第45回 キリストの復活

 一時は永遠に続くかと思われた(誰もそうは思わなかったかもしれませんが)受験勉強というつらいことも終わり、ともかくおめでとうございます。この世ではどんなつらいことも終わりがあるという真理を肌で感じることができますね。寒い冬の後には必ず暖かい春が来るわけです。それも生きていればのことですが。また、逆にどんな楽しいことも終わりがある。だから、そのようないつかは終わるものではなく、永遠に続くものを見つけることが大切ってわけ。

 もう時間があまりないので、これだけは言うておきたいということを書かせてください。このプリントはちゃんとファイルに閉じて10年後の今月今夜のこの時間に読むようにしてください。

 さて、ある歴史の教科書には、キリスト教のおこりについて以下のように書いてあります。「紀元1世紀前半に、イエスが現れ、なやむ者、貧しい者は神の愛によって救われると説いた。この教えはやがて『神を信じるものはみな救われる』と信じられるようになり・・」。「これのどこが悪いの」と疑問に思うでしょうね。けど、この書き方は、実は一番大切なことを抜かしているのです。つまり、最初にキリスト教を伝えた人々は、イエス・キリストと一緒に生活した何十人かの人たちですが、彼らが教えの中心は、「ナザレトのイエスは、十字架につけられ、死んで葬られ、三日目に蘇った」ということでした。このことは、当時の教会の詳しい記録である『使徒行録』や、パウロやペトロの手紙を読めば一目瞭然です。

 キリスト教の創始者のイエスキリストは、他の宗教の創立者とは違って、修業をして悟りを開いたとか、ある時神から啓示を受けたとかいった形跡はありません。初めから自分が知っていたことを間違いのない真理といて教えました。イエス様が、何か難しい質問をされたとき、「ううむ。ちょっと待ってや。考えるから」とか、「私はこう思う」とか言って自分の意見を言うようなことは一度もありませんでした。いつもどのような難問に対しても即答しています。

 またイエス様は旧約の預言者たちとも違います。預言者たちは教えを述べるとき、かならず「神はこう仰せられる」とか「神のおつげ」とか言います。つまり、自分たは、拡声器のようなもので、声を出すのは神である、というわけです。それに対して、キリストは、「聖書にはかくかくしかじかと書いてある。しかし私はこう言う」というふうに自分の権威によって教えた。聞いていた人々は彼の教えに驚いたとある。

 つまりキリスト教の最大の特徴は、創始者を神であると信じるところです。でも、いったいどうしてある人が神だなんて、信じることができるのでしょうか。その理由の最大のものがイエスの復活になるわけです。初代教会の信者たちは、そのように考えて、キリストの復活をまず第一に述べ伝えたのです。

 「でも、復活なんて、昔の人が迷信深かったから信じたんじゃなかね」と考えるでしょう。多くの人が、「現代は科学の世界だから現代人は復活なんて信じられない」と考えています。けど、現代人も結構簡単に迷信を信じるのです。テレビで前世の記憶が戻った人についてやっていたら、それを信じる人がいるほどですから。

 それはともかく、福音書を読むと以前授業で話したように、イエス様が死んだとき弟子の中で主が復活すると期待していた人は一人もいなかった。またキリストの死後20年もたたない頃(紀元50年ごろ)、パウロは同時の文化の中心都市アテネを訪れ、大勢の聴衆をまえにキリスト教を説きました。しかし、彼が「神は一人の人を復活させた」と言うと、聞いていた人のほとんどがパウロをあざ笑って立ち去った。

 つまり、復活、死んだ人が蘇ることは、今から2千年前の人々にも信じられなかったできごとだったのです。しかし信じた人々もいた。なぜ信じたのでしょうか。

 人が他人の言うことを信じるのには、二つの理由がある。一つは話している内容が信じられること。例えば、「昨日三山で宇宙人にあって一緒に遊んだ」なんて言っても誰も信じないでしょう。それならば、「ナザレトのイエスは十字架で死に三日目に蘇った」というのも同じように信じられないことですね。でも信じる理由はもう一つある。それはそのことを話す人が信じられるということです。イエスの復活を教えた人たちは、その教えのために自らの命を落とすこともあえてした。これを見て人々は、「これはひょっといたら本当かも知れんで」と考えたわけです。

 人は何のために嘘をつくでしょうか。人が嘘をつくのは自分が得するためでしょう。自分の損になるのにあえて嘘をつく人はいますか。「おまえはアホか、嘘つき」と罵られ、または殴られ蹴られ、挙げ句のはてには殺されることさえあるなら、私なら 「先日三つ山で宇宙人を見た」なんてことは言いません。イエスの復活を述べ伝えたた人々は、その教えのために拷問にかけられ死刑にされることもあったのに、自らの主張を変えなかった。

 世界の歴史の中で奇跡的な出来事が記録されているのは珍しくない。例えば漢の高祖が生まれるときにその家から龍が登ったとか。珍しいのは、そのような奇跡を本当だと言い張って命を落とす人が続出することです。

 1978年に出た北朝鮮の宣伝の本に、金日成が「絶世の愛国者であり、伝説的英雄であり、朝鮮革命と世界革命の偉大な首領である」とした後、次のような超能力を持っていると書いてあります。「天下妖術を使う。 東西南北を飛んで移動する。 実際の距離を縮じめて移動する。 山・川を縮めて、一夜に千里を移動する。 一度に八カ所、あるいは十カ所に同時に出現する。 顔形がまったく同じ金日成が7人いる。 瞬間的に千変万化する。 天に消えたり、地下に潜ったりして姿を隠す。 気象を自由自在に操ることができる。 古今東西どの兵書にもないよいうな巧妙な戦法を編み出す。」(稲垣武、『悪魔祓いの戦後史』、文春文庫、289ペ−ジ)。金日成は、このように神のように崇められたのですが、数年前に死んでしまった。また、彼が神だと言い張ってそのために命をかけた人はいないようです。

 それではまた。気の緩みから伝染病にかからないように注意してください。


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