海外旅行記 欧州三カ国 

Chapter2 「パリの街並み」



パリの夜景


ベルリンに2泊した翌日、我々は次の目的地「パリ」へ向う。午前10時25分にベルリンを立った後、ケルン、ロンドンを経由し、パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着したのは、午後4時。茜色に染まる光景を車窓より眺めながらホテルへ向った。

この日は移動日のため、この後市内のレストランで夕食をとるだけであるが、
参加者が添乗員に何やら話をつけている。
せっかくの機会なのでパリのナイトツアーを計画しているようだ。こうして、二つのナイトツアーが実現した。




私は、夕食後、パリ在住の日本人(参加者の知人)とともに4名で、市内のナイトツアーと洒落込んだ。
シャンゼリゼ通りから
凱旋門(写真上)までの通りには、イルミネーションが施され大変美しい。

凱旋門の近くを通っていると、四方八方から車が近づいてくる。
凱旋門を中心として放射線状に道路が延びているためで、各方向から来た車は上手いぐあいにロータリーを廻って、別の方向に通り過ぎて行く。私は、
信号機もないのによく衝突しないものだと感心した。

その後、エッフェル塔(写真右)やセーヌ川付近を通ってホテルへと戻った。

パリの夜の街は西ベルリンよりも活気があり、街の至る所で「怪しげな女性」を見かけた。




●パリ・ナイトツアー

一方、総勢13名が参加したナイトツアーは、世界でも一、二を争う「リド」でのナイトショーである。残念ながら私は参加できなかったので詳細は分からないが、参加者の1人が記した報告書をもとに、その模様を紹介しよう。

参加者が訪れた場所は、百数十年の歴史を誇る格式高い「クラブ」で、千人くらい収容できるそうだ。ショーが始まる前に、簡単なディナーが出て、バンド演奏とダンスタイムがある。1時間半ほどが経過するといよいよショーの始まりである。
いわゆるレビュー・ショーで、一つの演目時間が約20分。4つの異なった物語で構成されている。店のうたい文句に違わず、踊り子たちは見惚れるような肢体に艶やかなコスチュームをまとって、鳥のように、蝶のように軽やかに、あるいは悩ましげな魅力を振りまきつつ踊るそうだ。

舞台では、SFもの、冒険活劇風なもの、古代の異国ものなど多彩で、レーザー光線を使った照明にもハイテク技術が駆使されている。一つの物語と次の物語との幕間には、トリッキーなアクロバットや、奇術とは一味違った芸。それは、3個のボールとシルクハットやタバコのカートン箱を使ってお手玉みたいに自由自在に操るもので、どれをとっても「世界に誇るビッグショー」だったそうで参加者全員が感嘆し、見飽きぬ感動を覚えたらしい。

私は、参加費が高額だったこともあり断念したのだが、再び訪れる機会に恵まれたら是非行ってみたいと思う。


パリの街並み


パリ2日目。我々が最初に訪れた場所は、
「ノートルダム寺院(写真左)」。
パリの中心地シテ島に位置し、高さ69mの塔を持つ。中世ゴシック建築の最高傑作と言われている。南塔には大鐘があり、特に正面と南北のバラ窓のステンドグラスが美しい。

我々はこの後、コンコルド広場、エッフェル塔、ルーブル美術館などパリの観光地を訪れるのだが、ここでパリの街並みを紹介する。

パリの都市計画は、19世紀時代、ロンドンに対抗するために「より美しく、より清潔で、より効率的」を合言葉に、ナポレオン3世の命とオスマン男爵の計画に基づいて大々的に実施されたものである。
パリの都市としての魅力は、様々な地区の生き生きとした多様性と活気のある街にあり、パリを訪れた人は誰もがその文化、記念建造物の華麗さや壮大な眺望に共感するのではないか。

パリの旧市街では、建物の外観(石造)の形状をそのまま残して内部の改装、模様替えを施工しており、何百年も前の建物が当たり前のように、それも「現役」として使われているのに驚かされる。これは、日本のように地震による被害がなく、また、建築物が石造りであることが深く関わっているのだが、住民が街並みの旧い形態を一所懸命になって護っていこうという強い気持ちの表われなのではないか。

一方、市内の街並みは格調があり秩序が整っている。

コンコルド広場(写真右)から凱旋門までの全長2km、幅124mの大通りの中間にあるロンポワン広場から凱旋門寄りの半分はブティックやオフィスが立ち並ぶ繁華街であり、コンコルド広場寄りの通りは心地よい散歩道になっている。

また、シャンゼリゼ通りの北に並行しているフォーブール、サントレノ通りは高級ブティック等が軒を連ねているショッピング街である。







パリを含めヨーロッパでは夕方6時頃で閉店する店が多いが、ショーウインドーには夫々の商品に配慮した照明が施され、通りも明るく夜遅くまで賑わっている。
そのために、自由に歩きながらウインドーショッピングを楽しむことができる。また、銀行等でも、外壁にショーウインドーを設置し、楽しいディスプレイを行うことにより歩行者空間を創り上げている。


歩道にはみだしたカフェテラスでは、客が道路に向って座り、ゆっくりコーヒーを飲みながら外を眺めている。
そして、川面をやさしいバラ色に染めている
セーヌ川(写真左)の風景、川岸から眺めた日没の風景など全てにおいて美しく素晴らしいと思う。

しかしながら、旧い建物をそのままの状態で残しているためなのか、道幅の狭いところが多く、駐車スペース不足は否めない(写真右)
そのため至る所で違法駐車が見られ、
残された課題を見た思いがした。


●ベルサイユ宮殿

パリ3日目。パリの日の出は遅く、8時だと言うのに外は真っ暗だ。パリ市内から西へ約20km。ブルボン王朝の権力の象徴として、また太陽王・ルイ14世や悲劇の王妃・マリーアントワネットゆかりの地として知られるベルサイユ宮殿を訪れる(写真左)

 門をくぐると、王の広場の石畳が広がり、荘厳なバロック形式の宮殿を背に、ルイ14世騎馬像が威風堂々と広場を見下ろしている。

そもそも、このベルサイユは数件の農家と狩猟に向いた森や沼地などがあるだけの寒村だったらしい。
華やかな歴史は、1624年にルイ13世がこの地に狩猟用の小さな城を建てたことから始まる。その子ルイ14世は当時の大蔵大臣フーケの建てた城の豪華さに対抗し、自らお気に入りの画家、建築家、造園家達に命じて世界にも例のない大宮殿へと変貌させていった。
現在のお金で約20億フラン(日本円で500億円)の費用だったそうだ。さらに、フランスの首都をこのベルサイユに移してしまうほどの権力を持つ「絶対王政」だったのである。

その後、ルイ15世、ルイ16世の時代にも連日のように王侯や貴族の舞踏会、宴などが開かれ、まさに豪華絢爛な宮廷文化が繰り広げられるのである。

さて、宮殿内に入ると、「シモン家での食事」という1枚の絵を飾るだけのためにつくられたという「ヘラクレスの間」、大理石の装飾が美しい「ヴィーナスの間」など王朝時代の栄華を伝える部屋の数々。そこには天井画をはじめ数多くの装飾品があり目を奪われる。参加者もじっくり見入っている。

宮殿内は多くの入場者で溢れており、日本人の顔も見かけた。「地元の小学生?」が混じっており、先生の説明に対し熱心に耳を傾けている。昨日訪れたルーブル美術館にも小学生が多数入場していたが、幼い頃からこのような「本物」に触れる機会に恵まれるとはうらやましい限りである。

宮殿から一歩外に出ると17世紀の巨匠ル・ノートルが設計した見事な庭園(写真右)がある。泉水や水路を幾何学的に配し、造形美の極地といった美しさであった。

なお、、1789年のフランス革命により、ベルサイユはその1世紀にわたる栄光の日々に幕を下ろすのだが、その後宮殿は破損し、家具や調度品も売り渡され、全てが荒廃してしまったそうだ。再びよみがえったのは1837年、ブルボン家の最後の王ルイ・フィリップの命でフランス史美術館に改造されてからだ。それから延々と修復作業が続き、今日に至っている。