最近、職場の知人や創価学会の方に「絶対治るからね。毎日祈っているからね。」と励まされ本当に感謝している。
しかし、その一方で、パートナーがいままで「僕の病気にいいから」ということでずっとしてくれていたマッサージをしなくなった。
理由は、仕事と子育てがきつくて、つい、子どもを寝かせつける時にいっしょに寝てしまうことにある。
以前は、22時ぐらいには起こすと「寝ててごめん」と申し訳なさそうに起きてきてくれたのだが、徐々に不機嫌な顔をされるようになり、煙たがられるようになった。そして、それが嫌になり、マッサージではなく、”自分だけでできる”お祈りみたいなものに頼るようになっていった。
そんな中、パートナーから「今日からまたマッサージする?」と聞かれたのだが、”もうあなたには頼りませんよ”という感情を込めて「続けれるならいいけど」と言ってしまい、嫌な雰囲気になった。
毎日、僕の洋服のボタンを留めれくれたり頭を洗ってくれている人ほど僕のことを心配してくれる人はいない!
そんなことは、ちょっと考えれば誰だってわかることだ。
なのに、マッサージをしてくれないことを”僕への愛情の少なさ”ととってしまう自分がいる。
やっぱり病気は嫌だ。
自分を悲劇の主人公とみたててわがままになってしまうような気もするが、僕なりにがんばって生きているつもりだから、「ここから先はワガママになる」という境界線が見えなくなってしまう。
でも、”今日”ぐらいは、パートナーをできるだけ優しく起こしにいってみよう。
今朝のこともあるので、案外、彼女も気分良く起きてきてくれるかも知れない。
時刻は今21:58。
僕の期待と不安は徐々にふくらんでいった。
どうか、僕らの間でボタンの掛け違いが起こりませんように。
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