相手は、年寄りね?」
彼「いいえ、○○さんです」
大将「あ〜、年寄りたい」
その○○さんは、私と同じ位だ。
それを年寄りだなんて。

しかし、見かけでは歳は解らない。
もしかして、もっと若いかも。
最近の宅急便の人は、若い。
特に黒猫さんは、若いように思える。
中には、違う人もいるけど。

それにしても
どうして?【わさび】が【ナポリタン】になるのか。
【まさみ】とか【わらび】とか聞こえる人はいたが、
【ナポリタン】は無いだろう?
それにナポリタンと言う店は、この辺には無い。
2004年7月4日(日)
喜んで
居酒屋に行って何か注文すると「喜んで〜」と大声で大合唱する。
本当に心から喜んで言っているのか?疑問に思う事がある。

初めて行った時、あのバカデカイ声に驚いた。

私は、米も研がないしエビもボイルしない。
じゃあ、何をするのかと言うと
お茶を入れたり、飲み物を出したり・・・
大した事はしていない。

唯一自慢できるのは、味噌汁だ。
味噌は、三種類をその時の具におおじて調合を変える。

「美味しい〜」と言って貰った時は、凄く嬉しい。
特に「お代わり、もう一杯」と言われた時には、最高に嬉しい。

そんな時
心の中で「喜んで〜」と大声で叫んでいる私がいる。
2004年7月3日(土)
22歳
昨日で愛娘は、22歳になった。

まだ、こうやって世間様に娘の歳をバラせる。
幾つまで言えるのだろうか?

私は、今の娘の歳(つまり22歳の誕生日に)大将から指輪を貰った。
それから3ヶ月しないうちに結婚した。
2年弱の交際だった。

それを思うと娘は、どうなるのかと心配になる。
と同時に、この歳で結婚したのかと思うと
何てもったいない事をしたんだろう?と切に思う。
本当に若かった。
もう少し、もう少しと思っていたら
きっと結婚していないだろう。
それに段々と目も肥えてくるし。

若さとは、時には間違いも起こすが
間違わないと結婚なんて出来ないのかもしれない。
若いうちに何も解らないうちに結婚した方が良いのかも。

同級生の男の子が来た時に
私が「今ならこの人と結婚していない」と言ったら
「そうやろうね」と言う返事が来た。
どういう意味だ?
2004年6月30日(水)
漁夫の利
『漁夫の利』
当事者同士が争っている間に、第三者がまんまと利益を横取りすること。
類:●鷸蚌の争い●漁利
故事:「戦国策−燕策」 鷸(しぎ)と蚌(はまぐり)が争っているのを見て、漁夫がその争いを利用し、両方とも
捕まえた。【金田一春彦先生に捧ぐ〜相原コージ先生にも捧げる〜】から引用

とある。
大将は、良く漁夫の利と言う言葉を使う。
大将が思っていた漁夫の利とは、少しばかり解釈が違うと思う。
大将が思うには、漁師の特権と言うか
漁師だからこそ、みんなが食べれないとびっきり新鮮な物が食べれる。
とそんなふうに思っていたらしい。

お客様に出すほどの量が無い時、今すぐに食べないと味わえない時
私に食べさせてくれる「こいは、漁夫の利だ」と言いながら。

私は、どちらかと言うと大将の意見に賛成だ。

私は、初めて漁夫の利という言葉を聞いた時は、どんな海苔だろうと思った。
それって美味しいのかな?と
2004年6月29日(火)
良かった事
最近、また痩せた。
今、27Kg減になった。

顔を洗う時に洋服が濡れなくなった。
ある時から何故かシャツが濡れてしまうようになった。
体重にすると70Kgを超えたぐらいからだろうか。
娘から「もう〜子供んごたっね〜」とよく言われた。

太ると顔もヤッパリでかくなるんだ。
お客様から、顔の1/3になったろ?と何ヶ月前に言われた事があった。
「そんな〜」とその時は言っていたが
今は、そうかもと自分でも思えてきた。

顔が小さくなるとシャツが濡れなくなるのは当たり前の事だ。

石鹸も少なくてすむようになった。
化粧品も少なくてすむようになった。
あごの骨が解るようになった。
あごだけではない、顔の骨が解るようになった。
ほほの内側を噛まなくなった。

痩せて良い事ばっかりだ。
2004年6月28日(月)
デカイ
今日は、小渕裕子衆議院議員を見かけた。

勿論、選挙の応援に来崎。
浜市アーケードを歩いていた。

一言
デカイ!

その体格もだけど、何だろう?
しっかりと足が地に着いていると言うか。
候補者が小さく見えた。

先日の岡田代表もそうだったが
ヤッパリ何か違う。

小渕議員は、肌も綺麗で目がキラリとしていた。

勿論、顔立ちもハッキリしていた。
一度会ったら忘れないような人。
みんなデカイ。

議員さんてそんな人かな?
2004年6月27日(日)
お知らせ
サルサ・ライブパーティーがあります。

生バンドで貴方も踊ってみませんか?

日日   :2004.7.24(土)
前売り券:2,500円
当日券 :3,000円

飲み放題

場所   :スターダスト(昔のプラザ会館)
時間   :8:00〜3:00AM

サルサダンス・ミニレッスン(8:00PM〜8:30PM)
前売り券を預かっていますので、ご希望の方は、すし 山葵までどうぞ!

私は、行った事ないがなかなか長崎ではこんなチャンスが無いので
面白いかも。

お客様から頼まれて預かったのですが
長崎子は、みんなシャイだから・・・

夜中の3時までやってるし、なんせ飲み放題だから特かも!

ちなみに7月24日は、私の誕生日です。
2004年6月26日(土)
ピチピチチャプチャプ♪
大将は、お客様に「僕は、長靴が大好きで」と言った。
「僕は、3足持ってます」

え?そんなに持っているんだ。
いつの間に・・・
そう言えば、何回も買わされた様だった。
私は、そんなに好きとは知らなかった。
確かに、雨が少しでも降ると良く長靴を履いている。

大将「もっと、みんな長靴を履けば良いのに」
   「大人になったら履かんでしょう、雨の日は長靴ば履かんば」

私にも長靴を履けと言われ、一緒に買いに行った事があった。
そうだ、私も長靴は2足持っている。
但し、今は27Kg痩せたのでガボガボになったしまった。

ついでに話すと、
23cmだった靴のサイズが、一番デブの時には24.5cmまでなってしまった。
今は、23cmに戻っている。

大将「子供の頃から長靴が好きで、雨が降ると必ず長靴を履いてました。」
   「履いて必ず、水溜りをふんずけるんです。」
   「ピチピチチャプチャプ♪と歌いながら」

大将は、今でも歌って水溜りをふんずけてるのかも・・・
2004年6月25日(金)
新メニュー
【美コース】と言う新メニューが登場!

内容は

一、季節の野菜料理
   (サラダ、中華風、洋風、和風だったりその日によって異なります)

一、上握り

一、コラーゲンドリンク
  (美しくなる為の必須アイテム)

一、お茶
  (お腹の脂肪を取るお茶)

金額3,300円

私が、ダイエットに成功したのを記念して出来た【美と健康を追求したメニューです】

健康に美しくなりたい方どうぞ!
勿論、男性・女性問いません。

これを作るのに内容は、直ぐに考え付いたんだけど
名前がなかなか決まらなかった。

大将は、【ダイナマイトスリム】とか言った。
一応それに決めて、メニューに書いてみると
ヤッパリ変。

解りやすく、美のコースと言うことで
【美コース】となった。

一度お試しあれ!
2004年6月24日(木)
55と75
私は、82kgまで体重計に乗った。
しかしそれ以上になった時、体重計を隠してしまった。

それから太ったので多分84Kgまであったと思う。
今では、30kgぐらい減っている。

だから、太っている人を見ると大体その人の体重が解る。

でも、聞くと悪いので聞かない事にしているが
そのかたの方から体重を言われる。
明らかに80Kgは、絶対に超えている人が
「私は、75kgです」と言われる。

この人は、60Kgは、絶対にあると思う人は
「私は、55kgです」と言われる。

この55と75とは何だろう?

この位さばよんでも解らないだろうと思っているのだろう。

80と言うより、75
60と言うより、55

例えば
「貴方、何キロある?」と絶対に80Kgある人に聞いたら
「75kgよ」と言うはずです。

60Kgは、あると思う人は55kgと言うはずです。

試してみては?
2004年6月23日(水)
掲示板
掲示板に書き込みしてくれる人がいない。

只今、カウントが2月18日から【2050】
2050÷約125日=16.4

つまり、一日に16.4人の人が見てるださっていることになる。
でも、みんなシャイなのか?

まず、初めに掲示板を見るが誰も書いてくれない。

私の楽しみなのに・・・・

誰か〜
何か〜

掲示板に書いて下さい(=^・^=)
2004年6月22日(火)
今日、民主党の岡田克也代表が来崎された。

銀行に用事があったので向かっていると体格の良い男性が何人か居た。
ん?もしかしてSP?と思ったが背広にバッチが見えた。
何のバッチか解らなかったが、SPってバッチ付けるのかな?と思い
違うのかな?と思った。

しかし、普通の人とは絶対に違う。

私は銀行の用事を済ませ、店に帰ると
大将に「何か変かとさ、雰囲気の違うとさ、SPかな?」
と言うと大将は、飛んで行った。

帰って来た大将は、「お前もはよう見に行って来い」
私「何やったと?」
大将「民主党の岡田代表の来とると、マスター宜しく」と声を掛けられたそうだ。

行って来いと言うのだから、それは行かなければ。
私も飛んで行った。

SPに見守られながら、岡田代表は堂々とやって来た。
私を見付け、握手をした。

大将「握手したか?」
私「勿論さ、良か女には寄って来るさ」と言ったが
勿論、誰にでもしていた。

思ったより、デカイ人でなかなかの男前だった。
『あ〜この人なら銀座でモテルだろうな?』と思ってしまった。
2004年6月21日(月)
はまってます!


ハワイで食べたハムに似ている。

そのままで良し、フライライスに良し、サンドイッチも美味しかった。
今日、ハムが届いた。
ネットオークションで勝ち得た物だ。
2kgのハムだ。
ついでに?デザートも頼んだ。

今日届く事は、メールで知っていた。
もう、この日が待ちどうしくて。

今朝、表の掃除をしていると黒猫さんが通りかかった。

私「今日、ハム来てない?」
黒猫さん「わさびさんでですか?」

私「私の名前で」
黒猫「あ、来てました」
   「先程電話したんですが、留守だったので」
私、心で叫ぶ『あら、残念!』

黒猫さん「直ぐに持って来ます」
私「急がんで良かよ、今度の便で」と言ったものの

本心は、直ぐにでも欲しかったのだ。

昼ごろハムは、届いた。
2kgのハムは、結構大きかった。

ちょうど、常連さんのご夫婦がいらしたので食べてもらった。
このお二人は、いつも夜お客様なのに何故か昼にいらした。
凄く勘の良い人達だ。

まずは、そのままで
それから大将は、【焼き飯いやあれは、フライライスだ】を作った。

もう、満足のご様子で黙々と食べられた。
ビールが飲みたいなと言われた。

デザートも食べてもらった。
「ん、ん〜なかなか美味しい」と評価を頂いた。
味にうるさい人達だ。

お客様「ちょ〜ど良か時に来た」
この方達は、甘い物も大好きで旅行に行ったら必ずお土産を下さる。
美味しい物のやり取りをしている。
こんなお土産を下さる方達が、山葵にはたくさんいらっしゃる。

ありがたい事だ。
何て私は、幸せなんだろう!

当分、ハムが食べれる。
今夜は、ハムで一杯!
2004年6月20日(日)
ボーナス
金、土と何かと忙しくて書けませんでした。

そう、世の中はボーナスがチラホラ出ているらしくて
半年に一度いらっしゃる人達や

みんな競って支払おうとする人達
いつものように奢ろうとする上司、いつもおご馳走してもらっているから
今日は奢らせて下さいと言う部下達。

ボーナスが出た時ならではの光景だ。

ボーナスは、他所事の事だったが
今年は、チョット違う。

我が愛娘に初のボーナスが出るらしい。
公務員で無いので、そんなに貰わないらしいが

去年の暮れには、今の所にアルバイトととして勤めていた。
上司達が少しづつ出し合って1万円娘にボーナスとして下さった。

娘は、大喜びで飛んで帰って来た。
みなさんの温かさに触れて本当に喜んでいた。

あれから半年
今度は、本当の初めてのボーナスだ。

金額ではない。

娘は、あちらこちらにお世話になっている人がいるので
使い道は決まっているようなのだが
多分、足りないと思う。

残念ながら
こちらまでは、回って来ないだろう。
2004年6月17日(木)
この木の名は
今日、電話があった。
あの木の名前が解りました。
『サンユウカ』と言います。
調べてみたら以下のような事が解った。

学名 Tabernaemontana divaricata
(=Ervatamia coronaria)
和名 サンユウカ三友花
英名 Adam's apple
科名 キョウチクトウ科
原産地 インド

キョウチクトウ科だったんだ。
クチナシといつも間違えられて可愛そうに。

これでみんなに教えられる。
2004年6月16日(水)
続々
私達家族は、あちらこちらで[生梅事件]について話した。

結果
面白い事が解った。

私達の調査によると
大体半分の人が『青梅は食べたらいかん』と言われていたそうだ。
つまり、何でかは解らないが青梅は食べた事がないと言う。

しかし
知らなかった人の半分は、小さい頃木に生っていた青梅を食べた事があると言う。
残りの半分は、『へ〜 』

大将は、小さい頃青梅を食べた事があると言う。

今日、ドクターの人達がいらした。
話をしたら、知らなかったと言われた。
「そんなと教科書に載っとらんよ」と言われた。

医者も知らなかったんだ。

大将が診てみ貰ったドクターが物知りの私の同級生で本当に良かった。

是非、教科書に医学書に載せてもらいたいものだ。
2004年6月15日(火)
続き
看護婦さんから聞いたのだが
私が買い物をしている時に
大将は、ビデオカメラで体中の凸凹を撮ろうとしていたそうだ。
(大将は、ビデオカメラをいつも持ち歩いている)

但し、テープがカメラに入っていなかったので撮れなかったそうだ。
テープは本体に入れずに別に持っていたのだ。
片方の手は、点滴をしているのでテープを入れる事が出来ず
あきらめていたそうだ。

もし、テープが入っていたとしても
どうやって自分で撮ろうというのか?

ヤッパリ、大将は変な人だ。
撮りたい気持ちはよ〜く解る。

私は看護婦さんからその話を聞く前に
大将の様子を見るなり、これは残しとかないとと思い
早速携帯カメラで撮り娘に送った。

まあ〜、価値観は同じかもしれない。

娘の反応はと言うと
あまり驚かなかった。
何故なら
私達は常に娘を驚かせているので、またかと思ったらしく
少々の事では驚かない。

さすが、我々の娘だ。

大将は、私にビデオを撮れと言った。
私「はい、私に言い残すことは?」
大将「なか」
私「ありがとうとか、ごめんなさいとか何かあるやろう?」
大将「なか」
じゃあ何で撮るのかと思った。
ビデオに何にも言わないんだから。
無言のまま点滴をしている姿を撮った。

「バイクは置いて行きなさい」と先生と看護婦さんに言われたが
大将は、運転して帰った。

家に戻り、2時間もするとハレも減り顔色も普通に戻った。
私達は、ホッとした。

大将は、店を開けると言ったのだが医者から用心した方が良いと言われ
渋々休む事にした。

医者からは、3日間位ジンマシンがひかないだろうと言われたが
凄い回復力で綺麗にひいてしまった。
かゆみも全く無くなった。

私「私が治してあげるから」と
こんな時は、私の有り難味を見せ付けてやろうと思っていたのだが
せっかく恩を着せ様と思っていたのに。
予想に反して治りが早かった。

でも
本当に良かった。
2004年6月14日(月)
もう〜大変
大将と私は昼の部が終わり、
諏訪神社にくんちのさじきの抽選に行き
市民病院にお見舞いに行った。

病院に行った時
大将「何か顔の赤こうなかか?」
私「うん、赤かよ」
大将「そいにかいかとさ」

人のお見舞いどころではない。
家に帰ることにしたが、どうも具合が悪いらしい。
私と同じく病院嫌いの大将が病院に行くと言う。

私の同級生の所に行き診てもらった。
熱は、36度6分。
手が痒くって、息苦しくて、ムカムカする。

点滴を打つことになった。
1時間位かかるからと言うので買い物に行くことにした。

1時間程経った時、病院に電話をした。
そのまま帰っても良いか聞いてみた。
すると
看護婦さん「大変だったんですよ」
「点滴の途中で息苦しい苦なって呼吸が出来なかったんですよ」
「注射を打ったら落ち着きましたが」と言われた。
私「すぐ行きます」と言ったら
大将は「来なくて良い」と言っていると看護婦さんは言ったが
私は、タクシーを飛ばし飛んで行った。

大将は、まだ点滴の途中だったが
何とか元気を取り戻していた。

大将「見てみろ、このジンマシン凄かろう〜」
「もう〜、息の止まった死ぬかと思った」
私「ひゃ〜」
確かに凄い凹凸だった。

私「何食べた?朝から言ってごらん」
大将は朝から食べた物を言い出した。

昼にお煮しめを作っていたのだが
大将「何か味のおかしかとさ、苦がかとさ」
「チョット食べてみろ」と言っていた。
私「いいや、美味しかよ」

考えると、お煮しめを作る前に食べた物となる。

八百屋さんに行った時
大将「おばさん、こい梅?何すっと?」
黄色になった梅を大将が聞いた。

おばさん「砂糖に漬け様かなと思うとっとさ」
「食べんね、生で食べられるとよ」
と言われた大将は1個貰い食べた。
「おばさん、食べんと?」
「酸っぱかけん、食べん」

先生にその事を言うと
「生の梅ば食べたとね?」
大将「はい」

先生「生の梅には青酸カリの元になるシアンの入っとるとよ」
「青梅は、食べるなって言われとるとに」
「1個位じゃ死なんけど、死ぬ事もあるけんね」

それを聞いて私達は驚いた。
ぞ〜とした。

私が精算をしている間に病院の外に出た大将は、また戻って来た。
息苦しいと訴えながら。
顔は、真っ青だった。
先生が血圧を測ったら「低いね〜」と言った。
何度も何度も計り直した。

私「どれ位ですか?」
先生「90位」
本当は90も無かったかも
私「下は?」
先生「測定不可能」

大将の顔は、黄色になった。

続きがあるが、明日にします。
2004年6月13日(日)
知ってるつもり
私は、人の顔を覚えるのが苦手だ。

大体目が悪いので街で人と会っても良く見えないんだけど。
娘とアーケードを歩いていると
あちらから「こんにちわ」と声を掛けられる。
だから私も「こんいちわ」と返す。

娘「だ〜れ?」
私「知らん」
大体こんな感じだ。

その後が大変だ。
誰だったかな〜と一日中悩んでしまう。

前に一度、この人は知っている人だと思い。
元気良く「こんにちわ」と言ったら
相手の人から「どちら様でしたっけ?」と言われた。
私「え?○○チャンのお母様じゃなかったですか」と答えた。
「いいえ」と言われてしまった。
恥ずかしかった〜

普通、自分が解らなくても知ってるつもりで挨拶するだろう。
するのは、私だけ?
もし、そうだったら私はしょっちゅう聞いとかないといけなくなる。
2004年6月11日(金)
夫婦
夫83歳と妻76歳の御夫婦のお客様がいらっしゃる。

いつもは、お二人でお昼にいらしていた。
二人掛けのテーブルに座り、ニコニコと微笑みながら食事をされていた。
亭主関白に従う妻を絵に描いたようだ。
私達は、あえて話し掛けることはしなかった。

ある時
御主人が一人でそれも夜にいらした。
焼酎も飲まれた。
カウンターに一人で座り、ゆっくりとご自分から話をされた。

何か変だと思ったが、奥様のことは聞かなかった。
そると、御主人から奥様が入院されたことを聞いた。
今、病院からの帰りだと言われた。

淋しくて、寂しくて。
若い頃は家内が居ないと嬉しくて何をしようかとワクワクしたものだったが。

その方は、二世帯住宅に娘さん家族と一緒に住んでいると言われた。
それでもとてつもなく淋しく、涙が出てくると言われる。

御主人「奥さんを大事にしなさいよ」
「私も若い頃、同じ事を先輩に言われ、
何ば言いよっとやろうかって思うとったばってん」
「この歳になったら、こんなに淋しいものだと思わんやった」
「身にしみるけんね」と無口な御主人が話された。

大将「ん〜、まだ解らんですね」
私「御主人、もっと言ってやって下さい」

それからもちょくちょく病院の帰りにいらっしゃる。
御主人「こうやってあんた達と話をすると気がまぎれて楽しか」とそう言われ
私達は、嬉しく思う。

また、前の様にお二人でいらして欲しいな。
2004年6月10日(木)
私が思うに・・・
おやじ
食事を済ませ、店を出る時に爪楊枝を口に加えている人
それにタバコも一緒に吸う人をキング オブ オヤジ
おばさん
平気で堂々と男性トイレに入っていける人
男性が居るのに入っていける人をクイーン オブ オバサン
年寄り
必ず、会って『こんにちわ』の後に天気の話題を入れる人
1日に何回会っても同じ天気の話題を言える人をキング オブ トシヨリ

                貴方の周りにこんな人はいませんか?
                直ぐ側にいるはずですよ。

                まさか貴方は、していないでしょうね?
2004年6月9日(水)
くんち踊り馬場さじき券



さじき券
6月7日に諏訪神社の踊り馬場のさじき券の発売があった。
例年前日から並ぶ人が多い。
出し物によっては、2日前から並ばないと取れない事がある。

※くんちの出し物は7年に1度回ってくる
つまり7年間たたないと見れない。

今年は特に一番人気の【コッコデショ】が出る。
私達の予想では、2日前から並べば良いかなと思っていたのだが
何となく胸騒ぎがして3日前の4日昼に券を販売する所に行ってみた。
驚く事に既に多くの人が並んでいた。

A席(4人席24,000円)130マス販売
B席(4人席18,000円)?
C席(4人席12,000円)?

一人に1マスの販売だ。

7日朝7時発売までそこに居なければならない。
突然の点呼があり番号が呼ばれる。
そこに居なければ失格となる。
トイレなどでその場所を離れる時は、
販売所に番号を言って届けを出さないといけない。

7日の朝4時
もう、みんなの疲労はピークを迎えていた。

高校生らしき若者、背広を着たサラリーマン
(きっと会社の接待の為の券取りだ)交代で並んでいたんだろう。
それより、一番多かったのはお年寄り。

話には聞いていたが
初めて並びこんなに苦労して見ていたんだとつくづく感心した。
くんちに出る担ぎ手や根曳衆も踊り町の会長さんなど
お偉いさんも近くに並んでいた。

みんなが一応に思った事だが
「こんがん、大変な思いして見てもらっとったって思わんやったね」
「良か勉強になった、まだまだくんちの知らん事のあるとね」と
口々に言った。

みんなタダ席の長坂は、並んだ経験はあるんだけど
お金を出してこんなに徹夜するなんて想像がつかなかった。

長坂は、ど真中の特等席だ。
今年は、この席取りがまた大変だろう。

3日間ずーと一人で並び続けた人
交代をしながら並んだ人
バイトで並んだ人
皆さま、本当にお疲れ様でした。
雨が降らないで何よりでした。

券は購入できたが、どの場所かはくじで決まる。
14日から18日の間にまた行かなければいけない。
早く並んだから良い席が取れるとは限らない。
神様にお任せになる。

後で聞いた話だが
時給1,000円のところがあって
1,000円x24時間X3日間=72,000円のところがあったそうだ。
それを知っていたら私達がバイトするんだったと娘と話した。
2004年6月8日(火)
仰げば〜♪
中学生の時の恩師が来てくださる。
開店の時からのお客様で離島に行かれた時は遠のいていたが
忘れずにずっといらして下さった。

偶然にも大将が中学生の時にも担任ではないが、授業は受けていた。
先生になって初めての赴任先だったらしい。
それもあって良く来てくださる。
大将と中学は違うが、私は担任をしてもらった。
共通の恩師がいるのは、嬉しいことだ。

何故か恩師と言うものは歳をとらない。
あの中学生時代の時の恩師のまんまだ。

その先生も今年の3月で無事定年退職された。
見るからに早い、早すぎる。
まだまだ現役でやれるのに。

その先生は、只今青春真っ只中。
今までは、夜にいらしていたのが最近では昼にもいらっしゃる。
勿論、暇だからなのだが
昼御飯をうちで食べられ、ダイビングにコーラスに・・・・
とにかく習い事を始めた。
小学生位のコーラスらしいが満足の様子だ。
先生「今までに出来なかった事をこれからはせんば」

先生曰く
「人間には少しのお金と自由が大切だ」と
「何より自由だ」
相当縛られていたようだ。

先生の趣味は、釣りで大きな船を持っている。
嫌な事ぜ〜んぶ海に浮かんで釣り糸を垂らしていると全てを忘れる。
何て人間てちっちゃいんだろうって。
教師と言う職業は相当ストレスが貯まるらしい。

先生「最近、忙しゅうして釣りに行く暇のなか」
大将「先生、もう仕事しよらんとやっけんそんがん海ばっかり行かんで良かですよ」
先生「君はいい事言うね〜」と凄く感心された。
私「そいは、恩師が良かけんね」
先生「そうたい」

大将が初めて先生から褒められた。
2004年6月7日(月)
ちーかま
チーズカマボコ略してチーカマ。

私は、好きではない。
チーズか蒲鉾かどっちかにしてと言いたくなる。

娘は、好きでと言っても私が好きでないので2年に1回くらい買って来る。
うちの(=^・^=)のkikiも大好きで
あけたとたんに飛んで来る。
娘も私も出掛け、家に一人で居たkikiは、棚の上にあったチーカマをどうしても食べてかったらしく畳に落とし、畳の上にばら撒いてあった。

帰宅した私は、驚きでどんなやって落としたのか不思議に思っていた。
しっかり1本かじっていた。

その日の深夜、何かごそごそするので起きてみると
一生懸命にkikiが袋を落とそうとジャンプしていた。

振り向いたkikiは「みたな〜」と言っている様だった

前より落ちない様にしていた為なかなか落ちない。
私に見つかったもんだからkikiは、恥ずかしかったのだろう。
私の所にやって来て私の手をかじった。
よっぽど悔しかったんだろう。

あの一生懸命さは、見た人でしか味わえない感動があった。
2004年6月6日(日)
もう〜
今日、買い物に行った。
天気が良かったので大波止の方に行った。
信号が赤だったので、青になるのを待っていたら
隣に居た中学生か高校1年生くらいの男の子が少しづつ寄って来て私の足を踏んだ。
私が「痛い」と言ったのに知らん顔でただ前を向いたままだった。
私よりひょろ〜と背が高い。
私は、その子の顔をにらみ付けてやったが、何の反応もない。

『謝りなさい』と言いたかったが言えなかった。

信号は青になり、さっさと歩いて行った。
その後を私は、にらみ付けながら歩いた。

その事を帰って大将に話したら

大将「最近の子は、謝りきらんとね〜」
「謝り方ば知らん」
「何でそん時に言わんとか?」
「何で謝らんとか?って」

私「怖わかもん、最近の子は何するか解らんし」
大将「そいがいかんとさ」
「謝る事ば教えんば」
「タイミングのあるとやっけん、そん時に言わんば」
と私が怒られた。

確かに大将なら言えるだろうが、私は言えない。
言わなきゃ良かった。
2004年6月5日(土)
(=^ェ^=)ニャン相
長崎には、多くの猫がいる。
野良猫だったり、飼われている猫だったたり、餌だけ貰いに来る猫だったり。
この猫は、市場にいる猫で紐付だ。
長崎には、必ずと言って良いほど市場には猫が付き物だ。
おとなしく繋がれていて綺麗な顔をしている。
それに穏やかな顔をしていた。

よ〜く見ると向こうの方に犬が繋がれている。
何だかとってもほのぼのとして思わず撮ってしまった。

猫も人と同じで顔が違う。
我が家では、人相ではなくニャン相と言っている。

人間と同じで猫も怒られてばっかりいると自然とキツイニャン相になる。
この子は、きっと大切に可愛がられているんだな。

50歳までは、親から貰った顔で
50歳を過ぎたらその人の行いが顔に出ると聞いた事がある。

私もあと5年で自分の顔を作らないといけない。
2004年6月4日(金)
凄い?
今日、凄いものを見た。
我が目を疑ってしまった。

昼の部を終え、大将の後ろに乗ってバイクでパンを買いに行った。
私の横にノーヘルの人がバイクを運転しているではないですか。
日本で初めて見る光景だ。
ハワイでは、ヘルメットは義務付けられていないので
髪をなびかせ走る人を見て羨ましく思った。
しかし、日本で見ると【え?】とただただ驚きだ。

私「見て見て、何であの人ヘルメットかぶっとらんと?」
大将「・・・」

思案橋から茂里町付近まで一緒だった。
八千代町の交番の前には、警察官が立っていたのに
どうやって潜り抜けたやら?

車の運転手さん、歩道を歩いている人達みんな振り返って見ている。

ヘルメットをかぶっているつもりなのか?
それとも堂々と?
2004年6月3日(木)
ゆず


大きいのが直径
5cm

小さいのは
2mmから7mm
2003.5までのひとりごと5/17【花】で
書いた柚子の鉢で出来た実です。

去年もたくさんの花を付け、実が生ったがぽろぽろと散た。 
結局、成果は一鉢に4個位は大きくなった。
しっかり元は取った。

今年もたくさんの花を付け、実を付けたがやはり雨、風で散た。
大将初めみんなで悲しんだ。

わさびで柚子の皮を使う。
今の時期、柚子が売っていない。
あっても凄く高い。
仕方が無いので高くても買う。

私「うちに柚子の生ったとけど雨、風で落ちてしもうた」
野菜屋のおばちゃん「もったいなか、どんがん小さかとでも使わんば」
「天からの恵みやっけん」
私「そうね〜」

早速、家に帰り鉢の下に落ちている小さな実を収穫した。
しかし、本当に小さい。

香りは、柚子だ。
2004年6月2日(水)
わかる?
先週、髪を切った。
かなり切った。
20cm以上も切ったのに。
大将は、気付かない。
気付かない振りをしているのか?
いや、絶対に気付いていない。

今回は、パーマもかけた。

一度言った事がある。
「何で?他の人の髪切ったと解るとに私は解らんと?」
大将「お前も解らんやっか」

ん?
その時、大将も床屋に行ったばっかりだった。

大将は、髪を短くしているので2週間に1度は髪を切る。
そんなに差が無い位いつも綺麗にしている。
解るはずがない。
本当によ〜く見とかないと解らない。

私の髪と一緒にしないで欲しい。
2004年6月1日(火)
小屋入り
長崎では、6月1日は特別な日だ。

いよいよ、長崎くんちの始まりなのだ。
朝からシャギリが鳴り、長崎っ子がじっとしていられなくなる。
大将も私も勿論、娘もそんな一人だ。

昼に店を開けるが、仕事にならない。
大将は、最後の玉子を出すのを忘れるし
私は、味噌汁をこぼすし
いつもと調子が違う。

だから
昼は、早めに閉めました。