海外旅行記 欧州三カ国 

ChapterT 「東西ベルリン 」



プロローグ

平成2年10月3日。その日は世界中の人々がテレビに釘付けになったのではないか。1961年から28年間東西ベルリンを分断してきた「壁」が崩壊し、新生ドイツが誕生したのである。
私もその模様をテレビで見ていたが、なにせ日本からは遠い国の出来事だ。ベルリンの壁が崩壊したといっても今一つピンとこなかった。

そんな私が翌年、ベルリンをはじめヨーロッパの地を訪問する機会に恵まれた。本旅行の団員は地元企業の経営者、官公庁職員など総勢33名。公式訪問や視察もある。ヨーロッパを代表する国々の三都市(ベルリン、パリ、ロンドン)を巡る10日間の日程である。

出発日は平成3年1月10日。中東湾岸危機の緊張が高まり、戦争勃発のタイムリミットが15日という微妙な時期であった・・・。


●長い道程

最初の訪問国は「ドイツ」であるが、到着までの道程は果てしなく遠い。9時間40分かかったアメリカどころの騒ぎではない。
ヨーロッパまでの行程は、今は無き「アンカレッジ経由」なのだ。
機内でやることといったら、前回同様、「食べて、飲んで、寝る」の繰り返しである。団員の皆は、機内サービスのドイツビールやフランスワインなどアルコールを嗜みながら、盛り上っている。

何時間経ったのだろうか。ようやく、アンカレッジ空港に到着する。窮屈な機内からようやく開放され、屈伸運動など軽い体操をしている人もいた。再出発まで約3時間、充分すぎる休憩時間だ。空港内には沢山の免税店があり、多くの人が買物をしている。

私は、特に買物することなく免税店等を見て回っていたのだが、
1件の「うどん屋」を発見した。カップヌードルみたいな容器に「太くてかたそうな麺」が入っていて、1杯「1,000円」だ。噂では、ここ10数年来1,000円らしい。
「うどんが1,000円もするなんて勿体無い。なぜ、みんな食べるのだろう」と思いながら、つい私も食べてしまうのだった。
味はというと「え!これがうどんなの?」。

長かった休憩時間が終了し、私達は再び機内へ戻る。機内では、お土産を買った話やうどんを食べた話などで賑わい始めた。中には、空港の屋上に行き、外の空気を吸った人もいたらしい。かなり寒かったそうだ。私も、帰りに外に出て写真でも撮ろうかと思ったのだが・・・。(後で述べるが実現しなかった)

その後、また窮屈な座席で耐えること数時間、ようやく、ロンドンのヒースロー空港に到着。現地時間午前5時40分、外は真っ暗である。約2時間後、私達は再び飛行機に乗り込みベルリンに向かう。ロンドンからは約3時間半であるが、気分的には残りわずかの時間だ。この頃から、髭を剃るなど身支度をする人が目立ってきた。

窓の外にはベルリンの街(写真右)が見えてきた。大阪国際空港を出発して実に24時間が経過した午前11時15分、テーゲル空港に到着した。


東西ベルリン



空港到着後バスに乗り込み、
西ベルリン(写真左)の街を見学する。

なにかしら日本と雰囲気が違う。
街の中心部には街路樹が整然と立ち並び、芝生は青々としていて大変美しい。
そしてゴミはもちろん、塵とかホコリの類もほとんど見当たらない。ガードレールもなく、電線が地下埋設されていることで、街がすっきりしている。


一方、東ベルリン地区(写真右)は、第2次世界大戦の痕が残る建物や銃弾の痕の残る壁など、大戦終了後の街並みが散見される。
道路の至るところに仮囲いが設置され、工事中が多い。
私達が宿泊したホテルの近辺も再建工事が進んでいたが、まるでゴーストタウンのようだった。
  現地ガイドによると、5年計画で東西ベルリンの経済格差をなくすとのことであったが、完全な整備には更に長い年月と多くの費用を要するものと思われた。

つい先日統一されたばかりの東西ベルリンの極端な違いに、まずもって驚かされた。



ブランデンブルグ門

ベルリン2日目の午前中は、東ベルリンをバスで見学する。このブランデンブルグ門(写真)は、ギリシャ風の形態で、18世紀に建てられたロシアの凱旋門である。1788年から3年がかりで建設され、幅65m、高さ28m、4頭の馬にひかれたローマの戦車に勝利の女神が乗った像が門の上部にある。「ベルリンの壁」が何処にあったのかは全く分からない。

門を潜り抜けると、なにやら妙な外国人がテントの下で物を売っている。覗いてみると、なんと、約20cm四方に削られた「ベルリンの壁」を袋に入れて販売しているのだ。コンクリート石の表面には赤や青のペンキで塗られた後がある。日本円にして500円〜1000円程度と値段が手頃である。仕入れ値はない筈なので、売っている人は丸儲けだ。「そんなもの買ってきてどうするの!」との妻の言葉が頭に浮かんだが、やっぱり買ってしまうのである。(今思うと本物だったのかは定かでない)


●ベルリンの壁

その後、私達はバスに乗り込み、車中よりベルリン市内を観光する。近くを流れるシュプレー川付近を通る途中に「ベルリンの壁」を発見した。全員カメラを取り出し撮影に熱中する。誰が描いたのだろう、数多くの絵が描かれている。富士山を描いたようなこの壁(写真)もいつか壊されるのだろう、少し勿体無いような気がした。

次に訪れた「ベルガモン博物館」には、古代ギリシャからヘレニズムに連なる古代建築様式のコレクション、全長120mのゼウスの神殿、「神々と巨人の戦い」の浮き彫りなど往時が偲ばれる品々が目白押しである。

参加者の皆は、それらの素晴らしい芸術品をじっくり見ている。私はというと、美術・芸術の類は興味がないというか、良さが全く分からないので、一番早く退館した。


●西ベルリンの街





昼食後、
西ベルリンのオイローパ・センター前で解散し、午後からは自由視察となった。

市の中心部には戦災を受けたままの
ウィルヘルム皇帝記念教会(写真左)が平和祈念のために残されている。街のランドマーク的な役割を担っており、歴史の重みが感じられる。
周囲の近代的なビル群との対比がより印象的であった。

この後、メンバーは数名に分かれて市内を散策する。私達数人は市民生活の現状を探るため、大規模ショッピングセンターやデパートなどを見学するが、多くの市民で溢れている。生鮮食品などの物価は、さほど高くないように感じた。





この他、大通りに面した
数多くの店(写真右)を見学するのだが、疲れてきたので休憩を兼ねて映画館に入ることにした。値段は日本円で1,500円程度と記憶している。

もちろんドイツ語なので詳しい内容は分からなかっが、シスターの格好をした日本人系(中国人か?)の女性が登場し、呪文を唱えだした。
その呪文は、「な〜んみょほ〜れんげきょう」。すぐさま皆が顔を見合わせる。確かに「南無妙法蓮華経」と聞こえるのだ。全員爆笑であった。



●東ベルリンの街

一方、東ベルリンの中心部。
マルクス・エンゲルス広場付近のニコライの街は、歴史的な建物が立ち並び、付近のアレキサンダー広場は、テレビ塔(写真右)を中心に、ソ連を彷彿させるような街並みである。このテレビ塔は東ベルリンのシンボルで高さ365m、ヨーロッパではナンバーワンだそうだ。250mの所には回転展望レストランがあり、ワインとドイツ料理を味わうために訪れる人が多いらしい。

このように、東ベルリンの中心部は帝国的な壮大さを印象づける建造物があるものの、周辺部は薄汚れた四角いアパート風の建物が多かった。街全体の活気も異なり、西ベルリンの夜の華やかさに対し、東側は、人が住んでいるのだろうかと思うほど静まり返っていた。

当時(平成3年)に比べ、東側がどのように発展を遂げているのだろうか。いつの日かまた訪れてこの目で確かめたいものだ。