海外旅行記 アメリカ西海岸 

ChapterT「サンフランシスコ」

記念すべき初の海外旅行
どんなエピソードが待ちうけているのでしょうか・・・。



退屈な機内

昭和62年10月12日14時40分、大阪国際空港からユナイテッド航空810便にて一路サンフランシスコへ。
到着までに閉口したのは、狭い座席で長時間耐えること。足や腰が痛くなっても、寝転がることはできないし、席を立つこともままならない。じっとしているのも退屈なので、観光パンフレット等を読みながら気分を盛り上げようとするが、すぐ飽きてしまう。また、機内で上映されているディズニーの映画は、英語版なのでさっぱり解らない。(^^;)

   「添乗員さんも退屈だろうな〜」と思いきや、さすがに海千山千の添乗員。しっかり食事をとり、お酒を飲み、その後は熟睡している。
   私達も妙に納得して、「機内食を食べては寝る・・・。食べては寝る・・・
(写真参照)」と繰り返しながら、退屈な9時間40分を何とか過ごし、午前9時前(現地時間)にサンフランシスコ空港へ無事到着。


「英語?」が解らない

到着後待ち受けているのは、「入国手続き」。「旅行の目的は『sightseeing(観光)』、滞在期間は『five days(5日間)』と答えるように」と添乗員から説明を受ける。私が並んでいる列を見ると、アメリカ人風の女性係員が顔をチェックするだけで、ほとんどフリーパスの模様。
  
「な〜んだ、心配することなかった。」と安心したのが災いした。私と妻の順番が回ってきたその時、「Kankou?」
と係員が一言。私は、「・・・」。係員がまたしても「Kankou?」と一言。私は、係員が発する「Kankou」という「英語」が解らず、頭がパニックになってしまった。すると、後ろにいた妻が「『観光』じゃない?」と、笑いながらアドバイスする。
   とっさに、「Yes」と答えると、
次は「nannichi?」。またしても、意味不明な「英語」である。数秒の沈黙後、やっと「何日?」と質問しているのに気付いた。もちろん私は「five days」と答える。
  
こうして、冷や汗をかきながら入国手続きを終えた私は、「なぜアメリカ人が日本語で質問し、日本人が英語で答えるのだろう。」としばらく一人で悩んでしまった。


想い出のサンフランシスコ



私達ツアー客14名は、ホテルのチェックインまでの時間を利用して、サンフランシスコの市内観光に繰り出す。
 
 まずは、市内が一望できる「ツインピークス(双子の丘)」へ向かい、その後、「ゴールデンゲート公園」へ到着。そして、ツアーの目玉である「ゴールデンゲートブリッジ
(写真参照)」を見学する。
  この橋は、全長2,737Km、海面からの高さが67m。支柱間の長さは1,280mと世界一らしい。が、近くから橋を眺めると「長崎県の西海橋とあんまり変わらないな〜」との印象を受ける。
  

記念撮影を終え、少々ガッカリしながらバスに乗り込んだ私であったが、やっぱり感動していたのだろうか、いつのまにか「想い出のサンフランシスコ」を口ずさんでいる自分に気付き、思わず苦笑い。


●英語が通じた?

私達はアシカの生息地「シール・ロック」で休憩した後、観光地の「フィッシャーマンズワーフ」へ向かう。

「フィッシャーマンズワーフ」は、沿岸漁業の基地として発展した一角を整備した場所であり、魚介料理の専門レストランが軒を連ね、数多くのシーフード料理の屋台が立ち並んでいる。
  
せっかくの機会なので、新鮮な魚介類を食べることにした。私達は、色々物色しながら、屋台のロブスターを注文する。注文した後に気付いたのだが、食べる場所がない。やっと席を見つけるが外国人との相席である。空港の入国口で意気消沈した私は、この外国人夫婦?
(写真参照)と目線を合わせないようにする。
  
ところが、そこは陽気なアメリカ人、やっぱり話し掛けてくる。「どこから来たのか?この後はどこに行くのか?」など尋ねられる。ここは、さっきの名誉挽回をしなければならない。私は、食事もそっちのけで会話をする。片言の英語が少しは通じたのか、しだいに会話が弾んでいく。聞くところによると、この謎のアメリカ人男性は教師をしていて、二人は新婚旅行でこの地を訪れたらしい。最後は、「See you again!」 で締めくくり互いに別れた。


●お金が足りない?


ちょっと気を良くした私達は、海外旅行で最も閉口する(であろう)「お土産探し」のため、PIER39(波止場にあるショッピング・レストラン街:写真参照)」に向かう。
購入するのは兄に頼まれたスタジアム・ジャンパーである。店内を見渡すと、目的のジャンパーがすぐに見つかった。値札を見ると「98」ドル(日本円で約14000円:当時)である。日本で買うと3万円程度すると聞いていたので、喜ぶ兄の姿が目に浮かんだ。  

すぐさま100ドル紙幣で支払ったのだが、店員の態度がおかしい。
なにか英語で尋ねている。「お釣がないように98ドルきっかりと支払ってくれ」と言っているのかと思いきや、そうだ、アメリカには「消費税」があったのだ!

税率が何%か解らなかったので、50ドル札を追加して渡すと、店員は「ニッコリ」して、お釣を渡してくれた。またしても、失敗である。


●最初の夕食

   フィッシャーマンズワーフを後にし、市内観光を終えた私達は、午後4時頃にホテルに到着。後から聞いた話だが、ツアー客の面々は夕食までの時間を利用して、ホテル周辺を散策していたらしい。私はというと、時差ボケのため不覚にも熟睡。その頃妻は一人で散策していたらしい。自分だけ一人だったと今でも皮肉を言われる。
   その後、私達ツアー客一行は、午後6時頃から夕食のためチャイナタウンに向かう。アメリカでの最初の夕食は、某北京風中華料理店での中華料理。味はというと・・・???。
   やはり私達には、食べ慣れた「長崎の中華料理」が一番である。