パソコン奮闘記 

PartT 「ワープロからパソコンへ」



プロローグ

入社当時(昭和62年4月)の社内には、デスクワープロ(5インチ)が2台、ラップトップのワープロが2台しかなく、男性社員が原稿を作成し、女性社員がその原稿をワープロで打つ。「ワープロは女性社員の仕事」という雰囲気があった。その考え方が私にも浸透し、新人のくせに先輩女性社員にワープロ入力をお願いしていた。

入社して約10ヶ月経過したある日のこと、ワープロを扱える某上司(当時45才)が、「私達みたいに年寄りがワープロを打っているのに、若い人達は女性に任せっきりで偉いね!」と言う。その場はなんとか取り繕ったのだが、その後、無性に腹が立ってきた。ワープロが打てる上司の皮肉ともとれるその言葉ではなく、実際にできない自分にである


●自宅での練習

会社のワープロはいつも女性社員やワープロを打てる数人の男性社員が占領している。ワープロが空いた時に練習できたとしても、「仕事をしないで遊んでいる」ようにみえる気を遣いながら練習するのも癪である。「その某上司の前で、さりげなくワープロを打っている姿を見せてやろう」と思い、その時の痛快さを心の支えに、自宅で練習することにした。

まずは、キーボードの配列を覚えなければならない。黄金の右手人差し指を使い、Aは左、Bは真ん中に戻り、Cはすぐ左、D、Eと左斜め上へ・・・。一方、通勤バスの中でも「W」「A」「T」「A」「S」「I」「H」「A」(私は)などキーボードを思い浮かべながら、指の運動をする。

1ヶ月くらいでキーボード配列を覚え、なんとか文字を入力できるようになった。次は、文字飾りや体裁良いレイアウト作りであるが、悲しいかな自宅のワープロは横一列の画面表示だ。「入力」→「レイアウト枠表示」→「印刷」を繰り返しながら、少しずつワープロ操作ができるようになった。


初のパソコン導入

昭和63年4月、会社に初めてデスク型のパソコンが1台(当時:約120万円)導入されるが、誰一人としてパソコンを扱える社員はいない。当然、若手社員に白羽の矢が立った。中でも、社内で一番戦力になっていない、そして入社歴が一番浅い私がその標的となり、研修に行くこととなった。

研修に行った後は当然、相応の成果が求められる。

「パソコン通信で文書の送受信ができます」
「Faxでもできるじゃないか」
「パソコンでも文字入力ができます」
「ワープロでもできるじゃないか」
「表計算ソフトで帳簿などの自動計算ができます」 「オフコンでもできるじゃないか」

知識や経験が不足している私にとっては、このような答えしか用意できず、「パソコンはそれほど期待できない」と上司に思われたようだ。


●パソコンの活用?

この翌年頃には、ワープロの利用待ち(取り合い)が頻繁になってくる。そのため、昼休みに仕事したり、残業を余儀なくされる社員も少なくない。さらに、ワープロを打てる人と打てない(仕事が増えるので意識的に打たない?)人との仕事量のバランスが崩れてくる。

当時、ワープロ入力もおぼつかない私であったが、この「パソコンという怪物」にインストールされている「一太郎ソフト」を利用して、文書作成をすることにした。時間待ちがないし、嫌がる女性に頼む必要もないからである。

こうして、無用の長物と思われていたパソコンは平成1年4月頃から約3年間、「主にワープロの代替品」として利用されるのだが、私をはじめ数人の社員がパソコンを独占したこともあったのだろう、「一太郎」利用者はほとんどいない。そんなある日、「仮に、私の仕事を引き継ぐ人が、『一太郎』を打てなかったら、その人に迷惑がかかるのではないか」と思い始めた。

そこで、平成4年2月頃から文書の作成はワープロ専用機を利用することにした。その結果、パソコンは再度「無用の長物」になってしまったのである。


●パソコンの師匠

平成5年頃には、ワープロ入力の速度も速くなり、ある程度ブラインドタッチも出来る様になった。手書きで原稿を書いている社員に対して、「ニュース記事や挨拶文などの作成は、手書きよりもワープロのほうがやり直しがきくし、事務作業の効率化に繋がる」など、ワープロの素晴らしさを得意げに話している私である。

ところが、そんな私の姿を嘲笑うかのごとく冷静に見ている人物がいた。地元企業の若手経営者(大学の先輩)である。ある時、その先輩から「これからはパソコンの時代だから、いつまでもワープロ専用機を使っては駄目だ」と忠告を受ける。

私の会社では、全ての基幹業務はオフコンで行っているし、当面、パソコンがなくても業務に支障がない。私は、知らん顔である。

この後も、この先輩から時には嫌みを言われながら、パソコンの必要性を説かれる。(平成6年7月頃には、自分のパソコンを私の会社に設置するという熱の入れ様である)

度重なる先輩の攻撃(口撃?)に対し、「私の上司でもないのに、いらんお世話ですよ!」と怒ったことがある。すると、「ワープロは誰でもできるとバイ。貴方が50、60歳になった時、ワープロ打ちが早いだけの『単なる事務のおっさん』になって欲しくない」と諭される。

この言葉には、参ってしまった。

それから、その先輩を「パソコンの師匠」と仰ぎ(度々口論しながら)、少しずつパソコンという怪物に立ち向かっていくのである。