第6回 進路について・その1

 先日この番組の放送局の目安箱に「字が多すぎる」という知性と教養にあふれる精道の中学生にはあるまじき苦情が寄せられました。でも、この番組の編集長はあらゆる意見に耳を傾けようと決心しているので、今日は「そんなら字を大きくしたらええんやろ」と開き直ることにしました。

 前回は勉強について話しましたので、今日はそれと関係のある進路について私の意見を述べさせていただきます。文句はないでしょうね。さて、みんなが大学に行くならば(まだ高校入試も終えていない人たちに大学のことを話するのは変ですが、お許しを)、大学には色々な学部があって学部を決めないといけません。つまり、「私はA大学に行きたい」と言っても、受験の願書はその大学の法学部とか理学部とか、学部に出さないといけない。学部には大きくわけて理科系(工学部、理学部、農学部など)と文科系(文学部、法学部、経済学部、商学部、経営学部、教育学部など)に分かれる。私が高校生のときはいわゆる高度経済成長期で、理科系(特に工学部)全盛期でした。だから「成績の良いものは理系へ」とうような考えや、また理科系には数学が必須だから、「文系には数学のできへん奴が行くんや」という考えもありました。ところが、大学に入った年にご存じ石油ショック。と途端に人気が文系に移ったのです。なぜか。それは理系出身者はメ−カ−(物を作る会社)にしか入られないが、文系を出ていればどこでも就職できるからです。でも、日本は石油危機をのり越え再び経済発展を成しとげる。するとまた理科系が幅をきかすようになりました。今はどうでしょうか。

 私は高校のとき文科系を志望していましたが、クラブの親友が「今は理科系がもてとうけど、結局国や会社などの組織のトップに立つのは文系出身者やで」と言ったのを覚えています。これは本当で、政治家になりたければ数学や物理や化学よりも法律や経済の知識を持っておかねばなりません。だから、政治家の大部分は法学部出身です。組織のトップに立つ人には細かい知識は要求されません。そういった専門的なことのためには、その道の専門家を部下として雇い必要なときにデ−タを教えてもらえば足りる。トップのするべきことは、それらのデ−タと周囲の状況を分析して正しい判断を下すことです。たとえば、日本国を考えてみましょう。トップに立って国を指揮するのは総理大臣で、その総理を補佐するのが国務大臣。例えば、経済関係の政策を立てるのは大蔵大臣ですが、実際は大臣は経済の細かなことを知らなくても大蔵省の役人(官僚。ここに東大出身の頭の切れる人材がいるわけ)がやってくれて必要なデ−タを教えてくれる。ここで大切なのは、大蔵省の官僚が必要かつ十分な判断材料を大臣に提出するということです。大臣の役目は、それを正確に分析して総理に提案すること。だから、大蔵大臣には、確かに細かなことを暗記する能力は必要ないけど、部下が提出したデ−タの意味を理解し、全体的にまとめる能力は必要ッス。

 これが総理大臣になると、経済問題だけでなく、外交、教育、文化など、国民の生活のあらゆる面に関して、細かいことは知る必要はないが、全体的にそれを見て判断を下せる能力が要求される。たとえば、総理大臣は原子力発電が、水素の原子が分裂したらどれだけのエネルギ−が出るとかの詳しい理科的な知識は必要ない。また、原子力発電が我が国のエネルギ−問題にどれだけの割合を占めているのか、どのような危険が考えられるか、外国ではどうなのか、なども正確な数字を知る必要はない。それらのことは部下に調べさせたらすむ。しかし、総理大臣にはそのデ−タを最終的に判断することが求められるわけです。ここで、総理大臣に必要なことは全体を見ること、そして各部署に適切な人(こういうのを人材という)を配置すること。そのためには人の能力を正しく評価する目を持たねばなりません。

 ここで思い出すのは、中国の国家官僚の採用試験、科挙のことです。科挙ではどんな試験科目があったかというと、それは主に文章を書く能力だったそうです。「文章を書く能力よりも、自然や歴史や地理の知識について聞いたほうがええんとちゃう」と思うでしょうが、中国人の考えは「組織のトップに立つ人は、細かいことは知らんでええ。それより全体を見渡せることが肝心や」と言うものだったからです。全体を見渡せる能力が、文章を書く能力で判断できると考えたところに、中国ではいかに文章が大切にされていたかが伺えますね。でも、さすがに日清戦争に敗れてから、「これはあかんわ、科挙のやり方を変えよう」と言って、文章よりも時事問題(現実の政治、国際、経済の問題)を聞くようになりましたが、これも保守派(有名な西大后の一派)の巻き返しで失敗し、清国の運命は風前の灯火となってしまうのです。

 吉川英治の『三国志』には、若いときの諸葛孔明(万能の天才的な政治家で『三国志』の主人公)について、あるお爺さんが「彼は大略を知っておる」と評すところがあります。つまり、細かい知識はともかく全体をつかんでいるということです。受験勉強は細かい知識を要求されますから、細かいことを覚えてやって下さい。でもそれは本当の勉強の目的ではないことも忘れないでね。たとえば、英語で単語を覚えることは目的ではない。目的は、文章が読めることか英語でコミニュケ−ションできることかな。英単語を6万覚えていても英語の新聞を読めないなら、その英語の勉強は何の役にも立たなかったと言えるでしょう。歴史は年代を覚えるための学問ではない。それらの歴史的事実を知って、大きな歴史の流れを掴むことが目的です。この大きな流れを掴んで初めて、現在の様々な事件の意味が理解できるようになる。

 ここいらで言いたいことをまとめますと、進路を決定するとき、世間の風潮だけに従わないこと。自分が好きなこと興味があることをある程度考慮に入れることです。と言ってもある程度、です。完全に自分の好きな仕事ができると言うのは滅多にないことだから。 いつも社会に出たらどうするか、ということを考えながら勉強すること。今やっている勉強は、社会生活をするために役に立つ知識を与えてくれるけど、不十分であることを忘れないこと。それを補うために勧めたいことですが、良い本を読むこと、自分より経験が多く思慮のある人と話すこと、よい友達(その人と付き合うことで自分がいろいろな意味で高められるなと思う人)を探して友情を大切にすること、など。最後に、つまらない軽薄で、人間を堕落させるしかしないようなテレビ番組、雑誌を軽蔑することもお勧めします。時間を自分を駄目にするようなことに使うなんて、本当に馬鹿なこととは思いませんか。それよりもっと良いこと役に立つことがたくさんあるのに。


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