第46回 より良い高校生活を願って

 いよいよ明日が卒業式でなんとなく寂しい気持ちがしますが、皆さんはこれからより広い世界への門出ですから本当は喜ぶべきことですね。諸君は元気で授業のときもいろいろと質問したり発表してくれたので、私も楽しく授業ができよい思い出となっています。今後大人になってからも話しができればと思っています。今日は最後の言いたい放題をさせてもらいます。

 今皆さんの中には試験の発表のことも気になっている人もあるでしょう。この人生では自分の望み通りにならなことが少なからずあります。行きたい高校に必ずしも皆が行けるわけではないし、したい仕事に皆がつけるわけでもない。結婚したいと思った人と結婚できないこともある。こんなことを言うとちょっと憂うつになるかもしれません。けど私達が一番良いと思ったことが必ずしも一番よいわけではないというが時間が経ってから分からることも多い。例えば、入試。誰も不合格になりたいとは思いませんが、受験生皆が合格するわけではないので、かならず誰かが不合格になり、もう一年受検勉強しないといけなくなります。けれど、「浪人して予備校で勉強していたときよい先生や友達に出会ったりして、よい経験だった」という人は少なくない。だから結果がどうあれ悲観的な考えは持たないようにしましょう。むかしのテレビ番組で『ひょっこりひょうたん島』というミュ−ジカルタッチの人形劇がありましたが、その中で「♪今日がだめならあしたにしましょ。明日がだめならあさってにしましょ。明後日がだめならしあさってにしましょ。どこまで行っても明日がある♪」という歌がありました。自殺を考えていたけどこの歌を聞いて自殺をやめた人がいたとか。ともかく神様がいるなら人生は楽天的に見れるし、そうしないと損。

 現代の日本は、中学校→高校→大学→就職→結婚とかいうふうにレ−ルが最初から敷かれてあって、そのレ−ルを外れたら「落ちこぼれた」ように考えるふうがあります。しかし、このレ−ルに乗らないと人間は幸せにならないわけではない。例えば、個人の才能を発揮するために必ずしも大学に行く必要はないし、高校を出てから何年も働いた後で大学に入って勉強する人も最近は増えています。人間は十人十色なのですから、みんな同じ線路に乗って走らないといけないのはおかしい。ただ、一人一人が、それでは私のできることは何か、やりたいことは何かをはっきり持つこと、それが決まれば少々の苦しみはもろともせずやり抜く根性を持つことが必要だと思います。

 次に高校生活について。中学と高校とはかなり違うのでつまらないことでも戸惑うことがあります。例えば勉強。数学などは、単元ごとにまったく異なった内容が出てきたりして、よく分からないうちに次の単元に進んだりする。そして、最初の試験に悪い点をとったりしたら、「私は、数学の才能がないんじゃない」と早合点して落ち込む人もいる。これは初めて仕事をするときにもありがちなことなのですが、経験のないときは、ちょっとした失敗で非常に落ち込み、逆にちょっとした成功で、「私は天才だ」と思い込み高慢になることがあります。けどこれはどちらも誤り。そのような失敗は、慣れていないからだけで、時間がたてばできるようになるのが普通です。

 次に、友人関係。自分の我ままを押さえて誰にでも親切にしようとしていれば(と言ってもこれは簡単ではないです)自然に友達はできるものです。世の中には人に親切にすると損だと考えている人もいますが、実際は人を助けることによって自分のためにもなるのです。たとえば、勉強に困っている人がいるとする。ある人は、「自分だけ知っているほうが試験のときに有利だ」と考える。けれど、本当はその人に教えてあげた方がよい。そうすると、教えることによって、かえって自分の理解も深まるのです。もちろんその人が教えてほしくないなら別ですが。人間とは、互いに助け合って生活するものです。また、本当の親友にはしっかりした人を選んでください。

 また彼女とか彼とかよく言いますが、別に高校生で異性の友達がいなければ恥ずかしいわけではない。私は男女交際は結婚生活ができる大人の精神年齢に達してからで遅くないと思います。高校時代はそれよりももっと自分を磨くことに努めてほしいですね。将来家庭を持ったときに、しっかりとした子育てができ、社会に貢献できる人間になるための修業の期間だと思いますが、どう思いますか。

 それと、しつこいですが、皆さんの宗教のノートとプリントはごみ箱に捨てたり、古紙回収の人に渡したりせず、いつか読んで下さい。この前に読んだ本で、「人間には、ある年齢になるまではいくら説明しても分からないということがある」と書いてありました。私はまったく同感です。今の私に今は分からなくても、この後10年後に分かることもあるでしょう。そして皆さんに書いてたことを見ると、その大部分は、今ではなくあと10年くらいたったらピンと来るのではないかと思います。

 現在の日本だけでなく、先進諸国では宗教的なことを社会生活の片隅に隠してしまうのが普通のライフスタイルであると考える人が多いようです。皆さんもこれから神様のことやなど学校で聞く機会が少なくなるかもしれません。でも、神様のことや神に祈ることなどは人間が幸せに生きていこうとするなら、どうしても無視できない問題です。私が授業やこのプリントを通じて説明したかったことの一つは、それです。宗教ということが非科学的なことでも、ちょっと変わった奇人変人のためのものでもなく、普通の人間にとって大切なものであるということです。

 高校では勉強やクラブに忙しく、忙しさに流されてそのような問題を考えずに過ごすことも大いに可能でしょう。けど、将来きっとそのような目の前のことでは満足できず、何かより深いものを求めるときが来るはずです。そんなとき、変な占いに頼ったり、怪しげな宗教をのぞいたりせず、精道で習ったことを思い出して、相談に来てほしいと思います。

 それではまた。お元気で。


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